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毎日新聞コラム「健康を決める力」 アーカイブ

2017年11月13日

第1回 膨大な情報、適切に選択

毎日新聞 2017年4月23日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


中山さんが開設したサイト

健康を決める力(http://www.healthliteracy.jp/)


 子供の頃、ぜんそくやへんとう炎でよく学校を休みました。家では、ミミズの煎じ薬を鼻をつまんで飲みました。数年前、母親にあなたミミズ好きだったわねと言われて、ショックでした。何も決められない自分がいました。それでも、胸に手を当てるとゼーゼーが楽になる気がしました。

 中学では、誘われるままサッカー部に入りました。クタクタで帰って寝てしまうので、体が弱いのだからやめなさいと言われました。それでも学校を休まなくなり、もう自分で決めていいのではと思いました。

 大学では、就職が全く決められず、誘われるまま大学院に進みました。その頃、女性に「ほんと決められない人ね」とグサリ。胸に手を当てて考えました。

 そんな私は、ヘルスリテラシーを研究しています。それは健康や医療の情報を入手し、理解し、評価して、適切に決められる力です。自分にないものを研究することは、意外にあることです。決められる人は、決めればよいだけですから。

 リテラシーとは読み書き能力のことですが、社会に参加して、自分の潜在的な力を引き出して自己実現できる力で、人間の尊厳を表すものです。健康情報の読み書きでも同じで、ヘルスリテラシーは健康や生命と密接につながっています。

 ヘルスリテラシーが注目される理由は、専門化が進んで選択肢や情報が増えた中で、それが低いと健康状態がよくない、それが健康格差の要因であることが明らかになってきたからです。今や途上国を含めて、私たちの健康を決めている最大の要因は、ライフスタイルや行動の選択です。そのため、生活習慣病の予防や、その進行を抑えるための選択肢や情報が増え続けています。わかりやすくて信頼できて自分に合った情報がないと、適切に決められないのです。

 私たちの調査では、日本人のヘルスリテラシーは、欧州8カ国やアジア6カ国と比較して最も低いものでした。理解できたとしても、判断したり決めたりするのが難しい傾向がありました。決められないのは私だけではないようです。これらは個人の能力だけではなく、環境にもよります。

 自分の人生について、胸に手を当てて、心の声を聴いて、自分で決められれば幸せだと思うようになりました。そのためヘルスリテラシーを「健康を決める力」と呼びました。私たちは、まだまだ学ぶ必要があるようです。その手助けのためにサイトを作りましたので、ぜひご覧ください。

次回は5月28日掲載

第2回 多くの選択肢確保を

毎日新聞 2017年5月28日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


意思決定例

意思決定例


 小2の時にバスにはねられました。いつもは学校前の歩道橋を渡っていたのに、歩道橋と横断歩道のない下の国道を渡るのと、どちらが早いか友達と競争になったのです。言い出しっぺが先に歩道橋の方に走って行って、いつの間にかゲームは始まり、気がついたら病院でした。

 何も決めた覚えはありません。「決める」とは「意思決定」とも呼ばれます。それは行動する前に二つ以上の選択肢から一つを選ぶことです。私に残された選択肢は下の道路だけでした。意思決定できない中で、命を落とすところでした。

 人生は流れにまかせてきたという方はいませんか。私もその口ですが、自分で決めたつもりでも、実は選択肢が一つしかなかったのかもしれません。それでも「これでいいのだ」とわかったような顔で受け入れてきたことも少なくないように思います。小さな頃から、複数の選択肢を探す意識を持たないと、意思決定が苦手になるのでしょう。

 特に大事な意思決定の場面で、後悔しないようにするには、相応の数の選択肢が必要でしょう。よりよい意思決定のためには、可能性のある選択肢をすべて入手すること、くれぐれも途中で選択肢を消さないことが大事です。以前、看護の方々を前にした講演で「結婚相手を探しているなら福山雅治さんを遠慮しないで選択肢に入れてください」と話しました。選択肢に入っていれば、たとえ見込みが低くても、チャンスは残されています。そして、いつでも消せるのです。

 例えば、医師に「あなたの場合、手術か抗がん剤治療......そんなところですね」と言われた場合、医師の考えで選択肢が消されているかもしれません。患者の意思決定を尊重する医師なら「手術か抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン療法、代替療法、少し様子を見て経過観察、があります。それぞれの長所と短所は○○と××......」と言ってくれるでしょう。もし「もうできる治療はありません」と告げられても、選択肢なしで意思決定はできません。自分の前にすべての選択肢がそろっているかを医師に確認する必要があります。

 情報とは意思決定に必要なもの。意思決定をするのは情報の提供者ではなく、受け手です。受け手中心の信頼できる情報とは、選択肢のリストとそれぞれの長所と短所の説明によって、意思決定を支援するものです。選択肢を消すのは、すべての選択肢をよく理解して、胸に手を当てて、何が大事かを決めた後です。

次回は7月2日掲載

第3回 選択の自由 幸福感に

毎日新聞 2017年7月2日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 高校1年生の終わりに、友人と署名運動を起こしたことがあります。理系と文系のクラス分けを3年から2年に早めるという決定に対する抗議でした。寝耳に水で、すぐには決められない(文系女子と離れたくない......)という思いからでした。しかし、結局は失敗に終わりました。インターネットがない時代の16歳にとって、職業選択につながる意思決定を急に強いられるのは、ハッピーな経験ではありませんでした。

 内容は違いますが、健康情報をもとに意思決定できる力であるヘルスリテラシーは、日本では高くないというのが私たちの調査結果です。では、どの国が高いかといえば、15カ国・地域の調査ではオランダでした。オランダでは、利用者満足度第1位の在宅ケア組織ビュートゾルフが広く普及しています。看護師である創業者によれば、その根底に「自分の人生の中で起きるいろいろなことについて自分で判断して決定できれば、自分の人生に自ら影響を与えられるし、より幸せな人生を送ることができる」という信念があるそうです。選択の自由を重視し、そのために必要な情報を提供する。情報の公開度は世界でトップクラスです。

 世界の幸福感の調査によれば、人生の選択の自由度が高い国ほど幸福感が高い傾向にあることがわかっています。オランダが人生の選択の自由度とともに幸福感も世界の上位なのに対し、日本の幸福感は先進国では低めで、人生の選択の自由度は最低ランクです。

 保健福祉の例をあげれば、少子化に関連して「非正規雇用で結婚できるか」「結婚して姓を選べるか」「結婚しなくても子供を産めるか」「仕事と子育てを両立できるか」などがあり、また、喫煙は、死因1位であるがんに関する予防可能な最大の原因ですが、これも世界の国並みに「飲食店で受動喫煙をしなくて済むか」があげられます。


ヘルスリテラシーの平均点

 私たちは、選択の自由が無い状況が健康と幸福感に影響していることに気付く必要があるようです。その原因を知って、それを変えるために意思決定して行動できる力、すなわちヘルスリテラシーが求められます。受動喫煙については、「#たばこ煙害死なくそう」などの数々の署名運動が展開されています。私も賛同して参加をしています。

 高1の終わり、私たちは集めた署名を抱え先生たちと交渉に臨みました。しかし、校則を盾にした先制攻撃を受けて沈黙し、すごすごと撤退してしまいました。後で聞いた話ですが、先生たちは、もしあの時きちんと署名を手渡されていたら対応に困ってしまっていたそうです。一人一人の思いを声にして届けることの大切さを学んだのでした。

次回は8月6日掲載

第4回 その情報、信頼できる?

毎日新聞 2017年8月6日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


いなかもち

 健康情報をネットで調べる授業で、顔のしわ取りなどで注射する「ボトックス」(芸能人で利用が多いとか)に関する発表がありました。検索結果には美容医療の広告サイトが並び「安全性」を追加しても結果は変わりませんでした。

 ヘルスリテラシーとは、健康や医療の情報を入手し、理解し、評価して、適切に決められる力で、スタートは情報の入手です。信頼できる情報源がなければ、その力も発揮できません。そこで私たちは昨年、全国の約1000人を対象に、情報源に関する調査を行いました。今後、必要になったら必ず利用したい情報源として、断然トップの約8割が選んだのは、グーグル(Google)などの検索サイトでした。厚生労働省や研究所などの信頼できるサイトも選択肢にあげましたが、1~2割しか選びませんでした。誰もが知るような、ここぞというサイトは無いようです。

 しかし検索サイトで上位にヒットしても信頼できる保証はありません。昨年、医療サイトの不正確な記事が問題になったように、質が低くても、工夫で上位に出せるのです。その工夫をSEO(検索エンジン最適化)対策と言います。逆にこれが不十分だと、税金を使って専門家らが一般市民向けに作成したサイトも見てもらえません。以前、学会で専門家らにSEO対策の必要性を述べましたが、「それは何ですか」という反応でした。存在が知られていない上、表示の順序のしくみは非公開なので素人には理解が難しいのです。

 では、検索で見つかる情報の信頼性をチェックする方法はないでしょうか。私の大学のプロジェクトで「い・な・か・も・ち」という方法を考案しました=表。「いなかも」は20年前に米国医師会が、患者がネットを通じて、医療者並みの医療情報を得る際に不可欠、と提示した4条件と同じです。文字を入れ替えると、「か・ち・も・な・い」(確認しないと情報に価値もない)になります。

 しかし、なぜ患者や市民がこのような努力をしなければならないのでしょう。授業では「botox」と英語で検索してもらいました。すると米国立医学図書館が国民向けに、わかりやすく医療情報を提供するサイト「MedlinePlus」(メドラインプラス)がヒットしました。その用途や副作用の簡潔な説明、関連する学会や組織による解説、ビデオ、論文などの情報源が入手できます。日本には、このようなサイトがありません。この違いを見るたび、眉間(みけん)のしわが深くなります。

次回は9月10日掲載

第5回 元ネタは同じでも

毎日新聞 2017年9月10日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


メドラインプラスの健康情報の質の指針

 日本では、新聞や雑誌、テレビを信頼している人の割合が、他の国より突出して高いことが知られています。最近の「世界価値観調査」によれば、米国が2割ほどなのに対し、日本が7割以上です。

 このためでしょうか、私たちの調査では、健康情報の信頼性を確認する「いなかもち」--(1)いつ(2)なんのために(3)書いた人は誰(4)元ネタは(5)違う情報との比較は--が、日本では半分も実行されていません。確認個数が最も多かったのは「0」で、4人に1人の割合でした。そこで「いなかもち」を複数の新聞に取材してもらい、その報道のされ方を比較してみました。

 元ネタは同じでも、新聞社によって確認するポイントや掲載内容が違いました。ある新聞では、見出しが「ネットの医療情報、4人に1人がうのみ」となっていました。インパクトはありますが、もっと軟らかい表現を想定していました。

 別の記事では健康情報を見極め意思決定する力である「ヘルスリテラシー」の名付け親が私になっていました(名前が似ていてもiPS細胞を名付けた山中伸弥教授のようにはいきません)。いかに元ネタの編集と確認の違いが記事の違いにつながるかがわかりました。

 では新聞やテレビを信頼しない国では、何が信じられているのでしょう。米国には世界中の医学系論文すなわち「健康情報の元ネタ」を集めたデータベース「メドライン」があります。国が税金を使った情報は国民の資産という考えから、1997年にインターネットで無料公開されました。当初は専門家より一般市民が自分や家族・友人のために利用したそうです。信頼できる元ネタの需要が高いことがわかり、翌年、一般向けの「メドラインプラス」ができました。元ネタに詳しい医学図書館員らの知恵を集めたそうです。

 そこでは、健康トピックが簡潔に解説され、専門情報にリンクが張られています。リンク先は国の研究機関が中心ですが、それ以外の優れた情報も提供するため、指針を設けています(表)。例えば情報源の名簿は公開が原則で、その名前を検索して発表論文を確認できます。さらに広告なしの無料公開などの条件もあり、これらを満たす情報だけが掲載されます。

 開始当初は米国でもネットの健康情報の信頼性を確認した人は少なかったそうです。だからこそ厳しい指針をクリアした信頼できる情報源を作ったのです。みなさんは何を信じますか。

次回は10月15日掲載

2017年11月17日

第6回 信頼できる情報、どこに

毎日新聞 2017年10月15日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 子どもが幼い頃、腕から床に落ちて、肘が曲げられなくなることがありました。これは以前、仲のいい先輩の子どもがなって驚いたという肘内障(ちゅうないしょう)かも、と思いました。肘が抜けたような状態で、先輩からは「『子ども 腕 だらり』で検索するとわかるんだよ」と聞いていました。

 それでも医者に診せた方がいいと思って、もう夜でしたが、何とか病院を見つけて受診しました。ところが専門外の医者でレントゲンでもわからず、帰ってきてしまいました。このままにはできないと思い、ネットで見つけた図やビデオを見比べて試したところ、元に戻すことができました。危なっかしい話ですが、感動して、その後も何度か治した記憶があります。これも、たまたま聞いていたから探せたわけで、そうでなければ、かわいそうに、小児科を受診するまでそのままにせざるを得なかったでしょう。

 やはり健康情報というのは今すぐに欲しいものです。すぐに受診できなかったり、受診しても解決しなかったりする場合は特に、インターネットが役に立つことが望まれます。しかしどうも、日本では、健康情報を見つけるのが難しいようです。私たちの調査では、気になる病気の症状や治療、心の健康問題に関する情報を見つけるのが「難しい」と答えた割合は、5割前後でした(表)。病気の予防に関する情報や生活習慣の改善の情報でも3~4割です。健康情報を入手し、理解し、評価して、適切に決められる力であるヘルスリテラシーが欧州8カ国の調査で最も高かったオランダでは「難しい」は1割前後しかなく、大きな差がありました。オランダでは多くの人が英語を使えて、米国立医学図書館のメドラインプラスへのアクセスが多いというデータもあります。

 見つけるのが難しい中で、多くの人がネットで検索していて大丈夫なのでしょうか。以前、ネットで健康情報を調べたことで問題が発生したと思われる事例がないかと、Q&Aサイトに寄せられた質問を検索しました。最も多かったのは、ネットで調べるほどわからなくなったり、不安が増したりするといった「新たな情報でかえって混乱する」という事例でした。その次は「見つけても理解できない」「探しても見つからない」でした。  この状況では、英語を勉強するか、ネットの翻訳機能を活用するのが早いでしょうか。ちなみに肘内障は英語でnursemaid's elbow(子守の肘)と言います。子どもの腕を強く引くとなるからのようです。わかりやすく混乱しない健康情報へとやさしく腕を引いてもらいたいものです。

次回は11月19日掲載


健康情報を見つけるのが「難しい」と回答した割合の比較

●気になる病気の治療に関する情報を見つけるのは
日本:53.3% オランダ:12.3%

●ストレスや抑うつなどの心の健康問題への対処方法に関する情報を見つけるのは
日本:52.9% オランダ:22.0%

●気になる病気の症状に関する情報を見つけるのは
日本:46.1% オランダ:7.5%

●受けなくてはならない予防接種や検診に関する情報を見つけるのは
日本:40.1% オランダ:11.6%

●太りすぎ、高血圧、高コレステロールなどの予防法や対処法に関する情報を見つけるのは
日本:34.7% オランダ:6.3%

●喫煙、運動不足、お酒の飲み過ぎなど不健康な生活習慣を改善する方法に関する情報を見つけるのは
日本:28.3% オランダ:2.8%

2017年11月21日

第7回 情報をどう見極める?

毎日新聞 2017年11月19日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 7年前に、新聞社からメディアの健康情報の見極め方について初めて取材を受けて、記事が掲載されました。記事では、ちょうど開設したばかりのサイト「健康を決める力」を紹介してもらいました。健康情報を入手して活用する力であるヘルスリテラシーについて解説したサイトです。ところが、記者の方から、メールで「近くのページに『○○が××に効く』という怪しげな広告が載ってしまいました」と連絡がありました。記事が果たして広告を見る上で役に立ったのかが気になりました。

 そしてちょうど1年前、医療サイトの不正確な記事が問題になって、たくさん取材がありました。騒動をどう思うか、どう対処すればよいかという取材でした。ネットの健康情報については以前から似たような状態だったので、問題にならないと注目されないことがよくわかりました。

 取材に来る方は「健康を決める力」を見てという方が多く、中には「読んでファンになりました。お会いしたかったです」と言う方もいました。「信頼できる情報」とは科学的根拠(エビデンス)が明確な情報を指すことなどをわかりやすく説明してありますが(図)、日本ではそのような内容の市民や患者向けのサイトが少ないからだと思います。

 取材では、すぐに使える見極めの技を求められがちですが、工夫はできても、本来は子供の頃から身に着けておくべき力です。なかなか急には難しいです。ある医学部の3年生を対象にした調査でさえ、結果は決してヘルスリテラシーが高いとは言えませんでした。彼らの感想は、学ぶ機会がなかったというものでした。

 ヘルスリテラシーは、個人の能力と環境の相互作用でつくられます。信頼できる情報を手に入れるのが難しい環境だと、その能力は身に着けにくく、逆に能力が低くても、容易に手に入れられる環境であれば身に着く機会が増えます。

 では、情報が入手しやすく学びやすい環境に変えるにはどうしたらよいのでしょうか。実はヘルスリテラシーは、自分個人のためだけでなく周囲や社会に働きかける能力でもあります。情報を求めても得られない、わかっていても行動に移せる環境ではないという理由で、あきらめて沈黙している方はいないでしょうか。たとえ不利な状況に置かれても沈黙するのではなく、環境を変えるために行動できる能力もヘルスリテラシーです。  最近また、取材の依頼がなくなりましたが(飽きられた?)、健康情報の見極め方はどれほど普及したでしょうか。喉元過ぎれば、では環境は変わらないです。

次回は12月24日掲載



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「信頼できる情報とは何か」 『健康を決める力』より

2017年12月26日

第8回 統計理解しリスク回避

毎日新聞 2017年12月24日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 看護学生に統計を教えて30年になります。数字が苦手な人でも、どうすると理解しやすいかを考えてきました。今月、円の重なりの図で説明する「看護学のための多変量解析入門」(医学書院)という本を出版しました。看護で有名なナイチンゲールは、死亡率を比較してその原因を究明するなど、統計の先駆者として広く知られています。

 もちろん、統計に触れるのは医療者だけではありません。一般向けの健康情報でも、その元ネタは研究論文で、ほとんどで統計、しかも多変量解析が使われています。多変量解析とは、物事の要因が複数ある時に効果を発揮する手法です。

 私の本では、女性の髪の長さと彼氏の有無の関係を例に説明しました。「髪の短い人ほど彼氏がいる」という結果があった場合、一見、髪の短さが彼氏ができる要因のように見えます。しかし実は背後には髪の短い人ほど活動的で、活動的であることが彼氏がいる真の要因だったという事実が隠されていたりします(看護と関係ないですが)。生活習慣病のように、年齢、喫煙、運動、食事など要因が多い場合は不可欠な方法です。

 多くの健康情報では「運動すると病気のリスクが20%減る」などと統計的な数値が紹介されます。しかし、どれくらい正確に理解されているでしょうか。基本的な数値を理解できる能力のことをニュメラシー(numeracy)といいます。英語のナンバー(number)と読み書き能力のリテラシー(literacy)からできた造語です。

 では、日本人のニュメラシーはどのくらいでしょう。私たちの調査を含め、ニュメラシーの測定の問題3問にすべて正解した人は5~6割でした。これらは、確率や%の理解なので、健康情報でよく登場しますが、理解が難しい方が少なくないかもしれません。このような中、日本の小中学校、高等学校の学習指導要領が新しくなって、ようやく統計教育が2011(平成23)年から段階的に取り入れられましたが、どうなるでしょうか。

 すでに海外では、ニュメラシーが低いとリスク情報の理解が難しいと報告され、図を使うなど伝わりやすい方法の研究が積み重ねられてきています。心臓病のリスクは、死亡率よりも心臓年齢で伝えた方が強く感じやすいが、その後の行動の変化には差がないという研究も目にしたことがあります。このような研究が進まないと効果的な方法がわからず、うまく伝えようがありません。

 誰もが健康情報を理解できるよう支援するためにも、医療者が統計をよく理解していないと困るので、少しでも役に立てればと願って本を書きました。もし、お知り合いに統計が苦手という方がいらっしゃれば、冬のギフトに......。

次回は2月4日掲載


ニュメラシーの測定 Schwartz尺度日本語版(Okamoto et al.,2012)
●問1 1~6のいずれの目も同じ確率で出る6面サイコロがあります。これを1000回振った場合、偶数(2、4、6)の目は何回出るでしょうか。
●問2 ある宝くじでは、1%の確率で1000円が当たります。1000人がそれぞれ1枚ずつ宝くじを購入した場合、1000円が当たるのは全部で何人でしょうか。
●問3 ある宝くじでは、1000分の1の確率で車が当たります。このくじ券のうち、何%に車が当たりますか。


正解:問1 500回 問2 10人 問3 0.1%

2018年2月 5日

第9回 医学用語は「難しい」

毎日新聞 2018年2月4日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 昨年12月に出版された五木寛之さんの「健康という病」を読むと、前々回(11月掲載)のこのコラムを読んでヘルスリテラシーという言葉を知ったことが書かれていました。そして、次々と新語が登場して、ついていくのが一苦労だが、その力を養えという意見に全面的に賛成だとあり、とてもうれしい思いをしました。

 新語といえば、先月10年ぶりに改訂された「広辞苑」の第7版が話題になりました。今回は、医学用語が重点分野とされ、これまでで最大規模の400語が追加されたそうです。医療の進歩は速く、私も新しい言葉についていくのは大変です。早速、「ヘルスリテラシー」を探しましたが、やはり追加されていませんでした。がんばって10年後に期待です。

 ヘルスリテラシーとは、健康情報を入手して、内容を理解した上で、評価して適切に決められる力ですから、正しく理解できないとどうしようもありません。専門家が次々と新しい医学用語を使って情報提供すれば理解できないのは当然です。実際、日本では、健康情報が手に入っても理解するのはやや難しいようです。私たちの調査では、医師から言われたことなどを理解するのが「難しい」と回答した割合は、2~5割ありました(表)。ヘルスリテラシーが欧州8カ国の調査で最も高かったオランダと比較すると、差がありました。

 理解が難しい理由には、子供の頃からの健康教育の不十分さもあるでしょうが、専門用語の使用も考えられます。私の周りの医療者でも、自分が使っている言葉が専門用語だと気がつかなくなっているとよく聞きます。学生が作る調査の質問項目にも、一般の人は理解できないような専門用語が使われていることがよくあります。「その言葉って高校生の時には知らなかったのでは」と聞くと、「知らなかったかどうか、もうわからなくなっている」と言われました。米国では医師会が作成したヘルスリテラシーに関するマニュアルがあり、専門用語は使わず、お茶の間や家族の間で話されている言葉を使うようにと書かれています。

 専門家というのは専門以外のことには詳しくないわけですから、ある意味では「おたく」です。それは「広辞苑」の第6版では「特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人」で、第7版では「特定の分野・物事には異常なほど熱中するが、他への関心が薄く世間との付き合いに疎い人」となっています。医療関係者はもっと世間と茶飲み話をしたほうがよいようです。

次回は3月11日掲載


健康情報を理解するのが「難しい」と回答した割合の比較
●心の健康を維持する方法に関する情報を理解するのは
日本:49.3%
オランダ:17.3%

●医師から言われたことを理解するのは
日本:44.0%
オランダ:8.9%

●薬についている説明書を理解するのは
日本:40.8%
オランダ:13.1%

●健康になるためのメディア(インターネット、新聞、雑誌)情報を理解するのは
日本:33.6%
オランダ:13.6%

●処方された薬の服用方法について、医師や薬剤師の指示を理解するのは
日本:25.6%
オランダ:2.1%

●予防接種が必要な理由を理解するのは
日本:21.7%
オランダ:4.8%

2018年3月12日

第10回 対話で生まれる理解

毎日新聞 2018年3月11日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


価値観に合った選択をすることが重要

患者が情報を十分に理解して価値観に合った選択をすることが重要
(「健康を決める力」http://www.healthliteracy.jp/より)


 先月出版された孫大輔さんの「対話する医療--人間全体を診て癒すために」(さくら舎)が、(私の本と共に)好評です。健康や医療において対話が持つ力を、わかりやすく解説しています。孫さんは日本では貴重な家庭医で、人生の伴走者のように人間と家族全体を診るために対話を大事にします。それでも、診察室では患者が本音を話せていないと感じて、患者・市民と医療者が対等に対話できる場として「みんくるカフェ」をつくりました。出会いはツイッターでしたが、私の研究室に社会人大学院生として所属し、カフェの参加者の意識調査を実施しました。調査を通じ、多様な価値観を持つ人との出会いから、多くの人がものの見方が変わる学びを得たり、ヘルスリテラシーを向上させたりしていることが明らかになりました。その成果で、孫さんは看護学の博士号を取得しました。

 カフェに参加し、話題提供をしたことがあります。患者中心の意思決定、すなわち患者が情報を十分に理解して自分の価値観に合った選択をすることについて話しました。その中で「インフォームドコンセント」に触れました。広辞苑にも載っている言葉で、医療現場ではIC(アイシー)として定着しています。「説明と同意」と訳されますが、「インフォームド」とは「情報を得た上での」「情報に基づいた」という意味なので、説明するだけでなく、患者が情報を十分に理解する必要があります。

 教育現場では「これはもう説明したはずです」などと学生や生徒に嫌みを言う教員がいるかもしれません(私も言いそうになります)。しかし、実は教員が十分に理解させていなかっただけだとも言えます。

 では、聞き手が情報を十分に理解できているかは、どのようにしてわかるのでしょう。授業や講演では、何度もうなずきながら聞いてくれる人を見かけます。しかし、後でその人が書いてくれた感想を期待して読むと、「意外と理解してくれているわけでもないなあ」と思うことがあります。これを他の教員などに話すと、みんなが思い当たる「あるある話」のようです。

 カフェでのある医師の発言を覚えています。「自分は患者にわかりやすく説明していると思っていたが、そう思っていたことが傲慢だったと気づかされた」と。わかったかどうかは相手に確認するしかありません。このような気づきが生まれるからこそ、対話は大切で、「みんくるカフェ」の活動は全国に広がっています。

次回は4月22日掲載

2018年5月24日

第11回 記録文書を残す意義

毎日新聞 2018年4月22日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 行政の文書のあり方が問題になっています。それで思い出すのは10年ほど前、大学で歴史的な資料や文書について検討する委員会に入った時のことです。日本の大学は、学内の文書をきちんと保管・整理して公開する文書館(英語ではアーカイブと言います)の設置の点で、世界から大きく遅れていることを知りました。

 欧米では、図書館、博物館、文書館の三つがそろっているのが近代大学の証しだと聞きました。実際に大学の文書館に行って1920年代の時間割を見せてほしいと頼むと、専門職員(アーキビストと言います)がすぐに出してくれるそうです。日本の大学で初めて本格的な文書館を設けたのは京都大学で、2000年のことでした。翌年に施行された情報公開法が契機だったそうです。

 日本の国立公文書館の職員数が四十数人なのに対して、米国では数千人規模であることにも驚きました。そして、米国の国立公文書館のサイトを見ると「民主主義はここから始まる(Democracy Starts Here)」という一文が目を引きました。

 同じ頃、乳がん患者への医療やケアで、さまざまな職種の医療者がかかわることの意義を明らかにする研究に加わっていました。「現在、安心して治療を受けていますか」「病気や治療について十分理解できるまで、医療者はあなたに説明していますか」「あなたの意向に沿った医療が行われていると思いますか」などの項目を患者に回答してもらい得点化しました(表)。得点が高い患者ほど患者中心の医療を受けられていると考えられます。その結果、得点が高い患者ほど、医療者同士が自分のことについてよく連絡をとりあっていると思うと回答していました。

 より患者中心だった病院には、どんな特徴があったでしょうか。数多く分析しましたが、関連した要因はわずかでした。それは、多職種の医療者が参加するカンファレンス(会議)が定期的にあり、その記録が各職種の視点を盛り込んだ形式だったことです。さまざまな職種の記録があってこそ、患者は医療者同士が自分のためにコミュニケーションをとっている様子を目に浮かべられるのです。

 そこで学んだことは、人々の対話やコミュニケーションとそれに基づいた意思決定の記録を文書として残す意義です。文書を歴史として蓄積することが、文化や信頼関係を育みます。それは、一人一人がそこで生きた証しにもなります。
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患者から見た患者中心の医療の項目
(Komatsu,et al.,The Open Nursing Journal,2011より)
●現在、安心して治療を受けていますか
●医療者はあなたの意向や問題に迅速に対応していますか
●病気や治療のことについて十分理解できるまで、医療者はあなたに説明していますか
●病状や治療の変化があった時、状況に応じて適切な援助を受けられていますか
●あなたの意向に沿った医療が行われていると思いますか
 回答は「大変そう思う」(5点)から「全くそうは思わない」(1点)までの5段階で合計点を算出
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毎日新聞掲載記事はこちら

次回は5月27日掲載

2018年7月 3日

第12回 「選択肢は一つ」は疑え

毎日新聞 2018年5月27日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


医療機関ネットパトロール

「医療機関ネットパトロール」のサイト画面


 今年の米国アカデミー賞を受賞した辻一弘さんのメークが話題になった映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を見ました。第二次世界大戦で英国が窮地に陥り、チャーチル首相が意思決定を迫られた時の話です。ヒトラーと戦うか和平交渉かという選択肢から一つを選ぶ作業です。国民の生命と誇りのどちらが大事か、という価値観が問われた難しい意思決定でした。

 彼の妻の言葉「迷いがあるから賢くなれる」が印象に残りました。英語のセリフは「You are wise because you have doubts」でした。「doubt」は辞書を調べると最初に「疑い、疑念」とあり「疑うからこそ賢い」とも訳せます。さらに「疑いは、知の始まりである」というデカルトの言葉が載っていました。目前に一つの選択肢しか見えない時にそれを疑い、他の選択肢と比べることの大切さです。

 チャーチルはヒーローになりましたが、それはあとになって思えばであって、多くの犠牲者を出したことからも、別の選択肢だったらという意見もあるようです。人は結果を知ると「そうなるとわかっていた」と思いやすい傾向があります。結果を知らなければ、予測できなかったはずなのに、記憶がゆがめられます。これは後知恵バイアス(偏り)、結果論とも呼ばれるものです。本来、意思決定が正しかったかどうかはそのプロセスの適切さ、すなわち選択肢をきちんと比較したかで評価すべきです。

 健康に関する意思決定ではどうでしょう。世間には一つの方法を選んだ結果「これでよくなった」「これでやせた」と紹介する情報があふれています。ようやく、来月1日から、医療機関のウェブサイトが広告として規制されます。虚偽や誇大表示はもちろん、体験談も禁止です。疑わしいサイトを厚生労働省「医療機関ネットパトロール」(http://iryoukoukoku-patroll.com/)に通報できます。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やブログ全盛の現代では、結果論のような記事や書き込みが後を絶ちません。求められるのは、一つだけの情報を疑い、別の情報と比較して決める力です。  次回のコラムは、サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の1次リーグ終了後です。「1次リーグは突破するとわかってたよ」と思わず言ってしまえることを期待します。

次回は7月1日掲載

第13回 どんなものにも光と影

毎日新聞 2018年7月1日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


運動不足による肥満の場合の検証バイアス


 サッカー・ワールドカップ(W杯)では日本が決勝トーナメントに進むと思っていました(前回紹介した後知恵バイアスです)。初めて決勝トーナメントに進んだ2002年の日韓大会を思い出します。生きている間に二度と日本では開催されないと決め込み、ネットでのチケット発売では、パソコン操作の技を編み出して何試合も観戦できて(日本戦はダメでした)夢のようでした。

 しかし、サッカーには良い思い出ばかりではありません。学生の頃は下手だった上に、高2の時の部活の試合中に頭をぶつけてけいれんを起こし(覚えていません)、救急車で運ばれた(乗る時に意識が戻り「大げさじゃないか」と言ったのを覚えています)のをきっかけに、やめてしまいました。

 健康のために草サッカーなどすればよいのに、どこか抵抗がありました。「運動なんて体に良くないよ」という昔聞いた体育の先生の言葉(かなり激しい運動の話でしょうが)を持ち出して言い訳に使ってしまう自分がいます。健康関連のニュースは毎日チェックしていますが、健康に効果のある"最低限の"運動の研究に目が向きがちです。

 人には自分の主張や思い込みを支持する情報や、自分に都合のいい情報ばかり集めて、自分の主張を強化しようとする傾向があります。これを確証バイアスといいます。身近な人に「周りの赤いものを全部メモして」と指示して、目を閉じてもらい「青いものは何があった?」と聞いてみてください。見たいものだけを見て、見たくないものは見ていません。医師の診断でも自らの仮説を支持するデータを集めたり、仮説に沿うようにデータを解釈したり、仮説を否定するような検査を避けたりすることがあると報告されています。

 ヘルスリテラシーをテーマにしたある講演の終了後に「自分が信じたい情報ばかり探してしまいますがダメですか」と質問されました。この方は確証バイアスを自覚されていました。私は「人には偏見や期待があって、それに沿って考えてしまう傾向があります。だから長所だけの情報や短所だけの情報は要注意です。どんなものにも光と影があります。選択肢を並べて、信じたいものの短所と信じたくないものの長所を十分理解しているか確認しましょう」と答えました。

 私も見たくないものは見ないようにしがちです。サッカーをしていた頃とは大違いのおなかを見る時、へこませる癖をやめたいです。

次回は8月5日掲載

2018年8月22日

第14回 ギャンブルVS統計学

毎日新聞 2018年8月5日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


2分の1の確率でも数字が偏るところができる


 カジノ法が成立し、ギャンブル依存症が問題になっています。20年近く前、パチンコにハマった学生が、まだ知られていなかったギャンブル依存症を卒業研究のテーマにしたのを思い出しました。学生からは、いつもいいことがあるより、たまにいいことがある方にひかれる現象(「間欠強化」と言います)を教わりました。めったに勝たない方が喜びは大きいわけです。パチンコ客を調査すると、依存性が高い人ほど治療や援助を受けたくないという回答があり、問題の根深さをうかがわせました。

 実は、私も学生時代には当時出た777で大当たりのパチンコや、特にパチスロにハマりました。続けて大勝ちしたビギナーズラックのためです。親からもらった授業料までつぎ込んでしまい(初告白です)、深く反省したと同時に、統計学に救われました。

 当時はまだ「根拠に基づく医療」という言葉はありませんでしたが、それに統計学は不可欠です。今や、私の授業では、ビギナーズラックなどで思い込みが起こる仕組みを説明しています。見てもらうのは、表計算ソフトに関数を組み、0と1の数字のどちらかを、2分の1の確率でランダム(無作為)に何百個も並べる作業です。すると、ランダムとは、すべてが適度に散らばるのではなく、意外と0か1のどちらかに偏ったところができるのです。

 「1=勝ち」とすると、最初にたまたま1ばかり出てしまった場合、結果としては勝ち続けて、私のように「才能がある」と思ってしまいます。血液型と性格の関係には科学的根拠はありませんが、きちょうめんそうな人に「A型?」と聞けば、5人に2人はA型ですから、続けて当たれば信じてしまうかもしれません。一旦信じてしまえば、その後は外れれば「珍しいね」、当たれば「やっぱりね」でしょう。

 もし事前に0と1が出る確率が2分の1だとわかっていない場合はどうでしょう。数字をいくつ並べたら、確率を正確に予想できるでしょうか。10個程度では0か1に偏るかもしれません。これが病気の予防や治療の効果(効果あり=1、効果なし=0)の判定だったら重大です。何百何千と多い方が正確に近づくことがわかります。そこから1が多いところだけを抜き出すなど論外で、すべてを公表しなくてはなりません。

 昔、パチンコ屋に向かう時、預けた貯金を下ろしに行ってくると言っていました。何とも情けない話ですが、高い授業料を払いました。

次回は9月9日掲載

2018年9月20日

第15回 ストレス対処の「資源」

毎日新聞 2018年9月9日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 「健康を決める力」というサイトで、「健康とは何か 力、資源としての健康」という記事をようやく掲載しました。何を健康と考えるかによって、健康のために選ぶものも異なると考え、以前から書かねばと思っていました。

 厚生労働省の「国民生活基礎調査」(2016年)によると、「あなたの現在の健康状態は」という質問に対して「よい」20・7%、「まあよい」17・8%、「ふつう」47%、「あまりよくない」11・2%、「よくない」1・8%となっています。「よい」「まあよい」「ふつう」を合わせると85・5%が、自分は健康だと考えています。この割合は、年齢が上がるほど低下しますが、65歳以上でも75%ほどあります。病気やけがで通院している割合は、20~30代の約2割に対し、65歳以上は約7割であるにもかかわらずです。傷病の有無だけが健康の判断材料でないことがうかがえます。

 では、私たちは何を理由に健康だと判断するのでしょう。厚労省の「健康意識に関する調査」(14年)では、「病気がない」「おいしく飲食できる」「身体が丈夫」など、主に身体的な側面が上位を占めました。この他、選択項目には「不安や悩みがない」「幸せを感じる」「前向きに生きられる」「生きがいを感じる」などの精神的な側面や「人間関係がうまくいく」「仕事がうまくいく」「他人を愛することができる」「他人から認められる」という社会的な側面も挙げられています。

自分の健康を判断する際に、重視した事項(厚生労働省「健康意識に関する調査」2014年)
 これらの三つの側面は、広く知られる世界保健機関(WHO)の健康の定義「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(1948年)にもあります。この定義は三つの側面の調和を視野に入れている点で評価されています。

 一方で、「完全に良好な状態」という表現が、理想的な「状態」を求める姿勢につながり、医療への過度の依存を助長するという問題点も指摘されていました。そして現在では、健康を「状態」ではなく、状態を変化させる「力」として捉え直そうという提案が多くの専門家から出されています。

 背景にあるのは、ストレスや病気は人生の一部であり、否定したり排除したりするものではないという考え方です。この考えの下では、ストレスや病気に対処するための知識や情報、周囲からのサポートなど多様な「資源」が必要です。ストレスをきっかけに、こうした「資源」を入手する「力」であるヘルスリテラシーを身に着けることが、健康につながると言えます。

次回は10月10日掲載

2018年10月22日

第16回 自己決定と幸福感

毎日新聞 2018年10月10日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


三つの選択肢

「健康を決める力」のホームページより


 ポルトガルで行われた保健医療分野のコミュニケーションをテーマとした学会に参加しました。タイルに彩られた街並みと同時に、世界中の研究者の熱い思いに魅せられました。最も多かった発表は、医療者が患者と情報や価値観を共有し、患者の決定を支援するものでした。これはシェアードディシジョンメーキング(協働的意思決定など)と呼ばれています。

 他方、医療者が意思決定する従来の方法はパターナリズム(父権主義)と呼ばれます。これは父親が小さな子の意向を聞かず、よかれと思って決定するのが由来ですが、医療の発展で選択肢が増えると、患者の価値観がより重要になります。例えば、乳がんの場合、すべて切除する方法だけでなく、乳房を残す方法やすべて切除した後に人工的に乳房をつくる方法も選択肢になっています。そのため、日本乳癌(がん)学会では、患者は詳しい説明を聞いて、自分の希望も伝えて、納得して決めることを推奨しています。

 世界で自己決定が重視されるのは、それが人間の生まれ持った性質として幸せなことだと考えられているからです。果たして日本ではどうでしょうか。先日、神戸大の西村和雄特命教授らの研究が目を引きました。2万人の調査の結果、健康、人間関係に次ぐ要因として、所得、学歴よりも「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていました。高校や大学などの進学先や初めての就職先を誰が決めたかという質問に「自分で希望を決めた」を選んだ人ほど幸福感が強くなっていました。健康に関する自己決定ではありませんが、健康が最も強く幸福感と関連していたので、自分で健康を決める力があればさらに幸福感が高まるかもしれません。

 加えて、この調査では「全く希望ではなかったが周囲の勧めで決めた」を選んだ人ほど不安感が強い傾向がありました。私たちは、さまざまな常識やしがらみと無縁ではないので、勧められると断りにくいものです。したがって、医療者を含めて十分に情報を集めた上で、最終的には他者の影響を受けずに自分一人で決めたい場合もあるでしょう。これをインフォームドディシジョンメーキング(情報に基づく意思決定)と呼びます。

 このように、決め方に三つの選択肢があることを知り、必要に応じて使い分けられるのも幸せかもしれません。ポルトガルでは日差しの強い日が続き、グリーンワインと呼ばれる爽快な選択肢を知ったことも収穫でした。  

次回は11月14日掲載

2018年11月27日

第17回 精神疾患が教科書に

毎日新聞 2018年11月14日 東京朝刊掲載

聖路加国際大教授 中山和弘 著


 先日、2022年度から高校の保健体育の教科書に精神疾患の記述が40年ぶりに復活するというニュースが目を引きました。新学習指導要領には「精神疾患の予防と回復には、運動、食事、休養及び睡眠の調和のとれた生活を実践するとともに、心身の不調に気付くことが重要であること。また、疾病の早期発見及び社会的な対策が必要であること」と盛り込まれました。これらは、海外ではメンタルヘルスリテラシーと呼ばれ、学校教育にも取り入れられています。

 精神疾患は、がん、脳卒中、急性心筋梗塞(こうそく)、糖尿病と並ぶ5大疾病の一つです。中でも患者数は300万人以上と最多で、生涯で5人に1人が経験します。自殺者の9割がかかっているという報告もあり、自殺は15~34歳の死因の1位を占めます。これは主要先進7カ国では日本のみです。2分の1が10代半ば、4分の3が20代半ばまでに発症するといわれ、知識がないと早期発見につながらず、偏見や差別、いじめにつながります。

 先月、日本精神科診断学会でヘルスリテラシーのシンポジウムがあり、日本人が苦手な健康に関する意思決定の支援方法について話しました。その他の演題で興味深かったのが、精神疾患に関するネット検索の研究です。メンタルヘルスリテラシー不足の多くの若者は、精神的な不調を感じた場合、ネット検索に向かいます。そこで「うつ 診断」などと検索すると、セルフチェックのサイトが現れ、回答すると「病気の疑いがある」といった受診を勧める結果が出るそうです。早期発見につながる可能性はありますが、十分な科学的根拠があるとは言えません。発表者は、本質的な問題から目をそらさせたり、病気と思い込んで苦しんだりするリスクがあると指摘していました。他方、英語で検索すると、病気の説明が中心で、セルフチェックは見当たらないそうです。これは日本人が自分で意思決定することを避けて、誰かに決めてもらおうとする傾向が強いためではないかという議論がありました。

 新学習指導要領の保健の分野全体では、小中高を通じ、心身の健康には不可欠な「課題を見付け、その解決に向けて思考し判断する」という問題解決力や、意思決定力といった健康を決める力に関する項目が新設されました。中高では「健康に関する情報から課題を発見し」という文言も加わりました。先生や生徒・児童を応援するためにも、問題解決の選択肢とその長所・短所をよく知り、自分の価値観に合った意思決定をすることの大切さを伝えていきたいです。

次回は12月19日掲載



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新学習指導要領の保健で新設された項目(一部抜粋)
【高校】
  • 生涯を通じる健康に関する情報から課題を発見し、健康に関する原則や概念に着目して解決の方法を思考し判断するとともに、それらを表現する
  • 健康を支える環境づくりに関する情報から課題を発見し、健康に関する原則や概念に着目して解決の方法を思考し判断するとともに、それらを表現する
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    2018年12月28日

    第18回 子ども時に判断力を

    毎日新聞 2018年12月19日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


     温泉が魅力の大分での日本学校保健学会に参加しました。子どものヘルスリテラシーに関心を持つ方々との意見交換と、保健の新学習指導要領に関するシンポジウムを聞く目的でした。

     ヘルスリテラシーとは、健康や医療の情報を入手、理解、評価して適切に意思決定できる力です。大人になって急には身につきません。日本のように信頼できる情報を入手しにくい状況ではなおさらです。これまでの保健の授業では情報を入手して理解することが中心でしたが、氾濫する情報の中で適切に判断できる力を身につけることへの転換が必要です。

     生活習慣病の時代には、どの生活習慣が自分の健康に関係しているかの判断が大切です。しかし私たちの20~69歳を対象とした調査では、それを判断するのが「難しい」と答えた割合は5割弱いました。欧州8カ国の調査で最もヘルスリテラシーが高かったオランダでは5%でした。また治療法の選択肢は増えていますが、治療法が複数ある時、それぞれの長所と短所を判断するのが「難しい」と答えた割合は日本の7割に対しオランダは3割でした。総じて日本人は理解まではできても、選択肢を見極める判断力が養われていないと思われる結果でした。欧米の教育では未就学児から意思決定ができることを目標に掲げています。

     新学習指導要領では「思考力・判断力・表現力」という課題の解決の「力」が明確に盛り込まれました。学会シンポジウムでは、長年必要とされていたものが実現した喜びと共に、まだ不十分なので厚生労働省との連携を強化したり新科目として作り直したりすべきだといった指摘もされました。

     健康とは、心身の状態だけではなく、それを自分(たち)で変えられる「力」、生きる意味や生きがいを感じて「生きる力」を指します。からだのことに始まり、細菌やウイルスなどの多様な生物、食や薬、運動と睡眠、ストレスと対処、性とジェンダー、老化と死、人間関係やコミュニケーション、社会と文化、メディアと情報リテラシー、リスクや確率の理解など保健以外の全科目とつながっています。これらの多様な情報や価値観を基に判断できる自分らしい「生き方」を身につけることでもあります。

     雨で体育の授業ができない時に実施される場合があるため「雨降り保健」とも言われますが、「女性を大切に」という中学の保健体育の先生の言葉をよく覚えています。次は温泉目的で今日19日が誕生日の娘を含め家族で湯布院に行きたいです。

    次回は1月30日掲載


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    判断が「難しい」と回答した割合
    ●どの生活習慣が自分の健康に関係しているかを判断するのは
    日本:45.5%
    オランダ:5.4%

    ●治療法が複数ある時、それぞれの長所と短所を判断するのは
    日本:70.6%
    オランダ:30.9%

    ●どの予防接種が必要かを判断するのは
    日本:57.0%
    オランダ:23.2%

    ●メディアから得た病気に関する情報が信頼できるかどうかを判断するのは
    日本:73.2%
    オランダ:47.4%

    ●別の医師からセカンドオピニオンを得る必要があるかどうかを判断するのは
    日本:73.0%
    オランダ:44.0%

    2019年2月 4日

    第19回 手をとりあってこそ

    毎日新聞 2019年1月30日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


     中学の時に読んでいた雑誌「ミュージック・ライフ」で、英国のロックバンド・クイーンはアイドル的人気でした。曲は好きなのに素直に好きと言えない自分がいました。そのリードボーカルのフレディ・マーキュリーの半生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見ました。空港で荷物の運搬係をしていた彼はメンバーと出会い大成功し、45歳でエイズのため亡くなりました。メンバーにエイズを告げた時のセリフが心に残りました。「同情は時間の無駄だ。時間はすべて音楽に使う。悲劇の主人公にはならない。俺が何者かは俺が決める」(字幕通りではありません)。そして大観衆を前に本当の自分を確かめるかのようなパフォーマンスを見せます。その姿に涙が止まりませんでした。

     同じく涙したのが映画「こんな夜更けにバナナかよ」です。小学6年で筋肉が衰えていく難病の筋ジストロフィーと診断された鹿野靖明さんの半生が題材です。鹿野さんは、「母親には自分の人生を生きてほしい、自分自身の夢も実現したい」と考えて、自らボランティアを集めて自立した生活を送り、42歳で亡くなりました。「俺は一日一日が勝負なんだ」と言って、夜中に「バナナ食べたい」などと思いを正直に口にする一方、ボランティアに対しても「本音で話せよ、正直に生きているか」と問いかけるのでした。そして「命の責任は自分で持つ」という自分の信念を貫きました。

     どちらの映画も見た人に「力を与える」と思います。それを「エンパワー(empower)」と言いますが、その名詞形エンパワーメントは、生まれ持った力を生かせるよう、人生や生活を自ら決められるようにする、言わば、本当の自分を生きられるようにするという意味でも使われます。そして自分で健康を決める力=ヘルスリテラシーは、そのエンパワーメントのために不可欠なのです。

     しかしそれは決して一人では実現できません。それぞれの主人公は、バンドメンバーやボランティアに自分たちは家族だと話します。鹿野さんは「人はできることより、できないことの方が多いんだぞ」「思い切って人の助けを借りる勇気も必要」と語りました。

     欧州の患者組織は六つのゴールを掲げています。そこにはヘルスリテラシーもエンパワーメントも差別の解消もあります。愛するクイーンには「手をとりあって」と日本語の曲があり、東日本大震災のチャリティーアルバムにも入っています。誰もが差別されず、本当の自分を生きられるよう手をとりあいましょう。

    次回は3月6日掲載


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    欧州患者フォーラム(European Patients' Forum)の六つのゴール

  • ヘルスリテラシー:情報に基づいた選択のために情報と教育へのアクセスを推進
  • 質の高いヘルスケアへのアクセス:すべてのケアで患者や介護者のニーズに合わせる
  • 患者参加:政策や企画の開発や実施への参加
  • 患者エンパワーメント:意向・好みに合った意思決定とマネジメントを可能にする政策やヘルスケアの推進
  • 持続可能な患者組織:患者組織の開発・成長を支援
  • 差別の解消:教育や雇用、ヘルスケアで直面する差別に取り組む政策の推進


  • 2019年3月 7日

    第20回 平均寿命と平均余命

    毎日新聞 2019年3月6日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


     厚生労働省の統計不正が問題になっています。授業で教えている日本人の死亡率やそれを基に計算する平均寿命も国の調査と統計に基づいています。死亡率は人口当たりの死亡数で計算され、分母が人口で分子が死亡数です。人口は住んでいる人全員を対象とした国勢調査で把握され、死亡数は死亡届を基に作成される人口動態統計によります。

     国勢調査の体制が十分でないと、すべての人に手が行き届かず人口が少なくなることで、死亡率は上がり、平均寿命は短くなります。逆に、調査が徹底され隅々まで行き届いていれば、結果として平均寿命は長くなります。さらに万が一、人口の水増しがあると、平均寿命は過大に評価されてしまいます。実際、過去にはある町が市になるために、水増しした事件があります。行政にとって、議員定数や交付金を多くするために人口は多いほうがよいのかもしれませんが。

     死亡届も正確に届けられ適切に処理されないと、平均寿命にまで影響が及びます。過去に死亡率を比較する研究に携わったことがありますが、外国の古いデータで死亡年齢を見たところ、200歳を超えている人がいて驚きました。生年月日を確認すると、確かに1700年代でした。

     健康の指標として重要な死亡率や平均寿命は、統計の確かさに左右されるので、統計は極めて大事です。

     現在、日本の平均寿命は、女性で世界2位(87・26歳)、男性で3位(81・09歳)です。そこから自分や親の年齢を引き、あと何年かなどと考えたことはありませんか。しかしその計算は適切ではありません。私の授業の最後の試験では「87歳の女性が『平均寿命まで生きたから、もういつお迎えが来てもいい』と言いました。何と声をかけますか」という問題を出します。

     なぜなら平均寿命とは、0歳の平均余命、つまり0歳の赤ちゃんがあと何年生きるかという期待値を示しているからです。平均余命は、ある年齢(例えば50歳女性)の人が今後何年生きるかの期待値で、その年齢以上の人の死亡率が現在と変わらずに続くと仮定し平均して何年生きるか(38・29年)を計算したものです。87歳の女性は、0歳に戻るのではなく、すでに激動の昭和と平成の時代を生き抜いたのですから、87歳の平均余命を見るべきで、それは7・19年です(表は主要な年齢だけです)。

     さて、あなたなら試験の解答には何と書きますか。統計には見方の正しさも求められます。

    次回は4月10日掲載


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    2017年の主な年齢の平均余命(厚生労働省、単位・年)
    0歳  (男)81.09年 (女)87.26年
    10歳 (男)71.33年 (女)77.50年
    20歳 (男)61.45年 (女)67.57年
    30歳 (男)51.73年 (女)57.70年
    40歳 (男)42.05年 (女)47.90年
    50歳 (男)32.61年 (女)38.29年
    60歳 (男)23.72年 (女)28.97年
    70歳 (男)15.73年 (女)20.03年
    80歳 (男)8.95年  (女)11.84年
    90歳 (男)4.25年  (女)5.61年
    100歳 (男)1.80年 (女) 2.37年

    2019年4月23日

    第21回 困難、課題対処する意思決定

    毎日新聞 2019年4月10日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


    アントノフスキーによる健康生成論

     新年度を迎えて、客員教員をしている放送大学で新しい科目「健康への力の探究」がスタートしました。ラジオで朝一番の6時(!)からで、テキストも発売中です。健康とは、それへと向かわせる力だとして、5人の教員が解説していきます。

     講座は健康社会学者アントノフスキーによる健康生成論を基にしています。健康か健康でないかは、線引きできるものではなく、連続していて、私たちはいつもそのどこかの位置にいるとします。その位置を健康でない方向へと導き、病気をつくる要因がある一方、健康へと導き、健康をつくる要因もあると見ます。

     病気をつくる要因は生活習慣や環境などの危険因子ですが、健康をつくる要因とは何でしょう。それはストレスなどの困難や課題に対処できる力です。それによって、病気になったとしても働いたり社会活動に参加したりできるし、健康だと感じられます。その力は自分や周囲の環境への信頼とも言え、首尾一貫感覚(sense of coherence、略してSOC)と呼ばれます。それは(1)何が起こっても理解できる(2)何とかなる(3)何事にも意味がある、という三つの感覚です。

     アントノフスキーは、ナチスの強制収容所から生還した女性のその後を追跡し、多くが過酷な経験で健康状態が悪化する中でも、元気な人がいることに注目しました。彼女らが共通して持つ感覚としてSOCを発見したのです。

     それは、ヘルスリテラシー、つまり問題解決のための選択肢とその長所・短所を知り意思決定できる力と共に育まれると考えられます。もし、幼少時から自分で意思決定せずに、誰かや周囲に任せきりだと、自信を得たり成長したりする機会に恵まれません。人生とはこういった岐路に立たされるものだ、その時はこう意思決定すれば何とかなる、その意思決定は次につながるものだと気づく機会です。

     そのような力がなければ、選択肢を知っても納得した意思決定は難しいでしょう。現在の医療ではインフォームドコンセントとして、説明を受けて同意を求められるようになってきましたが、他に選択肢がなかったり、可能な選択肢の説明だけで決めるよう言われたりすることもあります。そのため、新しい科目では、意思決定に直面した際、医療者と共に価値観を確認しながらじっくり考える、シェアードディシジョンメーキング(協働的意思決定)の方法についても紹介しています。。

    次回は5月15日掲載

    2019年5月20日

    第22回 看護週間 ケアの心を考えて

    毎日新聞 2019年5月15日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


    聖路加国際大が運営する「看護ネット」

    聖路加国際大が運営する「看護ネット」


     今日は「看護週間」(12~18日)の真っただ中です。母の日と重なった12日は、近代看護の創始者フローレンス・ナイチンゲールの生誕日です。その日は「国際看護師の日」であり、日本でも「看護の日」です。「看護の日・看護週間」には、老若男女を問わず「看護の心」を育んでもらいたいという願いが込められています。それは家庭や地域、職場での、一人一人に対する「ケアの心、たすけ合いの心」でもあります。

     これを機会に、看護とは何か考えてみませんか。私は大学で「看護ネット」という市民と看護職をつなぐサイトを作っています。ぜひ人気コーナーの「看護とは」と「よろず相談所」をのぞいてみてください。中にある「看護の定義」にある、米国看護師協会の「健康問題に対する人々の反応を診断して対処する」というのが好きです。例えば、病気への反応として、痛みや不快を感じたり、不安やストレスを抱えたりします。それに上手に対処するためには手助けが欠かせません。医学のように病気を治すよりは、健康や病気をどう受け止めているか、それらとどうつきあっていくかに注目するわけです。看護では「寄り添う」という言葉がよく使われます。

     病気をきちんと受け止められたら、治療はどうするか、治療を受けながらどう生活していくか、もし治療を終えたらどうするかなどと、次々に新しい問題への回答が求められます。その多くは選択肢を知って選ぶこと、すなわち意思決定です。医療の進展により治療やケアの選択肢は増えていますが、不確実な場合も少なくありません。選ぶ人の価値観次第となるような難しい意思決定では、迷いや葛藤に「寄り添う」人が必要になります。その時、看護は「その人らしさ」を大切にします。

     世界では、そのような意思決定を支援する研究が進んでいます。けん引してきたのは、カナダのオタワにある研究所の看護学の研究者たちで、一人一人に合った質の高い意思決定があるという考え方です。それは、選択肢とそれぞれの長所と短所を十分に知り、自分の価値観と一致したものを選び、意思決定に参加した人がそれに満足することです。

     私の研究室でも、その考え方を基にして、みんなで研究を進めています。一緒に意思決定支援の研究に参加してみませんか。「その人らしさに寄り添う心」さえあれば、看護の資格は無くても大丈夫です。

    次回は6月19日掲載

    2019年6月20日

    第23回 患者から「ティーチバック」大事

    毎日新聞 2019年6月19日 東京朝刊掲載

    聖路加国際大教授 中山和弘 著


    ティーチバック健康を決める力

    ティーチバック


     失言や暴言の話題が多いようです。「そんなつもりではなかった」「失言は本音」と言われ、コミュニケーションとは何かを考えさせられます。それは「情報を伝える」という意味で使われますが、元来は「共通項」をつくることで、情報交換により「情報を共有する」ことを意味します。意思疎通であり、心が通じること、分かり合うことです。

     欧米のヘルスリテラシー(健康や医療の情報を理解して活用する力)の記事をよく見ますが、多くの人で低いこと、その対策として「ティーチバック」が効果的だと紹介されています。直訳すれば「教え返す」という意味ですが、医療者が説明したことを、患者に「自分の言葉で」説明してもらうことです。単なる復唱ではなく、その人なりにどう理解したのかを確認することに意味があります。

     もし難しければ、もっと患者に合った方法で説明をして、再び説明してもらいます。これはテストではなく、あくまでコミュニケーションのためです。医療者には分かるように説明する義務があり、患者は情報を得て意思決定をする権利があるからです。

     具体的な質問の仕方も紹介されています。「私がお話ししたことを、ご自分の言葉を使って教えてもらえますか。そうすれば、あなたに必要な情報を伝えられたかが確認できます」「家に帰ったらご家族に何と説明しますか」などです。

     「分かりましたか」「何か質問ありますか」は禁句だそうです。人は分かっていないことを認めたくないものですし、分からないと言うと相手の気分を害すると思うからです。そのため、分かっていなくても「はい」と答える人が多く、高学歴の人ほどそうだという報告もあります。

     「ティーチバック」の効果の研究では、それを使わないより、病気の知識が増える、正しく服薬できる、自信が持てる、自己管理ができることなどが分かっています。逆に、患者が誤解していたり、逆の意味で受け取っていたりすれば、患者の安全が脅かされます。

     日本でもまだ十分に普及していませんが、患者からしてみてはどうでしょうか。「今教えていただいたことを、自分なりに説明してみるので、間違いがないか確認してもらえますか」と。それでダメな場合は、分かり合う気がないとしか思えません。

     私も学生に「分かりましたか」と聞くと、「何が分からないのかが分からない」とよく言われました。ティーチバック、大事です。  

    (次回は7月24日掲載)

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