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7.健康を決めるために市民ができること アーカイブ

2008年3月30日

人とのつながりが健康をつくる

1.助けられることと健康


 人生にはいろいろなことがあります。時には自分ひとりでは抱えきれないほどの大きな悩みにぶつかることもあります。そして、悩みのあまりの大きさのために心や身体が病気になってしまったり、時には命を自ら絶ってしまうことさえあるのです。それほどまでに、心と健康は密接な関係にあるといっていいでしょう。

 悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたり、気分転換に誘ってくれたりする人は周りにいますか?そのような、周りの人々からの有形無形の援助をソーシャルサポート(社会的な支援;social support)といい、こういった人々とのつながりをソーシャルネットワーク(社会的紐帯[ちゅうたい];social network)といいます。

 どのように定義づけるかについては様々な議論がありますが、「ソーシャルサポート」そのものには多くの研究者が注目しています。その理由は、「人間関係と健康は深い関係があるから」ということに他なりません。他者からの支援は、悩み、苦痛、苛立ちなどを和らげたり、その発生を防いだり、ストレッサーの影響をストレス反応に結び付けない効果(緩衝効果)があることが多くの研究から明らかになってきました[1]。

 職場でのストレスを例に挙げましょう。職場でのストレスは、仕事のノルマのみならず、職場仲間との人間関係、職場配置、賃金、昇進等さまざま考えられます。「看護婦におけるバーンアウトーストレスとバーンアウトの関係」の著者、久保真人,田尾雅夫らは、バーンアウト(燃え尽き症候群)を決める要因の1つに社会的な支援を挙げ、良好な支援があることはバーンアウトを抑制する効果があることを明らかにしました[2]。

 ストレスにさらされて苦境に立っている人にとって、その原因を直接的に取り除いてくれるような援助や、苦しい心情に共感的理解を示してくれる人の存在は、ストレスを和らげる効果をもち、バーンアウトを未然に防ぐことになります。どのような人間関係を構築するかは、心と健康にとって非常に重要な問題なのです。

こうした社会的な支援は、つぎのようなものがあると言われています。
(1) 手段的(道具的)サポート
   →物質的、手伝いをしてくれる
(2) 情緒的サポート 
   →共感、認める、ケア、傾聴
(3) 情報的サポート 
   →知識、情報、アドバイスをしてくれる
(4) 交友的サポート
   →いつも一緒に遊びにいくなどで所属感を満たしてくれる
(5) 妥当性確認 
   →行動の適切性、規範性の情報提供、フィードバックをしてくれる
 社会的な支援が大事だと言っても、多くの人が周りにいれば良いというわけではありません。大切なのは人間関係の質です。支えられる本人にとって、どのようなつながりが本当に大切なのかを考える必要があります。そして忘れてはならないのは、支えられる人もまた誰かを支えているということです。それは金銭的、物理的のみならず、社会的、精神的に支えあっていることを意味します。このことを意識することだけでも、より精神的に豊かな生活を送ることができるのではないでしょうか。

2.助けるだけでなく助け合う関係があることが健康につながる

1)お互いの「信頼関係」が注目を集めている

 社会的な支援は助ける人から、助けられる人への一方通行の関係ですが、助けられることだけでなく人を助けることも健康にとって大事であると言われています。こうした、お互いに助け、助けられる、助け合いの関係にあることを専門用語で「互酬性(ごしゅうせい)」あるいは「互恵性(ごけいせい)」(reciprocity)がある関係といいます。この互酬性があるつながりというのは、人々の信頼関係によって成り立ちます。互酬性がある地域は信頼関係が強い地域になります。 個人間の信頼ある関係が多くある地域は、安心できたり、安全であったり、みんなで定めたルールを守っていたりするなど、住みやすい特徴が認められます。

 最近、このような、地域に住む人たちがお互いに信頼し合っていたり、多くの人が安心感を抱いていたりする、人と人との間にある関係のことを、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)といい[3,4]、注目を集めています。ソーシャルキャピタルは、お金(金融資本)、住んでいる土地(物的資本)、自分の能力や健康(人的資本)とならんで、その人がその人らしく生き、生産的な活動をしていく上で必要な「資本」のひとつといわれています。ここでは、ソーシャルキャピタルをわかりやすく「信頼関係」と呼んでいきます。

2)信頼関係に注目する理由は「格差」問題から

 これまでは、私たちがよりよく生き、社会を活性化するためには、お金やモノがあればなんとかなると思われてきました。しかし最近になって世界的な不況や、それに伴う市場中心の「小さな政府」といった政治路線によって一層ひどくなった社会格差の問題などから、それだけでは不十分であることが分かってきました。

 信頼関係(ソーシャルキャピタル>)に関する研究は、主に米国の研究者達によって積極的に行われてきました。

 米国では殺人事件による死亡が10代の若年層の死因の2位であり、34歳以下の黒人の死因の1位にもなっています[5]。米国では、徹底していわゆる小さな政府(limited government)の路線を続けており、個人の自己責任を重視する社会になっています。その結果、貧富の差が拡大し、貧困者の増大だけでなく、モラルの低下や犯罪件数の増加などが目立っています。つまり、社会格差が大きい地域であると、人々がお互いに助けたり助け合ったりするような関係が少なくなってくる、言い換えると、信頼関係が低下します。そしてその結果、健康問題が生じた、あるいは、死亡率の増加につながった、という関連性がわかってきました。

3)日本でも信頼関係が見直されてきている

 日本はどうなのでしょうか。1960年くらいまで、日本社会は、アメリカのユダヤ人コミュニティと似て、しっかりと結ばれた家族構造や地域が特徴的であることが言われていました[6]。しかしながら、1990年以降の慢性的な不況や、構造改革やIT革命といったような社会的な大きな変化の時期を経て、現在は、貧富の差も拡大しつつあり、犯罪率も増加傾向にあります。はっきりと示した報告はありませんが、人間関係も疎遠になってきているように感じている人も少なくないように思われます。

 こうした背景によって、日本でも信頼関係が注目されるようになってきています。実際、その人の健康状態は、住んでいる地域における信頼関係が一部関係していることが示されています。そしてその、信頼関係と健康の関係は年齢構成や性別構成、収入にも影響されないとしている報告があります[7]。

4)信頼関係が強い地域に住むことが健康につながるしくみ

 信頼関係が強い地域に住むことと健康との関係はどのようになっているのでしょうか。米国のハーバード大学の河内教授らによると、アメリカの州レベルでの検討では、ソーシャルキャピタルの高い地域は、低い地域に比べて、死亡率が低いことが報告されています。さらに、あなたの健康はいかがですか、という問に対して、「悪い」と回答する人が少ないとも報告されています。

 では、どうして信頼関係が強い土地に住むと人々は健康になるのでしょうか。このメカニズムは4つあるといわれています[8]。
(1) 健康的なライフスタイルの変化...
 ヘルスコミュニケーションのところでもお話ししたような、ライフスタイルが健康に関係するという話です。つまり、信頼関係が強い地域では、健康に良いライフスタイルの人が多くなり、周りの人のライフスタイルに影響されやすいようです。また、一部の健康的なライフスタイルは、地域のルールとなっている場合があります。たとえば若年者の喫煙に対して大人が注意をする、といったことが、その地域では決まり事として定着していたりします。
(2) 健康サービスが整っている...
 信頼関係が強い地域では、健康や生活の安全に関する市民運動やボランティア活動、たとえばドラッグ防止や若者の喫煙禁止、飲酒運転防止の運動などが盛んであったりするようです。そして、行政や医療のサービスをうまく利用し、巻き込んでいます。
(3) ストレスが少ないこと...
 信頼関係が強い地域では、生活上の不安や、精神的な負担をもつ機会が少ないそうです。たとえば周り近所でのトラブルが少なかったり、安全に生活できたりすることから、ストレスが少ない生活を送ることができるようです。 また、こうしたストレスの要因が多少あったとしても、助け合ったり、うまく処理したりできるので、体の問題にはなりにくくなるようです。
(4) 生活や健康に良い政治・政策がおこなわれる...
信頼関係が強い地域では、生活に安全、安心をもたらすような政治がおこなわれやすいようです。これは、こうした政策を掲げる政治家が選挙で選ばれやすいからです。

5)コミュニティの信頼関係づくり

 ヘルスコミュニケーションのところでふれたコミュニティという言葉を思い出して下さい。これまで述べてきた信頼関係は、コミュニティという単位で考えてきたものです。このコミュニティの信頼関係は、どのようにして高めることができるのでしょうか。人々の貧富の格差の拡大がこうした信頼関係の強弱の差を招いているというこれまでの事実からすると、社会経済的格差の縮小もまた健康推進にかかわる政治の重要な政策かもしれません。ただ、これは政策的な方向転換や抜本的な改革が必要で、そう近々には縮小が実現するようには見えません。

 もう少し現実的な方法としては、コミュニティの信頼関係そのものに対して何かするということではありませんが、たとえば、信頼や安全、安心、お互いの助け合いを大切にする意識といった要素を強めるように、コミュニティづくりを行うことが、そのコミュニティの信頼関係を強めることにつながりそうです。このことは、健康的な生活を維持・増進を望むみなさん一人一人が参加して、信頼ある社会を作ることにほかならないといえます。こうして作られた、信頼関係が豊かな地域社会こそが、そこに暮らす人々の健康の維持増進につながってくるのです。

3. オンラインコミュニティとソーシャルキャピタル

 コミュニティといっても、人々が面と面とで向かいあうことができる場における関係ではなく、インターネット上での人々の集まりである「オンラインコミュニティ」と呼ばれる仮想のコミュニケーションの場もあてはまります。オンラインコミュニティは、たとえば、電子メール(メーリングリストを含む)、チャット、インスタントメッセージ(IM)、電子掲示板、あるいはブログ、twitterといった形態でインターネット上に存在しています。 このオンラインコミュニティ>においても、信頼や安全、安心、互酬性の意識、があります [9]。

 たとえば、消費者間オンラインコミュニティというものがあります。ここでは、さまざまな商品を含めて知りたい情報の入手、あるいは情報を批評しあうような場です。こうしたコミュニティではお互いに情報について、星をつけたりコメントを加えたりするなど、相互チェックをします。そうなると、そのやりとりそのものに対する信頼感が高くなりやすくなるそうです。こうしたやり取りがルールや風習となって、お互いの利益を高めることになるといわれています。

 もう一つの例は、育児に大変な人やがんなどの病気を持つ人など、ある程度共通した悩みを抱える人たちのオンライン「セルフヘルプ(自助)グループ」といわれる場です。

 こうした場には参加者自身のそのコミュニティへ参加する度合いが高くなります。そうして参加者同士の「きずな」が強くなるといわれています。また有益な情報を交換し合ったり、精神的にも励ましあったり、強い信頼関係が生じうる場であるといわれています[9]。

 また、Web2.0の部分で説明しましたように、最近、良く利用されているQ&A型ウェブサイトにおけるコミュニティにも信頼関係が見られます。こうしたQ&Aサイトで回答する人たちは、良い回答するとポイントになるので回答をするのですが、基本的には自分のためだけでなく、質問をして困っている人のために回答をします。さらに、質問をしている人だけでなく、似たような疑問を持っている閲覧だけをする多くの人のために回答を書いています。Q&Aサイトの中ではお互いの利益になるという、互酬性、という感覚が強くなっています。これはお互いの信頼関係が強くなりうることを意味しています。

 このようなオンラインのコミュニティの健康への影響についても、そこでの関係の密度が濃い場合ほど、人々は健康に関連した行動を新しく取り入れやすいという研究も出てきました[10]。オンラインでも身近になれば人の健康に影響を及ぼすということです。

   しかし、こうしたコミュニティもまだ歴史は浅く、研究もまだ始まったばかりです。今後、研究をする人たちも、また利用者自身もこうしたコミュニティサイトに参加する際にはどのような態度で参加していくことが、より良いコミュニティになり、自分にとっても益があるのか考えていかねばなりません。説明するまでもありませんが、オンラインコミュニティは必ずしも国や地方自治体が作って守ってくれるわけではないのです。

 インターネット上で情報を得るあるいは交換をする機会が増え、悩みを相談しあうような環境になってきている現在、こうしたオンラインコミュニティにおける信頼や安全、安心、互酬性の意識といったソーシャルキャピタルに注目し、より豊かなソーシャルキャピタルをもったコミュニティを皆さん自身の手で作り上げていくことが必要なのです。

(戸ヶ里泰典、大宮朋子、中山和弘)

文献
[1]Cohen,S., Lynn, G.U. & Gottlieb, B.H.:Social Support measurement and intervention,2000.
[2]久保真人,田尾雅夫:看護婦におけるバーンアウトーストレスとバーンアウトの関係ー.実験社会心理学研究.33-43.1994.
[3]内閣府「ソーシャルキャピタル調査研究委員会(委員長:山内直人・阪大教授)報告書」2003.
[4]Putnum R. Making democracy Work. Princeton University Press, Princeton, 1993. 川田潤一訳.哲学する民主主義ー伝統と改革の市民的構造.NTT出版、2001.
[5]近藤克則:健康格差社会 何が健康を蝕むのか、医学書院、2005.
[6]Blau, Z.S.: In Defense of the Jewish Mother, Midstream, 13, 42-49, 1967.
[7]市田行信:ソーシャルキャピタル―地域の視点から―、 近藤克則編:検証「健康格差社会」、医学書院、107-115、2007.
[8]Kawachi I. Social cohesion, social capital, and health. Berkman LF, Kawachi I. (ed) Social Epidemiology, 174-190. Oxford University Press, New York, 2000.
[9]宮田加久子:きずなをつなぐメディア―ネット時代の社会関係資本―、NTT出版、2005.
[10]Centola, D. The Spread of Behavior in an Online Social Network Experiment. Science, 03 September, 2010.

2008年3月31日

変化で生まれるストレスにどう対応したらよいか

 自分の意識や行動さらには、地域の環境を変えていく際には、いろいろストレスを伴います。なぜなら、生活における変化は、その程度は別として、すべて何らかのストレスなのです。また、病気になっても、さまざまな治療や検査を受けたり、意思決定の必要に迫られることから、ストレスが多い生活を強いられることになりそうです。そして私たちは、ストレスを出来る限り少なくし、うまく通り過ぎ、乗り越えることができれば良いと思います。しかし何気なく私たちが口にしているストレスとは何なのでしょうか。

 ここでは、ストレスとは何なのか、また、ストレスを少なくするということはどういう意味をもつのかについて説明します。そして、生活の中で生じるストレスにどのように対処したり、うまく付き合ったりすることが望ましいのかについて考えていきたいと思います。

1.ストレスとは

 ストレスという言葉は、英語では「圧力」や「圧迫」という意味が最初です。もともとは物に対する力を意味する言葉であったのですが、これを医学的な意味として捉えたのがセリエでした[1]。セリエは、人間は厳しい環境(周りに存在しているモノ、ヒト)にさらされると、はじめはそこに何とか順応しようとするが、徐々に耐えきれなくなって、病気になってしまう、という過程に目をつけました。そして「厳しい環境」を「ストレッサー」、何とか順応しようとしている状況を「ストレス状態」と呼びました。

 このように、かつては「ストレス」を、環境の「ストレッサー」と、人の「ストレス状態」にわけることが提案されていました。その後、心理学者のラザルスは、ここに、「人と環境との相互作用」を加えることを提案しました[2]。つまり、人は、環境とかかわっていく中で、何が、どの程度ストレスなのかを決めているというのです。こうした決定を、ラザルスは「認知的評価」と呼びました。そして、こうした決定を行いながら、周りからの色々な要求や、湧き上がってくる感情を処理していく過程を「対処(コーピング)」と呼びました。

 そこで、ストレッサー、認知的評価と対処(コーピング)、ストレス反応のそれぞれについて、説明していきます。

2.ストレッサーとは

 健康社会学者のアントノフスキーは、人生には「ストレッサー」はあまねく存在していると言っています[3]。つまり、日々の生活も人生もすべてストレッサーで出来上がっている、ということです。言い換えれば、生きるということは、ストレッサーを処理するということになります。

 私たちの周りにあまねく存在するストレッサーは、コーエンらによると大きく3つに分かれます。1つ目は、人生の出来事、2つ目は、日常の苛立ちごと、3つ目は慢性ストレッサーです[4]。具体的にはどのようにわけられているのか、以下順にみていきましょう。
(1)人生の出来事

順位

人生の出来事

ストレス強度

順位

人生の出来事

ストレス強度

1

配偶者の死

100

22

仕事の地位の変化

29

2

離婚

73

23

子女の結婚

29

3

夫婦別居

65

24

親戚関係でのトラブル

29

4

刑務所への収容

63

25

個人的な成功

28

5

近親者の死亡

63

26

妻の就職・退職

26

6

本人の大きなけがや病気

53

27

進学・卒業

26

7

結婚

50

28

生活環境の変化

25

8

失業

47

29

個人的習慣の変更

24

9

夫婦の和解

45

30

上司とのトラブル

23

10

退職・引退

45

31

労働時間や労働条件の変化

20

11

家族の健康の変化

44

32

転居

20

12

妊娠

40

33

転校

20

13

性生活の困難

39

34

レクリエーションの変化

19

14

新しい家族メンバーの加入

39

35

社会活動の変化

19

15

仕事上の変化

39

36

宗教活動の変化

18

16

家系上の変化

38

37

一万ドル以下の借金

17

17

親友の死

37

38

睡眠習慣の変化

16

18

配置転換・転勤

36

39

家族の数の変化

15

19

夫婦ゲンカの回数の変化

35

40

食習慣の変化

15

20

一万ドル以上の借金

31

41

長期休暇

13

21

借金やローンの抵当流れ

30

42

クリスマス

12

 突然、大事件や天災に巻き込まれたり、愛する人が亡くなったり、こうした劇的な出来事は突如としてやってきます。こうした人生上の劇的な出来事のことをライフイベント(人生上の出来事)と呼んで、重要なストレッサーとして位置付けたのがホームズとレイです[5]。彼らは、こうしたライフイベントとして、配偶者の死を100点、結婚を50点として、その他、離婚を73点、夫婦別居を65点、刑務所への収容を63点、さまざまな出来事を列挙した上でそうした出来事が健康に与える影響の度合いとして点数化しました(表参照)。そして、過去1年間に起こった出来事の合計得点が高いほどストレス関連疾患にかかりやすいことを報告しました。ただし、これはアメリカでの研究で、これがそのまま日本であてはまるとは言えませんが、参考にはなります。
(2)日常の苛立ちごと
 日常生活では、交通渋滞に巻き込まれたり、職場の上司に叱責されたり、満員電車に乗ったりすることが、おこりえます。こうした日常仕事や生活を送るうえで頻繁に体験する不愉快な事柄や心配事を、ラザルスは日常の苛立ちごと(デイリーハッスル)と呼びました[2]。日常の苛立ち事は適応性を低下させやすく、気づかぬうちに心身の健康状態に悪影響を与えるという報告もあります[4]。
(3)慢性ストレッサー
 日々、超過勤務のみならず、その手当もつかない職場で、負担の大きな仕事を続けているとか、今日明日にも解雇されるかもしれないような不安定な就労を強いられていると精神的な負担が大きくなります。あるいは、騒音や振動などの物理的な刺激が続く中、生活を強いられたり、職場と家庭とのバランスが取れない状況が続いたり、家事をする上で、家族からのサポートが全くない状態が続くと精神的な負担もまた大きくなってきます。このように、日常生活や社会生活の中で時間的に繰り返されじわじわと影響してくるような刺激を慢性ストレッサーと呼びます。慢性ストレッサーを受けることにより、身体的にも精神的にも健康状態に影響するという研究結果は大変に多く見られてきています[6-8]。

 こうしたストレッサーの種類のなかでも、人生上の出来事や慢性ストレッサーは、次に説明するな生物学的なしくみで、がんや心臓病をはじめとしてさまざまな病気にかかりやすくなると言われています。

3.ストレス反応と適応

 一連のストレス対処の過程を経て、ストレッサーに対抗できないような状態に陥ってしまうと、体の中に変化が起こります。また、行動的にも変化が起こります[4]。

 体の中の変化については、たとえばホルモンのバランスが崩れたり、免疫力が低下したり、体を調節している自律神経系という神経系が不調をきたすことが言われています。また、行動面では、過度の飲酒や喫煙、過食など、体に良くない行動を起こすことによって、より病気にかかりやすくなると言われています。こうした生体のストレスについては、良くまとめられたウェブサイトが多くあります。以下にその一部を示しますので参考にしてください。
 ◆ストレスとは(health click)
 ◆ストレスとは(パブリックヘルスリサーチセンター) 
 ◆藤沢市民講座
~生体ストレスとその生理学的過程について分かりやすいスライド形式の説明

 ◆痛みと鎮痛の研究 - Pain Relief
~滋賀医科大学 生理学講座小山なつ先生の個人サイト

4.ストレスの認知的評価と対処

 環境から刺激を受けると、先ほど述べたホルモンのバランス不調や免疫力の低下といった生物学的な反応がすぐに始まるわけではありません。その前に人間は、頭の中や行動で刺激を判断して処理しようとしています。このように、人がまわりから刺激を受けた時に、それが負担(ストレスフル)なものなのかを判定することを「ストレスの認知的評価」、それに対抗し、処理することを「対処(コーピング)」と呼んでいます[2]。「ストレスの認知的評価」には三段階あります。以下順に見ていきます。

1)ストレスの認知的評価の第一段階...一次評価

 第一段階の評価では、刺激を受けた時に、それが、自分にとって、「無関係」か、「無害―肯定的」か、「ストレスフル」かの判断をします。

 「無関係」は、何の意味も持たず、得るものも失うものもないようなときに判断します。例えば、昨晩、首相が銀座の料亭で食事をした、という情報が入ってきたとします。多くの人(少なくとも筆者)にとってはあまりかかわりのないことなのでそんなとき「無関係」と評価します。

 「無害―肯定的」は、良好な状態の維持や増進に結び付くような場合の評価を指します。例えば、治療の効果があって癌が消えていたことが検査で分かった、という出来事があったとします。この出来事は多くの人にとっては良好な出来事です。さらには、喜びや愛や幸福といった肯定的な感情を伴います。こうした出来事に対しては、「無害―肯定的」という評価を行います。

 最後の「ストレスフル」は自分の価値や目標、信念が脅かされた、危うい、と判断したときに行う評価です。ここにはさらに、「害―損失」「脅威」「挑戦」の3種の評価をします。「害―損失」はすでに、自分の価値や目標、信念が脅かされてしまったときに行われる評価です。例えば、日々健康に気を付けた生活を送っていたにもかかわらず、ある日、健診で重大な病気が見つかったとします。そのとき、それまで健康そのものと思っていたのに、急に病気と向かい合わなければいけなくなってしまい、自分自身の価値に大きな変化が生じてしまったことから「害―損失」という評価をすることになります。

 「脅威」は、実際に「害―損失」は生じていないものの、今後起こりうることが分かった時に行われる評価になります。例えば、癌の治療の選択を迫られたときに、放射線と化学療法を選んだとします。そのときはまだ何も起きていませんが、今後薬や放射線の副作用が起こることが予想できます。この時多くの人は「脅威」という評価をすることになります。

 「挑戦」は、その状況が自分の利益や成長の可能性があると判断したときに行う評価です。例えば、ある人が手術のために2週間会社を休んで入院しなくてはいけないことになったとします。その人はその出来事に対して、自分の体や健康と向き合って体を大事にする良い機会かもしれない、と捉えたとします。その捉え方は「挑戦」という評価をしたことになります。

2)ストレスの認知的評価の第二段階・・・二次評価

 第一段階でストレスフルと評価されたときに、その状況を処理したり切り抜けたりするために、何をすべきかを検討する段階が、第二段階の評価です。ここでは、過去の経験や周りにある資源、その人の性格などに基づいて、いつ、どこで何をどのようにすると最善な結果が得られるのかをいろいろ考えて方針を立てていきます。例えば、先ほどのように、癌の治療として放射線治療と化学療法を選んだ時、今後起こりうる副作用のことを考えると、この出来事を「脅威」と評価しました。そのあとで、例えば、どのような副作用が起こるのか、どのようなことをすれば副作用が最小限で済むのか、という情報を、医療職に聞いたり、インターネットなどで情報を集めたり、過去に経験したことのある人に相談したりすることで、心構えをすることができます。このように、その出来事について検討を行い、対処の準備を行うのが第二段階なのです。

3)ストレッサー対処の戦略(コーピング・ストラテジー)

 この第2段階の対処は、さまざまなモノや情報などを駆使し、戦略を立てて進めていきます。こうした戦略はラザルスによれば大きく二つに分かれます。

 ひとつは問題焦点型コーピングとよばれるものです。これは、問題解決に向けて情報を収集する、計画を立てる、行動する、といったように、ストレスフルな状況とその原因そのものを解決し除去しようとする具体的な努力を意味します。例えば、がんが発見されたとき、慌てふためくのではなくて、医療従事者や、本、ウェブサイト、あるいは学術書などから、正確な情報収集を行って、どのようにして、治療を行っていくのか、うまくがんと付き合いながら治していく計画を練る、といった方法で、「がんの発見」というストレスを乗り越えていきます。こういった戦略を問題焦点型コーピングと言います。

 もうひとつは、情動焦点型コーピングとよばれるものです。これは、気晴らしをしたり、先のことをあまり考えないようにしたりすることなど、ストレッサーによって生じた不快な感情をうまく取り払ったりコントロールしたりすることを指します。例えば、がんが発見された例では、発見されたショックで泣き叫んだり、絶望して、医療関係者や家族に冷たくあたったり、罵ったりするようなことで、「がんの発見」というストレスを乗り越えようとするようなことが挙げられます。一見するとあまりよろしくない戦略のようですが、ストレスを抱えたときに感情を抑えきれなくなってしまうことはしばしばで、仕方ない部分もあります。あるいは、我慢して感情を押し殺し過ぎてしまうのも問題です。こうしたときに、話を聞いて感情を抑えてくれる家族や友人や医療従事者がいることが大事です。

4)ストレスの認知的評価の第三段階・・・再評価

 二次評価を経てストレッサーの処理が進められる間に、さまざまな経験をしたり外から情報が入ってきます。こうした新しい情報によってこれまでの一次評価、二次評価を再度評価することになります。ストレスフルな経験に対してうまく処理しえるような方略をとりえたのか、本当に脅威と評価して良かったのか、ここで評価をし直すことになります。

 ここで評価をし直した結果、実はストレスフルでなかった、というように評価するかもしれませんし、うまく対処する方略を選べて、乗り越えたと評価するかもしれません、あるいは、最初の評価よりも実はもっとストレスフルな刺激であって、うまく乗り切れなかった、と評価するかもしれません。うまく乗り切れなかった、と再評価した場合には、不適応ということになって身体的な影響を受けることになります。
 そして、この段階で行われることで、もっとも重要なことは、それまでの第一段階、第二段階を経て現在に至るまでの流れを振り返ることによって、その意味づけが行われることです。例えば、第一段階で下した評価は間違っていなかった、ということを振り返ることができれば、それは自分の自信につながっていくかもしれません。あるいは、第二段階でストレスを対処していくにあたって、必要であった対処資源について、改めてその大事さに気付き、今後の対処にも生かしていくことができるようになるかもしれません。

 つまり、この最後の再評価の段階は、こうしたさまざまな気づきを通じて、自分のストレス対処を推し進めていく力をつけていく段階ということもできます。

5)ストレス対処を押し進めていく力

 これまでに、ストレスの認知的評価と対処について順を追ってみてきました。ラザルスは、第一段階でストレスフルであると感じないと評価したり、二次評価でより効果的に対処を進めていったりするときに、資質や感覚や信念、いわばその人の「ストレス対処を押し進める力」が大きく関与していると述べています。また、第三段階では、対処の流れを振り返ることで、ストレス対処を推し進めていく力が付けられていくことに触れました。つまり、ストレスを乗り越えていくためには、うまくいくという自信が必要でしたし、また、自分の力だけでなく、周りのモノやヒトによって助けられながら乗り越えていきました。この「ストレス対処を押し進めていく力」とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。

 こうした力として、首尾一貫感覚(sense of coherence)が挙げられます。

 ストレスを乗り越えるには自分の力だけではなくて周りにあるモノやヒトが不可欠です。自分の力だけではなく、こうした周りにあるモノやヒトやそれをうまく使いこなしてうまくストレスを乗り越えることができる総合的な力が首尾一貫感覚です。

 首尾一貫感覚とは、生きている世界が首尾一貫している、筋道が通っている、わけがわかる、腑に落ちるという感覚です。3つの感覚より成り立つとされています。第一に、自分が置かれている、あるいは置かれるだろう状況がある程度予測でき、または理解できる感覚、 第二に、周囲の様々な様々な資源をうまく使いこなして問題に対処できる感覚、第三に、日々の営みにやりがいや生きる意味を見いだせる感覚です。この首尾一貫感覚は、自分の内面の感覚だけでなく、周りの環境(ヒトやモノなど)も一体化させたうえでの感覚であることが特徴で、この感覚が強いことによって、ストレスにうまく対処できることと言われています[3]。
 

5.ストレス対処には「資源」が必要~資源理論について

 これまで、ストレスが処理されていく過程、そして、ストレス対処の戦略や力についてみてきました。しかし、首尾一貫感覚のところで触れたように、ストレス対処は、自分の力だけで行っているのではありません。所々で述べてきたように、私たちは周りにある、人やモノに頼りながら、ストレスを乗り越えています。こうしたストレス対処に役立つモノや情報あるいは人のことを一般に「対処資源」と呼んでいます。

 こうした対処資源を使って、どのようにストレッサーを処理していくのか戦略を立てることになります。また、ストレス対処を推し進めていく力は、こうした対処資源を効率よく動員していく力(資源の動員力)ということができると思います。

 アントノフスキーによると、対処資源には様々なものがあって、遺伝や免疫などといった生物学的なものに始まり、カネ、体力、住居、衣類、食事、権力、地位、サービスの利用可能性、あるいは、知識や知性、知力を挙げています。さらに、人間関係もまた資源になるとしていて、社会参加・地域参加といった社会や地域とのかかわりや、友人知人家族などからのサポートも有力な資源になります。さらには、宗教やイデオロギーや哲学もまた、対処資源になりうるものです。

 ホブフォールもまたアントノフスキーの説に大変に類似している仮説を提案し、首尾一貫感覚や、ストレス対処を押し進める力として注目されていた楽観主義(オプティミズム)などのストレス対処を押し進める力をまとめて「キーリソース(カギとなる資源)」と呼びました[9]。そして、こうしたカギとなる資源が、その他の身の回りにある対処資源を動員し、あるいはうまく組織化させることによってストレスを乗り越えていくとしています(資源理論)。

6.資源が不足することがストレス源になる~資源の保存理論

 さらにアントノフスキーは資源がなくなることがストレスの源となると述べています。そして、ホブフォールは、人は一人ひとり「資源プール」と言われているプールをもっていて、その中の資源は出たり入ったりしており、資源の一つを失うとき、例えば友達が失われるとき、あるいは、自分の財産がなくなってしまうとき、人はストレスとして大きな衝撃を受けることになり健康へのダメージにつながってしまうと述べています。そのストレスを乗り越えるためには、資源プールのなかにある別の資源が動員されることになります。つまり、「資源」は、ストレス対処に必要であるばかりか、欠けてしまうと逆にストレッサーそのものにもなってしまうものなのです。

 遺伝子や、お金や土地といった資産もさることながら、私たちが生きていく上で特に重要な資源は、「人」だと思われます。「人」の助けなしに生きていくことは難しいことはだれもが知っていることだと思います。こうした人からの支援を「ソーシャルサポート(社会的支援)」と呼びます。また、支援は必ずしも一方向に受けるものだけでなく、助けてあげるということも含んだ両方向のものです。そして、だれか特定の人に偏るのではなく、助けたり助けてもらったりする関係は、網の目のように広がっています。こうした支援の広がりはソーシャルサポートネットワークと呼ばれ、多くの研究がおこなわれています。ネットワークが広く密度が濃いほど、「資源」が豊富であるといえます。

 次は、個人のストレス対処にも重要な役割を果たしている人と人との関係のネットワークについて説明していきます。

(戸ヶ里泰典, 中山和弘)

文献
1)Selye, H. (1936). A syndrome produced by diverse nocuous agents. Nature, 138, 32.
2)Lazarus, R.S., Folkman, S. (1984). Stress, appraisal, and coping. Springer Publishing Companey, New York.
3)Antonovsky, A. (1979). Health, Stress, and Coping: New perspectives on mental and physical well-being. San Francisco: Jossey-Bass Publishers.
4)Cohen, S., et al. (1995). Measuring stress A guide for health and social scientists. Oxford University Press, New York.
5)Holms, TH and Rahe,RH.(1967). The Social Readjustment Rating Scale. Journal of Psychosomatic Research, Vol. 11, pp. 213 to 218. 6)Hurrell, JJ, McLaney MA. (1988). Exposure to job stress: A new psychometric instrument. Scandinavian Journal of Work, Environment & Health, 14, 27-8.
7)Landsbergs PA, Schnall PL, Belkic KL, Baker D, Schwartz J, Pickering TG. (2001). Work stressors and cardiovascular disease. Work , 17, 191-208.
8)Markland S, Bolin M, Essen J.(2008). Can individual health differences be explained by workplace characteristics? ―A multilevel analysis. Social Science & Medicine, 66, 650-62.
9)Hobfoll, S.E. (1989). Conservation of resources: A new way of conceptualizing stress. American Psychologist, 44, 513-524.

ライフスタイルや環境を変化させるための方法

1.健康に影響する個人の行動と環境

 人のあらゆる行動は、良くも悪くも、直接的にも間接的にも健康に影響しています。がん、心臓病、脳卒中、糖尿病、喘息などの慢性疾患とよばれる病気は、全死亡数において高い割合を占めています。そして、これらは高額な医療費や労働力の損失を招いています。慢性疾患ではそれらが発生する確率を高める要因をリスクファクターと呼んでいます。

 私たちの健康を決定しているものは何でしょうか。現在の主な死亡原因となっている病気は、がん、心臓病、脳卒中で、この3つで死亡する人の6割以上を占めています。これらを含めて、死亡に関連している要因、リスクファクター(危険因子)は何でしょうか。次の図を見てください。アメリカとカナダでの生存年数(75歳まで)に影響を与えている4つの要因が描かれているグラフです。



 これらの半分を占めるのは、喫煙、運動不足、飲酒、過食、ストレスへの対処などの健康に関連した行動で、ライフスタイルとか生活習慣と呼べるものが多く含まれています。そのため、日本ではこれらの慢性疾患を生活習慣病と呼ぶようになりました。また、検診や自覚症状による受診行動は早期発見・早期治療につながります。さらに、病気になった場合の服薬や手術、化学療法、食事・運動療法などの治療法の選択や実施といった行動もその後の治癒や再発などの経過に影響しています。

 次に多くを占めるのは遺伝と環境です。遺伝には、先天的な病気や自然流産などが含まれています。これらは、遺伝子治療などの進歩があるとはいえ、我々の力ではなかなか変えることは難しいのが現状です。

 環境はどうでしょうか。環境にはおもに3つがあります。食品や空気、水、薬品、騒音、ごみ、下水などの物質的な環境、感染症や様々な病気と関係のある微生物などの生物学的な環境、過密と過疎、急速な社会変化、疎外とストレス、利己主義、他者への無関心などの社会的な環境です。これらは、個人ではなかなか変えにくいものですが、社会で力を合わせれば変えられる可能性を持つものです。そして、それを可能にするのは一人ひとりの意識と行動になります。その意味では、これも行動が重要だということです。

 最後は保健医療です。これは、医療に関わる人たちによってより適切なものへと変えていかなくてはなりません。しかし、そこにはその利用者である多くの市民や患者の力も必要です。医療者に対する直接の態度や行動も、法律や制度に関わる投票行動や社会活動もそれらに影響を及ぼすことができるでしょう。こうしてみると、私たちの行動が健康を大きく左右していることがわかります。

2.行動の根拠となるエビデンスと疫学

 このような図を描くためには、行動と健康に関連があり、因果関係があることを証明しなくてはなりません。それを専門としている学問領域は、疫学です。それによって、その関連の根拠すなわちエビデンスが生み出されています。保健医療の専門家はそれを情報や知識として普及させ、リスクのある人には行動を変えるように促すわけです。

 そのための世界的な健康政策がヘルスコミュニケーションといってよいでしょう。健康のプロモーション(普及、推進)活動です。プロモーション活動というのは、コミュニケーション活動であって、健康に影響を与える要因への意識や関心を高めて、それを変えることを促進するメッセージを送ることです。そのとき、個人の力だけでは生活や環境を変えることは難しいということが問題になります。喫煙などの習慣化している生活は、無意識に自動的に行われるので、周囲からの支援がないと行いにくいものです。そのため、ヘルスコミュニケーション活動では、行動を変えられるような支援的な(サポーティブな)環境をつくることが強調されています。これは、言い換えると社会のありかたを健康的なものに変化させようというものでもあります。さらにいえば、何もわざわざ努力しなくても、子供の頃から自然と健康な行動を習慣として身に付けて行く社会をつくればよいと思います。

 しかし、専門家がエビデンスを紹介したとしても、全員が行動を変えているわけではありません。確かに一般の人々の知識は、科学的な根拠についての情報の影響を受けています。しかし、それとは別に自分や周囲の人の経験も強く影響しています。一人ひとりはその経験をとおして健康と病気がどのようなものかについて学習しています。

 そこには、専門家に対する信頼もあれば、批判的な眼もあるでしょう。健康の大切さを実感することもあれば、それがあたかも義務のように強制されることへの反発を感じる人もいます。健康に対する自己責任の部分と、企業や行政の責任の部分もあります。その人の育ってきた環境もあれば、時代の雰囲気や世間の風潮など様々なものに影響を受けています。そして、その中では、それぞれ人がそれぞれのの疫学、すなわち病気の原因に対する考え方を持っているといえるでしょう。

3.健康と関連している行動の種類

 それでは、人々の行動で健康と関連していると考えられる行動にはどのようなものがあるでしょうか。これは保健行動とも呼ばれます。その種類についてあげてみます。様々なものが考えられています。

1)予防行動

 自分が健康と思っているあいだに、人々が健康のためにしている行動は、主に病気を予防目的の行動になります。具体的には(1)睡眠時間(2)食習慣(3)体重管理(4)身体活動(5)飲酒(6)禁煙(7)シートベルト・ヘルメット着用・安全運転(8)職場の健康と安全の規則の順守(9)予防接種(10)定期検診(11)ストレスマネジメント(12)安全な性行動、などです。しかし、予防にとどまらず、より高い健康レベル、その最高レベルを目指しての行動(ウェルネス行動などと呼ばれます)も考えることができます。

2)リスク対処行動

 また、とくに病気はなくても、健康診断などにより、血圧、血糖値、コレステロール、肥満、喫煙などについての病気になるリスクについて指摘されます。心臓病や脳卒中、糖尿病などの慢性疾患が無自覚で進行しやすいので、常にリスクを監視しておく方法がとれられています。それゆえに、そのようなリスクそのものが、病気と扱われる傾向まで出てきていますが、それにどう対処するかです。そのリスク対処行動がその後の健康状態に影響します。具体的には上であげたような予防行動と同様ですが、動機づけが変わってきます。

3)病気行動

 病気行動とは、聞きなれない言葉かもしれませんが、自分が病気ではないかと疑いはじめたときにとる行動です。心身の症状をどのように受け止め、どのような援助を求めて行動するかです。このとき、すべての人が医師を受診するとは限りません。国内外の調査では、多くの人は何もしないか、市販薬や代替的とか相補的と言われる療法、いわゆる民間療法を利用していると指摘されています。また、重篤な人ほど受診せず、軽微な人ほど受診するという場合もあり、医師にとっては必要のない受診は望まない反面、素人判断をしないで専門的な判断を仰いでほしいというジレンマがあります。

さらに、医学的には同じ症状や病気であっても、社会や文化によって、受け止め方が異なっています。例えば、同じ病気でも社会的に孤立するものと捉えれば受診や診断を敬遠する要因になりますし、社会的義務からの解放と捉えれば、診断書はその証明書となり、病気を受け入れやすくなります。

4)病者役割行動

 医師に病気と診断されたり、それ以外でも病気と指摘された人、または自分でそう判断している人がする行動のことを病者役割行動または患者役割行動といいます。医師の処方などを受け入れるかどうか、行動を制限したり、家庭や仕事での役割を制限したりするかです。さらに、回復のためにリハビリなどを行うかもそうです。どのような治療でも不確実性を持つものですから、病気の社会生活への影響、薬の有害作用(副作用)、治療方法の失敗や再発のリスク、医療ミスや医療事故のリスクなどの情報も考慮しつつ、意思決定する必要があります。

5)妊娠・出産・子育てにおける健康関連行動

 妊娠・出産に至る行動や、責任を負っている胎児や子供の健康を確保、維持、向上させるために行われるさまざまな行動です。

6)健康関連の社会活動

 個人や組織で、保健医療のありかた、環境の影響など、多くの人の健康に影響を与える社会のありかたを変えるような活動への参加です。法律の改正を訴えたり、財政的な支援を獲得したり、政治的な活動など幅広いものが含まれます。

4.行動を左右している個人の意識

 このような健康に関連した行動は、すべての人が健康にとって必ずしも望ましいかたちになっているわけではありません。どうしてでしょうか。これらの行動に影響を与えている人の特徴を調べた研究があります。順番に紹介していきましょう。

1)行動への期待と価値=ヘルスビリーフモデルの4つの信念

 健康教育でもっとも古くから知られているものに、アメリカで開発されたヘルスビリーフモデル(保健信念モデル)があります。予防接種、受診行動、食事制限、禁煙などの多くの行動の予測に使われてきています。そこでは、つぎの4つの信念が重要と考えます。

(1)問題の起こりやすさ
 自分がある病気(例えば、心臓病、糖尿病、感染症など)になりやすいとか、すでに病気にかかっている人にとっては、重症化したり、合併症が出たり、再発したりなど何らかの問題などの発生のしやすさについての認識になります。例えば、世間である病気などの健康問題が増えているといつも報道されていたり、家族がなったからとか、自分が太っているからとか、何らかの思い当たる要因があるとより高くなるでしょう。

(2)問題の重大性
 自分が病気にかかったり、問題が発生したらどのくらい重大なことになると思う程度です。かかったら治らないとか、苦痛が待っているとか、お金がたいそうかかるなどです。これは結果に対する「価値」についての意識ともいえます。

 これは上の「問題の起こりやすさ」と合わせて考えると、「確率」×「価値」で、「リスク」の定義と一致します。この2つで、健康問題へのリスク認識になっています。それが強くなれば、リスクを避けるような行動をとるだろうという考え方です。ヘルスビリーフモデルはこのように、「確率」と「価値」という期待価値理論に基づいています。言い換えると、「現在」とっている行動によっておこる結果への期待と価値でもあります。

(3)行動の利益(効果)
 病気を予防するためにすすめられた行動が、利益をもたらすか、効果があるのか、実際に病気になるリスクを減らせると思う程度です。例えば、肥満を解消したら、ほんとうに心臓病にならなくて済むのか、年を取ってから禁煙してもリスクを減らせるのか(減らせます)などです。これは、行動に対するいいことが起こるだろうという結果への期待と価値になっています。

(4)行動の障害(バリア)
 病気を予防するためにすすめられた行動を実施することに伴って、損失や障害(バリア)が生じると思う程度です。例えば、ダイエットで飲食の楽しみがなくなるとか、人付き合いがしにくくなるというようなものです。これは、利益の反対で、よくないことが起こるだろうという結果への期待と価値です。これら2つは、上の2つが「現在」の行動の結果に対する意識であったのと比べると、それをやめて「新しい」行動をとった結果にたいする意識であるとも言えます。「現在」の行動を改め、「新しい」行動を採用した方が、利益が大きいかどうかという判断です。

 この4つの信念で、どれが最も行動に影響しやすいと思うでしょうか。病気や予防行動にもよるのですが、全体としては行動の障害であることが知られています。したがって、リスクや新しい行動のメリットばかり強調しても、実際の行動を妨げているものがあると行動しにくいので、それを取り除くことが重要であることがわかります。たとえば、検診にいくかどうかは、めんどうかどうかが一番影響していたという研究もあります。

 この4つの信念は、予防的な保健行動や健康管理のための健康教育のプログラムを計画、実施するには欠かせず考慮しなくてはならない基本です。

2)行動に対する自己効力感=自信

 つぎにあげるのは、自己効力感(セルフエフィカシー、self-efficacy)です。これは、いくらある行動に対する意欲があっても、それが実行できるという自信です。実行に移すには自信が持てないと難しいことが知られています。毎朝のジョギングを始めるにも、それができる能力が自分にあるかです。いつも寝坊しているならできるでしょうか、運動がもともと好きでないなら自信が持てるでしょうか。自信が持てないと、能力がないのだと思い、実際にやってみようと思わなくなるで、さらに自信がつくチャンスまで失ってしまいます。実際に能力がなくても、思い込みでもよく、それが実際のチャレンジを持続させ、成功に結び付くというものです。

 では自信が持てない場合は、どうすればよいのでしょうか。自己効力感を提唱したバンデューラは主に次の2つで学習されていくと述べています。

(1) ごほうび、報酬
 難しかった、あるいは怖かった課題について成功した経験を通して、喜びやごほうびを得て自信がついていくものです。インセンティブと言ってもよいでしょう。そのためには、成功する見込みのある目標を立てることです。目標が高すぎる場合は、それを低くして、少しずつでも達成する喜びが、自信に変わります。10kg減量などと大きな目標でなく、1kgなど実現できる量にすることが必要でしょう。それでももちろん、長期的な目標に達するまでには短期的に見れば失敗もあるでしょうが、それに耐える力が必要です。

(2)観察学習、モデリング
 他の人々を観察して学習するものです。それは、モデルとなって、自分がどうすればよいかをおしえてくれます。タバコをやめようと思っているけど、友人が苦労しているのをみて自分もそうなると思う人は止められないでしょう。そうではなく、逆にうまくいったモデルを見れば自分の期待を高めることができます。とくに年齢や性別など、自分と似ている人がモデルになるとよいでしょう。

 また、自己効力感そのものが、周囲の環境との相互作用で決まるものでもあります。例えば、職場で周りが誰もたばこを吸っていなければ、禁煙の自己効力感は高くなりますし、みんながヘビースモーカーなら低くなるでしょう。このように、周囲の人々との相互作用や影響によって、自己効力感が変化して行動に影響するという考え方は、社会認知理論として知られています。個人の行動を見るときは周囲の行動がどうのような状況なのか注意してみておく必要があります。

3)行動しようという意図

 これまで見てきたように、病気のリスクを避けるために、すすめられた行動がいいことは、よくわかっていて、それを実行する自信があるとひとは行動するでしょうか。禁煙なんていつでもできるんだよ、ダイエットだってやればできるんだからと思っている人はいるでしょう。でも実際にはなぜしないのでしょうか。意図的に実行するわけでなく、計画的に実行時期について意思決定していないからです。いつでもできるなら明日からできないといけないのですが、そうと決められないからです。

 したがって、そこではいつ実行するのかの意図がなくてはなりません。それが実際の行動へのあと一歩を規定しているのです。これはアイゼンとフィシュバインという2人が考えた計画行動理論(プランドビヘイビア理論)というもので強調されているものです。

4)主観的規範=他者に対する期待と価値

 また、自分でいくらその行動が必要で大事だと思っていても、それだけで人は行動するでしょうか。もしかすると、家族や同僚、友人などがよく思わないのではないか、もしくは、それが達成するのが難しそうなことだとすると、周囲の協力がないと難しそうだけど、果たしてそれが得られそうかと考えるでしょう。すなわち、私たちは周囲の自分にとって重要な人の意見や考え方に影響されているので、自分の方向性と一致しているかどうか考えるわけです。そのような周囲の人が自分にそうしてほしい、そうなってほしい、サポートしたいと思っているかどうかについての意識を主観的規範あるいは主観的社会規範と呼んでいます。これは言い換えれば、周囲の人が自分の行動に賛成したりサポートしてくれるという期待と価値に対する意識です。

 これもアイゼンとフィシュバインによる計画行動理論で主張されたもので、自分の行動しようと思う気持ちだけでなく、それが周りから自分に求められていることなのかという気持ちと結びついてこそ人は、実行しようと決めるのだという考え方です。この理論もやはり、予防接種、喫煙、検診受診、運動、アルコール、薬物依存、家族計画など幅広い保健行動の予測で実績をあげてきています。


 以上をまとめると次のような図になります。



5.意識の変化の段階(時期)

 行動に影響する個人の意識の種類については、上でのべたもので終わりなのですが、最後は、行動しようという意図の時期の問題です。どんな行動の変化でも、まずそうした方がいいということを知らないか、知っていても本当に自分にあてはまることなのかに気づいてないところから始まります。そのほとんど関心がない時期(無関心期)から、自分のためになるのだということに気づき(関心期)、実行するにはどうしたらできるかを考え(準備期)、変化を開始したら、自分へのごほうびを考えて自信をつけるようにし(行動期)、行動がもとにもどらないようにしている(維持期)という5つの時期を経るという考え方です。
 次の表の通りです。



 これは、プロチャスカとディクレメンテ(Prochaska & DiClemente, 1983)が作ったもので、変化のステージモデルと呼ばれるものです。時間という次元を考えているもので、変化は時間を伴うことに注目しています。人が今どの時期にあるのか、例えば、禁煙なら、やめる気があるのかないのか、いつ始めるのか、始めたのか、どれだけたつのかによって介入方法すなわりサポートする方法が違うというものです。

6.行動を左右している社会的なネットワーク

 これまで見てきたように、行動が個人の意識によって影響を受けている部分もありますが、主観的規範や自己効力感への影響要因で示されたように、周囲の影響、社会の影響は少なくありません。そのなかで最近注目されているのは社会的ネットワーク、人と人とのつながりです。ハーバード大学の医療社会学者クリスタキスは、友人の友人の友人の体重が増えると、その人の体重も増え、友人の友人の友人がタバコをやめると、その人もいつのまにか禁煙しているということを明らかにしました。まるで伝染するかのように、健康に関する行動が伝わっているというのです。また、幸福といったポジティブな感情のほうが、ネガティブな感情よりも早く伝わるといいます。これは、ポジティブなものが私たちの社会の団結力をつくるからだといいます。
 したがって、人々が、禁煙や減量など、少しでも健康になることで幸せをえようとすれば、自分は友人に、友人は自分に、それだけではなく、その友人の友人にまで影響するということです。そうすると、なるべく多くの人がより健康になることが、全体として健康になるということです。自分が健康になるための努力は自分のためだけではないし、家族や友人の健康を支援することは、自分のみならず、社会全体に影響するということになります。
 このように、人々の行動が集団で形成されているという視点も重要です。これについては、ヘルスコミュニケーションの考え方の中心にあるものでもあります。

(中山和弘)

参考文献
・Karen Glanz, Frances Marcus Lewis, Barbara K. Rimer(曽根智史ら訳)『健康行動と健康教育:理論,研究,実践』,医学書院,2006.
・松本千明『医療・保健スタッフのための 健康行動理論の基礎』,医歯薬出版、2002
・Karen Glanz, Barbara K. Rimer, Sharyn M. Su: Theory at a Glance: A Guide for Health Promotion Practice. National Cancer Institute, 2005. PDFファイル
・ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』,講談社,2010.  これは面白い。

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