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2008年5月 アーカイブ

2008年5月27日

よりよい意思決定とは

1.意思決定が必要な問題を明確にする

 よりよい意思決定とは何でしょうか。まず、問題を明確にすることから始まります。問題がなければ、それを解決すべき行動も必要ないことになりますので、その対処の必要性があるかどうかの判断が必要です。意思決定とは問題を解決するための行動です。皆さんがいま直面している問題は何でしょうか。学校や仕事のことでしょうか、あるいはパートナーのことでしょうか。何が問題なのか考えてみてください。

 例をあげてみましょう。
朝起きたら、かぜをひいて熱が出ていたとします。ただし、それだけでは問題はまだ明確ではありません。これからどうなりそうか、何もしなくても大丈夫そうか...など、これまでの経験から考えるでしょう。そして、学校や仕事を休んだ方が良いと思ったなら、休んだらどうなるかも考えなくてはなりません。もし病院に行かなくてはならないとなると、学校で試験があったり、職場で大事な会議があったらどうでしょう。

 このように、問題が明確になってきたら、それは自分だけで決めることなのか、周囲の人にも影響することなのかの確認が必要になります。

 また、仮に病院に行くとして、いつまでに決めなくてはならないのか、その決定がどのくらい大事なことなのかなども考える必要があります。早く決めないと問題がさらに悪化するのかどうか、決めた方法によっては大きな問題が生じるかどうかなどです。会社を休むとなると、早く連絡しないと、仕事を代わってくれる人の手配もできなくなり、大変なことになるかもしれません。

2.可能性のあるすべての選択肢のリストづくり

 そこでまず、可能性のある選択肢についてすべてあげてみます。意思決定とは、2つ以上の選択肢のなかから1つ以上の選択肢を選ぶことと言えます。選択肢がなくては始まりません。しかし、時間がない場合は、そんな余裕はありません。経験と勘で乗り切るか、誰かに判断をゆだねるしかありません。それでうまくいけばいいのですが、もし、うかつな判断をして問題になってしまったら大変です。

 とにかくどれを選ぶかは考えずに、すべての選択肢をあげてみます。ここで可能性がないのではと決めてしまって選択肢を落としてしまってはいけません。実際にあげてみましょう。
  • しばらく様子を見てから決める
  • ネットで調べてみる
  • 家族や友人に電話する
  • 近くの内科の医院に行く
  • 遠くの大きな総合病院に行く
  • コンビニに行って栄養ドリンクを買って飲む
  • 市販の風邪薬を飲む
  • 首にネギを巻く
  • チキンヌードルスープを食べる(アメリカの習慣)
これで、選択肢が不足していないかを確認するのにも、とにかく情報を集めるしかありません。

3.選択肢を評価するためのメリットとデメリットの決定

 できたリストにある選択肢を評価するために、それぞれの長所と欠点、あるいはメリットとデメリットをあげていきます。デメリットはリスクとも考えられます。評価基準を決めると言ってもよいでしょう。病院が嫌いなので、なるべく病院には行きたくないかもしれません。しかし、病院に行けば、インフルエンザの検査をするなど医学的に正確な診断が得られて、症状の緩和のためなどの処方箋がもらえます。その代わり、つらい状況でイスに座って長い間待たされたり、学校や仕事を休むか遅刻することになります。首にネギを巻くのは、その効果や具体的な方法がよくわからないし、においも気になります。市販の風邪薬や解熱剤を飲むことである程度症状を緩和することができれば、学校や仕事に行けるかもしれません。風邪であれば結局は症状の緩和しかできないので、休養と栄養を十分とることを優先すれば、そのまま暖かいスープなどを飲んで寝ているという方法が、結局のところ早い回復につながるかもしれません。こうして、つぎのようにいくつかの基準があげられるでしょう。
  • 病院に行きたくない
  • 医学的に正確な診断が受けられる
  • 待たされる苦痛がない
  • 症状が緩和できる
  • 学校や仕事に行ける
  • 回復が早い
そして、それぞれの選択肢がこれらの基準をどれだけ満たしているかを考えます。なにも満たしていない選択肢があれば、それはその時点で削除すべきでしょう。

 これらの基準は、就職先選びであれば、自分の興味、能力、職種、仕事内容、業績、給料、従業員数、勤務地などですし、パートナー選びなら、収入、容姿、社会的地位、優しさ、同じ価値観などにあたるでしょうか。

4.選択肢を選んだ結果を想像する

 つぎは、実際に選択肢を選んだ時の結果を想像して、それが思った通りの結果になりそうかどうかを考えます。例えば、やはり医者に診てもらおうと思って、近所の内科の医院に行ったらどうなるか考えます。普段患者さんが出入りしているのを見たこともないし、腕が確かな医者かどうか疑わしいかもしれません。...けれど、あまり待たなくてもいいかもしれません。薬ぐらいは処方してもらえるでしょうが、問題は正しい診断が受けられるかどうかです。大事な病気を見逃されても困ります。そうならないためには大きな総合病院に行けばいいのでしょうが、長く待たされるかもしれません。待つのはつらいし、その間に誰かに別の風邪をうつされてしまうかもしれません。

 こうした選択肢を選んだ時の結果に対する主観的な価値や望ましさのことを、意思決定についての研究では、「効用」と呼びます。「医学的に正確な診断が受けられる」などのメリットのことは効用と呼べるということです。そして、ここでは、実際に病院に行くとしても、どの病院にいくか、という選択肢があるわけで、どの選択肢を選ぶかで効用が実現するかどうかを考えなくてはなりません。すなわち、期待通りの結果が起こる確率です。その確率を考えたものを期待効用といいます。これは、期待価値と同じもので、価値と確率の掛け算で表わされるものです。

 近所の医院の「医学的に正確な診断が受けられる」の効用は期待ができないとすると、期待効用は低くなってしまいます。大きな総合病院の期待効用は高いでしょう。しかし、「待たされる苦痛がない」の期待効用では近所の医院に軍配が上がります。こうなると、2つの期待効用を合わせた期待効用の大きさで判断するしかありません。意思決定の研究では、人々は最も大きな期待効用のある選択肢を選ぶといわれています。これを期待効用理論といいます。

5.意思決定における心理的な影響に注意してじっくりと選ぶ

 期待効用理論からは、望ましいものが確実に起こると思われるものが選ばれやすいことがわかりますが、その時の情報提供のされ方で選ばれる結果が違うことが知られています。例えば、フレーミング効果といって、同じ情報でも数字による表し方の違いで心理的な印象が違って、別のものを選んでしまうことがあります。

 病気になって手術をするかどうかの意思決定をするときに、医師が、「手術による生存率は99%」という場合と、「死亡率は1%」という場合では、意思決定の結果が違ってくる可能性があるということです。前者の方が手術を受けようと思いやすいと感じませんか。

 前章にあげた喫煙と肺がんの関係を示した研究でも、いろいろな説明が可能で、それによって心理的な印象は違ってくるのです。10万人(55-64歳)で、非喫煙者は40人、喫煙者(10-20本)は250人が肺がんになっています。250人を100%とすると、40人はその16%に当たるので、タバコを吸わなければ肺がんになる割合を84%減らすことができるといえます。また、10万人中の250人は0.25%で、40人は0.04%ですから、タバコを吸わなければ0.21%肺がんを減らすことができるともいえます。84%減らすというほうが、明らかにインパクトがあります。同じデータでも数字の出し方で、まるで違ってきます(ちなみに前者を相対危険度、後者を絶対危険度といいます)。専門家でさえもこれに注意しないと判断を誤ることになります。

 これらは、その数字の持つ意味を理解し、じっくりと考えるための時間が必要であることを物語っています。情報を収集することはもちろん、選択肢の価値やその実際の起こりやすさなどを考えるには、情報を理解し、活用する力が求められます。これは情報リテラシー、とくに健康に関して言えばヘルスリテラシーと呼ばれます。医療者でもこれらを十分に身につけている人ばかりであるかは疑問です。なぜなら、そのような意思決定に特化した専門知識が医療者の教育プログラムには含まれていないからです。

 すでに教えられているものには、健康と病気の因果関係を明らかにする疫学や、確率や誤差を扱う統計学がありますが、これらを苦手としているという話は聞きますが、得意としているという話はなかなか聞くことはありません。そして、フレーミング効果など心理社会的な側面を含んだ意思決定の学問としては、経済学や認知心理学が中心で、そのほか幅広い領域が関わっています。しかし、保健医療ではいまだ十分な研究がなされていないまま、意思決定の支援が行われているのが現状ではないでしょうか。そのため、欧米では健康をめぐる意思決定やその支援、自分で決められるようになるヘルスリテラシーの研究が急速に増加している状況で、日本でもこれからの研究が期待されるものです。

6.意思決定の支援を得る

 よりよい意思決定のためには、どうしても専門的な知識を求められることもあります。それは一朝一夕に身に付くものではありません。そのため、意思決定の支援をする専門家がいてもおかしくありません。医療者は本来その役割を担うべきものと思いますし、意思決定の難しい遺伝に関する分野などで実際に活動している人たちもいます[4]。しかし、通常の業務ではまだその専門的な役割が十分確立しているとは言い難いのが現状です。それでも、最近では医療コーディネーター、医療決断サポーターなどといった意思決定支援をする人たちが登場してきています[5-7]。それぞれはまだ小規模で、おもに看護職を中心として養成講座を独自に立ち上げて資格認定などを行っているものです。

 欧米についてみてみると、よく知られているものに、オタワ意思決定ガイドというものがあります[4][8]。自分で選択肢のメリットデメリットを整理するための意思決定の支援ツールとして開発されたものです。これは、意思決定のプロセスを支援するだけで、選択肢の選び方までを教えてくれるものではありません。それでも、選択肢を一つひとつしっかりと確認することができます。そのプロセスこそが大切だということで、考えなければならないことがたくさんあって整理がつかない場合にはいろいろな気づきが促されます。

 それでも選べない時があります。十分に情報がそろっていたとしても、最終候補2つがトータルとしてほとんど対等な場合などがそうです。そんなときは選択肢を得点化して、最適な選択肢を選ぶためのさまざまな計算方法が考えられています。代表的なものにはAHP (analytic hierarchy process、階層化意思決定法)というものが古くから知られています[9]。各選択肢について、自分の価値基準で重み付けをして得点化していくもので、高い得点のほうの選択肢を選べば、自分が最も望んでいる結果になると考えられるものです。パソコンで計算できる無料のソフトもいくつかあって、たとえば「決めちゃおう君」というおもしろい名前のものがあります[10]。

7.意思決定における葛藤やジレンマを解決する

 葛藤やジレンマに悩む場合は意思決定が難しくなります[8]。もともと保健医療は必ずリスクを伴うので、それをなくすことはできないかもしれません。しかし、何か解決可能な原因がある場合は、それらがなぜ起こるのかについて知っておく必要があります。葛藤やジレンマが生じてしまう理由は、7つほどあると考えられます。以下、順番に見ていきましょう。

 まず、何よりも大事なことは、1)情報や知識が不足していないかを確認することです。たとえば実家の親に電話したら「首にネギを巻く」を強く勧めてきた場合は、選択肢として「首にネギを巻く」ことは本当に効果がないのかについて確認する必要があります。そして、情報や知識の不足によって、2)ある選択肢に過大または過小な期待をかけていないかを確認することも重要です。たとえば、インフルエンザは予防接種さえすればかからない...とかです。

 また、3)自分の価値観がはっきりしない場合も、メリット、デメリットがはっきりしません。これまで経験のあることならまだしも、初めての経験の場合は、いくら自問自答しても難しい場合もあります。人に相談することや、ほかの人はどうしているのかを知る必要があるでしょう。自分の家族や友人、周囲の人や同じ経験者がどのような意見を持っているかが参考になります。しかし、せっかく周囲に聞ける人いても、4)ほかの人の意見がよくわからない、あるいは、かたよった見方をしてしまっていれば、それがまた障害になります。しっかりとコミュニケーションをとることが必要です。

 さらに、5)周囲から、ある一つの選択肢を選んでほしいという期待が強く、それがプレッシャーになっている場合も問題です。そうなっていないか、そうなっている場合は、そのプレッシャーについて自分でよく確認し、周囲との相談が必要でしょう。また、自分の価値はある程度はっきりしていても、6)聞いてくれたり認めてくれる人がいないと、自分だけでは自信が持てず不安なものです。難しい意思決定ほどサポートは重要です。それが得られないと、自分では決めにくい、決めたくないということになってしまうかもしれません。

 最後に、7)自分で決めるにも、上であげた障害を乗り越えるだけのスキルがなかったり、決めることに自信が持てない場合です。過去に意思決定できた経験がないとなかなか難しいものです。したがって、そのような人のために、意思決定を支援できるような専門的な知識や技術の開発や普及が期待されます。自分自身や身の回りの人がそれらを身につけていたら、迷うことも少なくなるかもしれません。とくに健康と病気に関する意思決定には保健医療関係者の支援がほしいところです。

                    (中山和弘)公開日2010年11月11日

[1]日経ヘルスオンラインhttp://nh.nikkeibp.co.jp/article/nharchives/90142/より一部抜粋
[2]ウルリヒ ベック:危険社会―新しい近代への道.法政大学出版局、1998.
[3]橘木俊詔編:リスク社会を生きる.岩波書店、2004.
[4] 聖路加看護大学看護ネット:意思決定支援 自分で決めた生き方を実践するためにhttp://www.kango-net.jp/decisionaid/
[5] 日本医療コーディネーター協会http://www.jpmca.net/
[6]楽患ナース~医療コーディネーター紹介http://www.rnurse.jp/
[7]医療決断サポーター養成講座http://www.med.kyushu-u.ac.jp/network/
[8]O'Connor AM, Jacobsen MJ. Decisional Conflict: Supporting people experiencing uncertainty about options affection their health [PDF monograph on the Internet]. Ottawa: Ottawa Health Decision Centre; 2007.https://decisionaid.ohri.ca/ODST/pdfs/DC_Reading.pdf
[9] @IT情報マネジメント用語事典:AHP (analytic hierarchy process)階層化意思決定法 / 階層分析法http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/ahp.html
[10] 意思決定支援システム 決めちゃおう君
http://www.vector.co.jp/soft/win95/business/se313470.html

2008年5月28日

よりよい意思決定のための情報とは

1.意思決定にはより良いものとそうでないものがある

意思決定
 ヘルスリテラシーとは、健康や医療に関する情報を探し、理解し、評価し、活用する力といえます。では、最終的に情報を活用するとはどのようなことでしょうか。これは、情報を使うことでより健康に結びつくような、よりよい意思決定を行うことです。ここでは、その意思決定についてお話しします。

 私たちは、普段から、大小さまざまな問題に直面しています。そうした問題に対処するために、それまでの対処方法を変えたり、新たな対応が必要になったりする場合もあります。そうした場合、皆さんはどのようにして対応を決めているでしょうか。「私の決め方はいつも間違っていない」という方もいるでしょうし、いつも失敗するので「信頼できる人に相談して決めてもらっている」という方もいるかもしれません。

 決め方、すなわち意思決定の方法には、より良いものとそうでないものがあるということが知られています。より良い意思決定では、結果に納得できるものになりやすく、後悔が少なくてすみます。多少結果が悪くても、それなりに必死に考えた自分に納得がいくことが多いものです。

 テレビショッピングなどの衝動買い(あとで後悔する買いもの)はなぜ起こるのでしょう。「こんなに安いのに今買わないと誰かに買われてしまう」「自分でも簡単にできそう」「ちょっとだけリッチな気分になってみたい」などと、その時々の気分で決めるためです。

 納得できる、よりよい意思決定は、このような気分ではなく、情報に基づいていることが多いものです。健康や医療についても同じことがいえます。ここでは、どのように情報を使って意思決定するのが良いかという点について考えてみます。

2. 保健医療情報の不確実さ

 健康や医療についての情報は、専門的な雑誌を見なくても、新聞・雑誌やインターネットで簡単に目にすることができる時代になりました。例えば、つぎの研究トピックを見てみましょう。

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ファスト・フードは肥満とインスリン抵抗性のリスクを高める、15年間の調査から[1] 米国では肥満が急速に深刻化している。これに並行するようにファスト・フードの消費量が急増しているが、肥満との関係には注意が向けられてこなかった。 そこで米国などの研究者が、15年間のファスト・フード店利用頻度と体重およびインスリン抵抗性の変化の関係を調べた。詳細はLancet誌1月1日号に 報告された。

今回分析の対象になったのは、1984-2001年に米国で実施された青年期冠動脈疾患リスク進展調査(CARDIA)のデータだ。被験者として登録されていた白人と黒人の中から、1985-86年に18-31歳で、食事の内容に関する評価を繰り返し受けていた3031人を選出した。

当初からずっとファスト・フード店の利用が少なかった人(週1回未満、 203人)に比べ、15年間頻繁に利用した人(週2回以上、87人)では、その間の体重増加の平均が4.5kg多く、インスリン抵抗性も約2倍になっていた。得られた結果は、ファスト・フードの消費が肥満と2型糖尿病の強力なリスク因子であることを示唆した。
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 これは、ファストフードが肥満や糖尿病に影響を与える可能性を示すデータです。皆さんはこの記事から何を読みとることができるでしょうか。食べるのを控えようとか、アメリカの話だから日本には当てはまらないとか、日本人は1回に食べる量が少ないから関係ないとか、203人と87人で何がわかるのか...などと思う人がいるかもしれません。

 この研究は、アメリカのいくつかの地域から選ばれた人々を対象としたもので、「サンプル(標本)調査」と言われます。この結果を、それ以外の人々にあてはめて考える場合、その値がどれほど一般的な数字としてと捉えることができるか、つまり、日本の誰にでもあてはめることができるのかどうかについて考える必要があります。

 このデータは、体重の増加を平均値で表しています。一般的に、この数値は、もっとも起こりやすい代表的な値を意味します。それでも、サンプル調査であるため、そもそもアメリカ人全体で調査した場合や世界中で調査した場合(ありえませんが)に得られる値からは、多少なりともずれています。それが「誤差」と呼ばれるものです。したがって、研究でこのような数値を出しても、その値がどのくらいの誤差を含むのかを考えなくてはなりません。

 さらにその体重の平均値というのは、研究の対象となった全員から求められた数値ですから、一人ひとりはさまざまな状況にあるはずです。平均値で4.5kg多いといっても、「週1回未満」しか食べない人の平均よりも2kg重い人も7kg重い人もいたはずです。したがって、これらの結果を一人ひとりにそのままあてはめることはできません。

 それでも、この研究結果を見て、「ファストフードは太りやすい」「何年も食べ続けると違いが出てくる可能性はあるだろう」と判断する人は多いに違いありません。実際、どうなるかは別として、可能性(すなわち確率)として健康に悪影響を及ぼす確率は高いのではないかとの判断です。

 そもそも、人間にはさまざまな人がいます。その人たちに起こることは不確実なものです。そのため、「こうすれば、こうなる」ということが100%保証されているものは、なかなかありません。しかし、不確実なものについて予想したり説明しようとすると、やはり確率というとらえ方を避けては通れないというのが現実です。

3. リスク社会

 世の中は未来の出来事を確率で表現することが増えています。天気予報も降雨確率で表されますし、スポーツの世界では、野球でのバッターの打率をはじめ、さまざまな得点率、成功率、決定率など、多くの「確率」が使われています。健康や医療においても、「肥満する確率が高い」「病気になる確率が高い」「治る確率が高い」というような情報があふれています。

 こうした状況は、現代はリスク社会[2-3]とも言われているように、リスクの存在やその認識が高まった結果、それを把握するための判断材料として「確率」が必要になってきた、と言い換えることもできます。 では、この「リスク」とは何なのでしょうか。

リスクについては次の式であらわすことができると言われています。
リスク=損失の発生確率×損失の大きさ

 原子力発電所を例にとって、リスクのことを考えてみましょう。原子力発電所事故による損失の大きさは測り知れません。それでも原発を受け入れているのは事故の発生確率が非常に低く、リスクが小さいと評価されているからです。リスクとは少し違いますが、高額当選金の「ジャンボ宝くじ」がよく売れる理由は、発生確率は限りなく0に近いものですが、当たれば大きい3億円ということから来るのでしょう。その場合は、損失の大きさでなく、利益の大きさで、リスクではなく夢と呼んだほうがいいのかもしれません。

 このリスクという確率的な見方が少しずつ生活の中に浸透してきています。リスクは、経済でも、環境問題でもよく用いられる言葉ですが、保健医療の世界でも導入されています。がん、心臓病、脳卒中、糖尿病などの病気にかかりやすい生活習慣などをリスクファクター(危険因子)と呼んでいます。それを調べる学問は疫学と呼ばれ、病気の発生リスクを統計学を用いて研究しています。その研究成果によって、リスクとして、血圧、血糖値、コレステロール、尿酸などの検査値や、喫煙、飲酒、肥満、運動不足などの行動で判断することが可能になってきています。

4. 医療におけるリスク

 もともと薬学部などでは、「くすりは(反対から読むと)リスク」という例えが入学式や最初の講義でよく話されるようです。医療行為は治療のためにリスクを冒すことでもあります。だからこそ、それを行うものは専門職として制度化され特別な教育を受けているともいえるでしょう。

 いままで患者や市民は、医療分野にあるさまざまな確率論は知らされてきませんでした。また、知ることもできませんでした。ところが一般市民の知る権利への意識の高まりは、保健医療サービスの消費者(欧米では患者を消費者と呼ぶ場面が多くなっています)にも波及しています。その結果、治療やケアの方法として、どのような選択肢が考えられ、どの方法が治る確率が高いのかを知り、自分で意思決定できるという、自己決定が重視されるようになったと言えるでしょう。


 EBM(Evidence-based Medicine)と呼ばれる疫学を用いた科学的根拠に基づいた医療の考え方に、そうした傾向を見ることができます。それまで医療者自身が、どの方法を選ぶべきなのかの判断に、習慣や個人的な直感や経験を用いていました。しかし直感や経験よりも、明らかに効果が見られる確率の高いことが研究データで実証されているかどうかを、判断の材料にしようと考えるようになってきているのです。これはまた、医療という、本来、リスクを伴う行為において、その責任のすべてを医師個人に委ねるのは荷が重すぎるということが理由にあるかもしれません。

5. 「情報」に裏づけられた意思決定

 このようなリスクや確率についての情報を患者や家族に提供してから、医療者の提案する治療やケアの方針に合意してもらうことを「インフォームドコンセント」といいます。これはよく「説明と同意」と訳される場合が多いのですが、説明しさえすればそれで済むというものではないことから、その意味合いを考えて、「十分説明を受けた上での同意」「納得診療」などと呼ぶことが提案されています。「説明したはずです」「説明しましたよね」という説明では理解までを問うていません。授業で教師がこの言葉を使って学生を責めても、説明しただけで理解させていなければ教師の責任です。「インフォームド」は「情報を得た」という意味だと考えれば、それを情報として活用できるまでに理解していなくてはならないのは当然でしょう。

 そして、インフォームドコンセントというのは、実はまだ医療者中心の見方だという意見もあります。なぜなら、医療者の方針を確認することだからです。もちろんそれを受け入れないということもできるわけですが、専門家の提案を受け入れるかどうかの意思決定に主眼が置かれがちです。そうではなくて、可能な限りの治療やケアの選択肢とそのメリット、デメリットをすべて紹介して、患者に主体的に意思決定してもらうという方法もあります。そのような場合は、患者が決めるという意味で、インフォームドディシジョン(情報を得た意思決定)またはインフォームドチョイス(情報を得た選択)と呼ばれることもあります。

 しかし、この区別よりも大事なことは、どちらも「インフォームド」が付いていることです。情報が十分提供されている、それが受け取る側で十分理解され、意思決定の材料として使える状況にするということが大前提なのです。情報こそが強調されなければならないということです。

 このような情報を得て決定したいという考え方の背景には、消費者主義=コンシューマリズムがあります。消費者が、自らの判断で、安全で良質の製品またはサービスを選ぼうとする思想や運動です。 1962年にアメリカでは大統領J・F・ケネディが消費者の4つの権利宣言を行いました。それは、安全である権利、知らされる権利、選択する権利、意見を反映させる権利です。それはまさに健康のために十分に情報を得て意思決定をする権利と同じです。

6. 情報とは何か

情報とは何か?
 それでは情報とは何でしょうか。さまざまな定義がありますが、おもに3つの意味で使われています。「データ」と「情報」と「知識」です。本来の情報という意味の他に、データや知識も情報と呼ばれることがあるということです。ここでは、3つをきちんと区別してみましょう。

 3つのなかで最もシンプルなものは「データ」です。データとは、記号のことで、言葉や文字などがそれにあたります。そして、それが書かれていたとしても、それについての評価-例えば、それが良いのか悪いのかなどの価値-は含んではいません。ファストフードを食べて体重が4.5kg増えたというのはデータですが、それが持つ価値あるいは意味を評価できなければ単なる数字の羅列です。データだけがあっても、それをもとに何かの判断ができなければ、情報ではなくてただのデータにすぎないということです。

 それに対して、「情報」とは、"ある特定の目的"のためにデータの価値を評価して、意思決定に使うことができるものです。つまり、「情報」は「データ」+「価値」であると言えます。例えば、4.5kgの体重増加は肥満による健康影響が予想されると評価して、ファストフードは食べないという意思決定に使えば情報です。

 また、「知識」というのは、あることについての幅広い情報を蓄積していて、それを特定の状況だけでなく、"将来のさまざまな目的"に応じて使い分け、評価して、意思決定に使うことができるものです。新たな情報を取り入れてはまた新たな知識を形作ることができます。肥満とその原因に関する幅広い情報があれば、健康のためにどのような肥満対策をすればよいのかの知識となるということです。新たな肥満に関する研究の情報が入れば、また肥満に関する新たな知識が作られていきます。専門家は知識を身につけていますが、一般の人は、情報がどんどん与えられても、それを整理して知識にしていくことができなければ、よりよい意思決定はできないことがわかります。

7. 不確実な保健医療では確率がデータとなる

 こう考えると、情報にもとづいて意思決定をしたいと思っても、保健医療の研究結果に関する情報は、そのまますぐに患者や市民の情報となりえるのでしょうか。それとも、医療の専門家でないと理解不能なのでしょうか。

次のようなデータがあります。
表 10万人当たりの肺がんによる死亡数
年齢
非喫煙者
現喫煙者(1日平均喫煙本数)
 
 
10-20
21-39
55-64
40
250
400
65-74
40
500
720

 このデータを見る限り、55-64歳の非喫煙者のうち肺がんで死亡した人が10万人あたりで40人、1日に21本以上吸う人では400人です。1日に21本以上吸う人は10倍肺がんで死にやすいということがわかります。逆に言えば、たくさんタバコを吸わなければ10分の1の確率になります。これは65-74歳でも同様です。このデータは多くの人が理解可能なものでしょう。

 しかし、タバコを吸わなくても肺がんになる人はいますし、吸っていてもがんにならない人がいるのも確かです。あくまで確率の問題で、一人ひとりの結果は「なるか」「ならないか」のどちらか、2つに1つでしかありません。吸っていてもがんにはならない人もたくさんいるのだから、10倍程度なら自分は吸っていても大丈夫だと確信するためのデータとして使う人もいるでしょう。また、肺がんで死亡することに特に問題を感じない場合、このデータは、先にあげた意味での「情報」にはなりません。

 リスクをどう受け止めるかは人によって違うということです。その値を、高いと見るか、低いと見るか(リスクの認知のしかた)は人によって違います。同じ情報でも人によって受け止める結果は違うということです。情報の操作をしてはいけませんが、人それぞれの意思決定に使われていくことは確かです。  ここで大事になってくるのが、コミュニケーションです。よく、「医療はコミュニケーション」だと言われます。リスクについてのコミュニケーションはリスクコミュニケーションと呼ばれます。リスクについての情報がどのように伝わるかが肝心なのです。そうなると、医療の提供者も消費者も情報がどのように使われるのかについて理解していないと、コミュニケーションが成り立たないことがわかります。

8. 情報における確率と価値

 リスクのことについてはすでに触れましたが、人間が何かを目的として行動する場合の動機づけは、基本的に次の2つで決定しているという考え方があります。

結果が起こると予想される「確率」×結果への「価値」

 例えば、肥満が気になってダイエットをしようと思ったときに、テレビゲームを使った製品を買って運動してみようかどうかと考えたとします。それを使って本当に減量できるのかの期待、すなわち予想される確率と、結果として減量に成功することの価値が問題になるということです。ダイエットしたくても、運動では絶対にダイエットできないと思えば買わないでしょう。

 別の言い方をすれば、これは期待値といえるものです。年末には2000億円も売り上げるジャンボ宝くじで考えてみましょう。1枚のくじを買って戻ってくるお金の期待値を計算することはできます。1等が当選する確率は1000万分の1だとします。これに2億円をかけると20円になります。では6等ではどうなるかというと、最後の1ケタの番号なので、当選確率は10分の1になり、当選金は300円ですから、期待値は30円ということになります。1等と6等を比べると、6等のほうが10円だけ期待値が大きいということになります。もし、1等しかない宝くじと6等しかない宝くじが売り出されたらどちらを買うか考えてみてください。期待値は6等だけのほうが10円高く損失のリスクは小さいのですが、リスクの高い1等だけの方を買う人が多いのではないでしょうか。これは、同じお金でもそれに対する満足度が違うからです。億万長者になることで満足を得たいのに、6等ではそれが実現しないからです。

 これらは期待価値理論、期待効用理論などと呼ばれるもので、「期待」というのは、その人が予想する「確率」のことで主観的なものです。また、「価値」(または効用)は基本的に良いこと、満足できることです。しかし、この考えかたがすべてだとすると、結果が起こる「確率」を意識しないと行動を決定することもままならないことになります。実際の生活では、「確率」について詳しく考えなくても行動しています(確率をよく考えて宝くじを買う人は少ないでしょう)。なぜなのでしょうか。

9. 習慣と意思決定に基づいた行動

 健康教育学では、この「確率」と「価値」を知らせることで、人が健康のために望ましい行動をしてもらおうと多くの研究が行われてきました。「タバコを吸っていると、こんな高い確率で怖い肺がんになって死んでしまいますよ」などと教えるわけです。しかし、このようなリスクで脅す方法は、いつも成功するわけではないことがわかってきました。成功するのは、リスクを避けるための行動がすぐにできやすい場合です。予防接種や検査を受けるために予約を取ってもらったら、あとは行くだけです。うまくいかないのは、喫煙のように、すでに「習慣」として出来上がっているものです。いくら脅されて、習慣を変えようと思ったとしても、習慣を変えることは難しいことです。

 では、習慣とは何でしょうか。それは「意思決定を必要としない行動」と定義できます。何かのきっかけさえあれば、自動的にそれが行われます。食事が終われば無意識のうちに煙草を一服といった調子です。これは、言い換えれば情報が用いられていない行動です。習慣化していると、自動的にそれが行われますので、していることが良いことなのか悪いことなのかという情報は必要ないのです。したがって、習慣に問題があることを発見したときは、まず、習慣を変えるかどうかについて、情報を吟味してから意思決定することが必要になります。そして、そのあとは習慣との闘いです。習慣を変えるには誰かあるいは何かにつねに見てもらう必要があります。「ほら、タバコ買おうとしてるよ」「また吸おうとしてる!」などと、情報を与えてもらうということです。

 このように、習慣というのは問題があっても自分だけでは気がつかないものです。そのために、誰かにそれはよくないと指摘してもらうことも重要です。まったく環境の異なる人と話をしたり、学校や職場で人に指摘してもらうことも良い方法の一つかも知れません。つねに新しい情報を求めることは、問題の発見に役立つということです。そして、そこで今まで通りにするかどうするか意思決定するわけです。

 では、そのように情報が得られた場合、意思決定はどのように行われると良いのでしょうか。そもそも意思決定とは何でしょうか。私たちが直面する意思決定の場面とはどのようなものでしょう。何かの問題が生じたときに、その解決方法をいくつかの選択肢の中から、選択の基準をもとに1つ(またはいくつか)選ぶことが多いと思います。この「複数の選択肢から1つ以上を選ぶこと」が意思決定です。

 現在のような情報化された社会では、より多くの選択肢がえられて、そこからかなり自由に選べるようになっています。これまで、多くの人は、進学、就職、結婚、出産、子育てなどという問題に直面してきたと思います。そこで、より多くの選択肢を考えたでしょうか。自由に選べたでしょうか。それに満足したでしょうか。結果はどうだったでしょう。
 よりよい意思決定には、その質と満足度が重要となるでしょう。

                      (中山和弘)公開日2010年11月11日

2008年5月26日

ヘルスリテラシーとは

1.リテラシーと情報リテラシー

 リテラシーという言葉は元々、〝letter〟=「文字」を由来としていて、文字についての読み書き能力を表しています。それは、OECD(経済協力開発機構)の国際成人力調査では、「社会に参加し、自らの目標を達成し、自らの知識と潜在能力を発展させるために、書かれたテキストを理解し、評価し、利用し、これに取り組む能力」とされています。言い換えれば、自己実現のために、自分が持っている潜在的な能力を十分に生かせるように情報を得て適切に意思決定ができる能力です。これは人間の尊厳を表すものと言えます。

 あふれる情報の中から、自分に合ったものだけ、信頼できる情報だけを取り出して上手に利用できるとどんなによいでしょう。そのために必要な力は、まず、様々な情報源から自分に合った適切な情報を探して「入手」する力です。そのような情報はどこで手に入るのでしょうか。探すのは簡単でしょうか。多様化、高度化する社会において自分に用意されている選択肢を知ることは重要です。選択肢を知らなければ選べず、知ると知らないでは大きな違いを生みます。

 次に、見つけた情報を正しく「理解」する力が必要です。そして、それが信頼できるかを「評価」して、選別しなくてはなりません。そうして、信頼できる情報が手に入ったとして、今度はそれを「活用」できるかどうかです。活用するとは、そこで何らかの意思決定をして行動に移すことです。それができなければ情報は何の役にも立ちません。このような、情報を「入手」「理解」「評価」「活用」するという4つの力を、情報リテラシーと呼ぶことができます。

2.ヘルスリテラシーとは?

1)ヘルスリテラシーの定義

 そこで、ヘルスリテラシーとは何かといえば、「健康情報についての情報リテラシー」を指していることになります。この見方を含めて、多くある定義を整理してまとめたものを紹介します。

 健康情報を入手し、理解し、評価し、活用するための知識、意欲、能力であり、それによって、日常生活におけるヘルスケア、疾病予防、ヘルスプロモーションについて判断したり意思決定をしたりして、生涯を通じて生活の質を維持・向上させることができるもの[1]

 ここでは、4つの能力にまとめられ、それは3つの場面で必要となるとしています。症状や病気への対処などの医学的な問題に関する「ヘルスケア」の場面、病気のリスクファクター(危険因子)に関する「疾病予防」の場面、人的環境と物的環境など人を取り巻く環境を健康的なものに変える「ヘルスプロモーション」の場面です。例えば、眠れないという訴えを持つ人にとって、「ヘルスケア」の場面では、症状の医学的な理解と対処法、医療者などの相談先の選択などが問題となります。「疾病予防」の場面では、その「本人」の生活やストレスが問題となるのに対して、「ヘルスプロモーション」の場面では、その人を取り巻く「環境」が問題で、家庭・学校・地域・職場などでの人間関係や生活な環境が対象になります。たとえ、リスクファクターとして強いストレスの存在が明らかになったとしても、本人だけでなく環境に問題にある場合は、その環境に働きかける必要があるということです。本人だけを責めるのは犠牲者非難というものです。ヘルスリテラシーは、「ヘルスケア」の場面だけでなく、「ヘルスプロモーション」でも中心的な役割を果たす概念で、環境を変えられる力、変えるための活動に参加できる力を指しています。このように、ヘルスリテラシーは、情報に基づいた意思決定により「健康を決める力」と言えると思います。




2)ヘルスリテラシーに種類がある

(1)周囲の環境によってはよりレベルの高いヘルスリテラシーが必要に

 ヘルスリテラシーには、いくつかのレベルや次元があるという意見もあります。ナットビーム(Nutbeam)は、ヘルスリテラシーには3つのレベルがあるとしました[2]。基本的なものからより高度なものまで、つぎの3つがあるとしています。

1機能的(functional)ヘルスリテラシー

 日常生活場面で役立つ読み書きの基本的能力をもとにしたもので、健康リスクや保健医療の利用に関する情報を理解できる能力。

2相互作用的(interactive) ヘルスリテラシー

 より高度で、人とうまくかかわる能力(ソーシャルスキル)を含んだもので、日々の活動に積極的に参加して、様々な形のコミュニケーションによって情報を入手したり意味を理解したりして、変化する環境に対しては新しい情報を適用できる能力をもとにしたもの。サポートが得られる環境において発揮できる個人の能力であり、知識をもとに自立して行動でき、とくに得られたアドバイスをもとに行動する意欲や自信を高められる能力。ほとんどが集団のためでなく、個人のための能力である。

3批判的(critical)ヘルスリテラシー

 情報を批判的に分析し、この情報を日常の出来事や状況をよりコントロールするために活用できる能力をもとにしたもので、健康を決定している社会経済的な要因について知り、社会的政治的な活動ができる能力。

 これらを言い換えると、機能的ヘルスリテラシーが情報を受ける、いわば受け身な立場でそれらの情報を理解できる能力です。相互作用的ヘルスリテラシーは周囲の人々とうまくコミュニケーションができること、いわば、サポーティブな環境の中で情報をもとにうまく立ち回れる能力です。批判的ヘルスリテラシーは、自分の目的の実現にとって周囲の人々や環境が障害になっている場合、置かれた状況に関する情報をしっかりと分析し、それらを変えることができる能力といえるでしょう。健康情報が理解できても、行動に移すためには周囲の協力が必要なことが多くあります。そのために、周囲の理解を求めて協力してもらえればいいですが、そうではないときには周囲を変えていかないと実現しないわけですから、3つのヘルスリテラシーを備えていく必要があることはよく理解できることです。

 批判的ヘルスリテラシーは、ブラジルの教育学者フレイレによる「批判的意識化」から来ています。フレイレは、「沈黙の文化」という、ブラジルの貧しい農村の人々が支配者によって抑圧され、文字を知らされず、否定的な自己像を植え付けられ、沈黙している文化を発見しました。その解決方法として生み出された「批判的意識化」は、人々が「沈黙の文化」の存在を意識し、自分たちが置かれている状況を客観的に自覚して、それを主体的に変えていく、ということです。それは、エンパワーメントと呼ばれ、個人や集団が、不利な状況下におかれても、本来備わっている力を十分発揮できるように、環境を変える力を身に付けるという意味で用いられています。

 「沈黙の文化」は、ブラジルの農村だけにあるわけではないでしょう。エンパワーメントが求められているところはどこにでも存在します。読み書きは達者でも、健康や医療の情報をきちんと知らされていない、知っていても行動に移せない、環境や条件が整っていないなどの理由で、沈黙している人はいないでしょうか。日本でも決して少なくはないように思えます。

 「批判的ヘルスリテラシー」は、他の2つのヘルスリテラシーと大きく異なっていて、個人の利益だけでなく集団の利益に結び付くものです。それは個人の能力だけでなく、集団やコミュニティの能力です。ヘルスプロモーションは、人々の参加によって人々自身の手によって、行われるものです。



(2)科学、市民、文化の次元を考えた4次元のリテラシー

 ザーカドゥーラス(Zarcadoolas)らによって提案された4つの次元からなるヘルスリテラシーのモデルを紹介します[3]。具体的にどのような能力なのかを別の角度から説明してくれていて参考になります。

1基本的リテラシー(fundamental literacy)

 まず、基本的リテラシー(fundamental literacy)は、読み書き、話すこと、計算能力を意味します。情報を得るための基礎となる能力として重要です。
 いくら識字率が高くて、基本的リテラシーが高くて、健康関連の用語は専門用語や特殊な表現が含まれることから、理解が難しくなる傾向があります。特に、高齢化、医療の高度・複雑化が進むにつれ、ヘルスリテラシーの差が広がることは、健康格差につながる可能性があるため、日本でも基本的リテラシーの現状を把握し、現状にあった対策を講じていく必要があると思われます。

2科学的リテラシー(scientific literacy)

 科学的リテラシー(scientific literacy)は、科学の基本的知識、技術の理解の能力、科学の不確実性(将来のできごとを完全に予見できないこと)への理解を意味します。科学的リテラシーが重要となる背景には、急速な科学の進歩があります。よりよい健康を維持するためにはこれまで以上に複雑な健康関連の用語やエビデンスを理解することが必要となり、そのためには、からだや病気についての知識や、確率やリスクについての知識も必要となってきています。

 また、科学的リテラシーを身につけるということは、科学の知識や健康関連の用語が理解できるだけではないでしょう。それらを他のヘルスリテラシーと統合させて健康のためのよりよい意思決定につなげることを意味します。

 科学的リテラシーは、日々の生活が科学や技術の発展の上に成り立っていることを理解することでもあります。日常生活に科学が密接に関係していて。科学が重要であることを知り、科学に対し積極的な関心や楽しさ、好奇心を持てるようになることによって、科学的なリテラシーを高めることにつながると考えられます。科学的リテラシーを高めて健康を維持できるよう、科学に関する知識や科学的なスキルをつけるとともに、科学への探求心、自信、科学を学ぶ意義や楽しさ、科学に対する興味・関心も高められるような教育や支援体制の整備も期待されます。

3市民リテラシー(civic literacy)

 市民リテラシーは、市民が社会的な問題を意識し、社会の意思決定過程に参加する能力です。それには、まず、新聞やテレビなどマスメディアの情報を理解・活用できる力であるメディアリテラシーが必要です。とくに、日本人は、他の先進国と比べるとマスメディアへの信頼が過剰なほどに高いことが知られています[4]。

 さらに、市民リテラシーとして、人々が政府や行政などと交渉したり話し合って政策を決めることについての知識、個人の健康に関する行動や選択が社会の人々の健康に影響することの認識があります。健康保険・介護保険などの保健医療福祉の制度や法律、その決定の方法について知っていることもそうでしょう。市民リテラシーは、ヘルスプロモーションには欠かせないもので、とくに批判的ヘルスリテラシーを身に付けるために不可欠なものです。  

 日本の健康政策としては、2003年には健康増進法が施行され健康維持は国民の義務とされました。このような日本での現行の制度に対し、私たちが健康で幸せに暮らせるために今後の制度がどのようであることが望ましいと考えられるのか、市民として関心を持ち判断し、政策決定過程に関わっていく姿勢も必要であると思われます。

4文化的リテラシー(cultural literacy)

 文化的リテラシーは、健康情報を解釈し、それに基づいて行動するために、自分が所属している文化を認識した上で活用できる能力を意味します。つまり集団の信念、習慣、世界観、ある集団に自分が属しているという感覚(社会的アイデンティティ)を認識し、活用する能力です。例えば、地域の慣習や迷信、流行などは、エビデンスと一致しているものもあればそうでないものもあります。他者とのコミュニケーションにおいて、あらゆる文化、階層、人種、年齢、ジェンダー、セクシュアリティ、民族、宗教の人に対して相手を尊重する能力、他の文化の人々にとっての健康的なライフスタイルの定義や健康に影響する文化の影響力などを理解できる能力です。これは健康をめぐる文化的な多様性(ダイバーシティ)に敏感になり、それを受け入れ、学ぶことができる力です。

 このように、社会の様々なしくみや文化を知ることが、自分だけでなく、みんなの健康をつくるために必要だということです。例を挙げて考えてみましょう。ある夫婦が授かった子どもが、障害を持って生まれてくるリスクがあることが分かったとします。医師はその夫婦に対して「15%の確率で障害を持ったお子さんが生まれる可能性があります」(科学的リテラシー)と説明し、「15%」の意味を説明するかもしれません。しかし、実際、その夫婦が子どもを出産するかどうかの決断は、そのようなリスク情報以外に、生まれてきた子どもが受ける社会に根ざした文化からもたらされる境遇(文化的リテラシー)や、生後受けられる医療や社会保障のありかたやそれらの将来の見通し(市民リテラシー)など、実際の生活に関係するいくつかの領域における事柄を検討した上で下されると考えられます。

 このように、ここで定義されるヘルスリテラシーの4つの領域の関係は、相互に高めあったり補完しあったりするものと考えられています。



2)ヘルスリテラシーの健康への影響

 ヘルスリテラシーが低いことは、健康にどのような影響をもたらすのでしょうか。特に、機能的ヘルスリテラシー(健康情報の読み書き能力)が様々な影響を及ぼすことが明らかにされてきました[5]。次のようなものです。

予防サービス(マンモグラフィ検診、インフルエンザ予防接種など)を利用しない

病気、治療、薬などの知識が少ない

ラベルやメッセージが読み取れない

医学的な問題の最初の兆候に気づきにくい

長期間または慢性的な病気を管理しにくい

保健医療専門職に自分の心配を伝えにくい

慢性の病気のために入院しやすい

救急サービスを利用しやすい

職場でケガをしやすい

死亡率が高い

 他方、機能的ヘルスリテラシー以外のヘルスリテラシーを測定した先行研究は少ないのですが、相互作用的あるいは批判的ヘルスリテラシーが高いことと、以下のようなこととの関連が報告されています[6]。

ヘルスリテラシーが高い人は、健康的な行動習慣を確立している。

ヘルスリテラシーが高い人は、仕事のストレスの対処において、積極的に問題解決をしたり他者からのサポートを求める。



コミュニケーションの向上のための方法

 ヘルスリテラシーを向上させる要因にはどのようなものがあげられるのでしょうか。過去の海外の研究からは、ソーシャルサポート、家族や仲間の影響、メディア利用などがあげられています。
 コミュニケーションを成功させるには、対象のヘルスリテラシーや価値に応じて情報を提供して、それがうまく伝わったかのフィードバックが欠かせません。そのための手法として最近、注目されているものに、ソーシャルマーケティングがあります。商品を売るためのマーケティングの手法を、非営利行為のために活用したものです。対象のニーズや好み、価値観、利用しているメディアや人とのつながりなどで、対象を分けて、メッセージの内容や伝え方を変える方法です。



ヘルスリテラシーという言葉を使う意義

 最後に、ヘルスリテラシーという概念、言葉を用いる意義について述べたいと思います。まず、従来から市民や患者の持つ力への注目はありましたが、スキル、コンピテンシーなどという呼び方では、リテラシーのように誰もが持っておくべき力という意味合いが伝わりにくいでしょう。読み書きができるというリテラシー教育の保障は、社会の一員として生活するための人権の問題として考えられていますが、ヘルスリテラシーも同様です。健康である権利の保障のためには、ヘルスリテラシーは誰もが持つべき能力であるといえます。エンパワーメントという言葉も、同じ意味合いなのですが、専門家は理解できても、誰もが理解しやすい言葉ではないでしょう。また、エンパワーされた後に残るものが何かが明確ではありません。リテラシーという言葉はその普及度からも市民でも医療者でも理解しやすく、スキルとエンパワーメントの持つ両者の特徴をあらわしている点で魅力的だと思います。また、疾患や健康問題を問わないで、個々人に必要な力、共通の目標として使えます。

 さらに、その向上のために、広く、科学リテラシー、市民リテラシー、文化リテラシー、メディアリテラシーなど、多くのリテラシーの向上にかかわっている方々とつながることが可能です。これは、まさにヘルスプロモーション活動に必要なことです。また、ヘルスリテラシーを測定し、評価する意義もあります。それが測定できればその能力の成長、発達を確認できますし、向上のためのプログラムも計画、評価可能です。

 ただし、ヘルスリテラシーはすべての人が持つことが望ましいですが、残念ながらこれまでにその教育を受けられなかった人のほうが圧倒的に多く、すべての人がこれから身に付けるのは大変です。そう考えると、それが低い人は、セーフティネットとして高い人とつながっていることが保障されていることが不可欠だと思います。つながっている人を活用できることもヘルスリテラシーです。

 Facebook、Twitter、LINE、ブログ、YouTubeなどのソーシャルメディアをはじめ、最近はやりつつあるカフェや保健室、患者図書室など様々な人がつながる場を通して、1人ひとりのヘルスリテラシーをめぐる経験についてコミュニケーションをとることが可能になってきています。そのようなつながりや学びあいのなかで1人ひとりに合ったヘルスリテラシーの向上方法も探れるでしょう。ヘルスリテラシーは、人々が支え合うために、つながり、学びあうというソーシャルキャピタル形成の重要な柱となっていると考えられます。

文献
1)Sorensen K, et al. Consortium Health Literacy Project European. Health literacy and public health: a systematic review and integration of definitions and models. BMC Public Health. Jan 25;12:80, 2012.
2) Nutbeam, D. : Health literacy as a public health goal: a challenge for contemporary health education and communication strategies into the 21st century. Health Promotion International, 15(3), 259-267, 2000.
3)Zarcadoolas, C., Pleasant, A. F. & Greer, D. S. : Advancing Health Literacy: A Framework for Understanding and Action. San Francisco, CA: JOSSEY BASS, 2006.
4)舞田敏彦:メディアへの信頼度が高いだけに世論誘導されやすい日本. ニューズウィーク日本版.2015.  http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4034_1.php 5)Berkman, N. D., Sheridan, S. L., Donahue, K. E., Halpern, D. J. & Crotty, K. Low health literacy and health outcomes: An updated systematic review. Annals of Internal Medicine 155, 97-107, 2011. 6)Ishikawa H, Nomura K, Sato M, Yano E. Developing a measure of communicative and critical health literacy: a pilot study of Japanese office workers. Health Promot Int. 23(3):269-74, 2008.

                                   (中山和弘、田口良子) 更新日2021年6月28日

2008年5月25日

ヘルスリテラシーのある病院、職場、地域

ヘルスリテラシーのある組織の特徴とは

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 ヘルスリテラシーは、単に個人の能力だけの話ではありません。職場や地域で言えば、そこで協力が得られるかどうか、職場や地域を変えていくことに参加できるかどうかを含みます。これは、職場や地域全体で考える問題であることがわかります。
 これはもちろん、病院などの医療機関でも同じで、患者や家族がヘルスリテラシーを向上させたり、ヘルスリテラシーに合わせてコミュニケーションを行えたりできるように変えていくには、当事者の参加が不可欠です。

 WHOのヨーロッパ事務局は、2013年にヘルスリテラシーに関するエビデンスを集めたレポートを出しています[1]。 そこでは、「ヘルスリテラシーのある組織」、すなわち誰もがヘルスリテラシーを常に向上させられる組織が持つ10の特徴が紹介されています。

 最近では、保健医療の専門家が、対象のヘルスリテラシーにあわせてコミュケーションできる能力もヘルスリテラシーであると捉えられていて、すべての人にそれが求められているのです。

組織の目標、体制、業務にヘルスリテラシーは不可欠とするリーダーシップを持つ
・ポリシーと基準を作成し実行する
・ヘルスリテラシー向上のゴールを設定し、説明責任を果たし、インセンティブを提供する
・財源と人材を割り当てる
・システムと物理的空間を設計しなおす
ヘルスリテラシーを、計画立案、評価尺度、患者安全、質の向上の中に組み込む
・ヘルスリテラシーの組織的な評価の実施
・ヘルスリテラシーの低い人に対する方針やプログラムの影響の評価
・ヘルスリテラシーをすべての患者安全計画のなかに組み入れる
全職員がヘルスリテラシーを持てる態勢をつくり、進捗をチェックする
・ヘルスリテラシーの専門知識を持つ多様なスタッフを雇う
・あらゆるレベルのスタッフのトレーニング目標を設定する
健康情報・サービスのデザイン、提供、評価のときに、サービスの対象者に入ってもらう。
・成人学習者やヘルスリテラシーの低い人を加える
・健康情報とサービスについて利用者からフィードバックをもらう
様々なヘルスリテラシーのスキルを持つ対象者に対して、スティグマを与える(烙印を押す)ことなく、そのニーズに応える
・ヘルスリテラシーについて普遍的予防策(ユニバーサルプリコーション)を適用する、例えば、ヘルスリテラシーが必要なときには誰にでも支援を申し出る。
・ヘルスリテラシーの低い人が集中している程度に応じて資源を配分する 
対人コミュニケーションにヘルスリテラシーの戦略を用いて、あらゆる接触の機会に理解しているかどうかを確認する
・理解しているかどうかを確認する(ティーチバックを使う)
・母語以外の言葉を話す人には、言葉の支援を確保する
・1度に伝えるメッセージは2つ3つに収める
・案内表示には、わかりやすいシンボルを使う 
健康の情報とサービスが簡単に利用できるようし、ナビゲーションによる手助けも提供する
・電子患者ポータルはユーザ中心にし、利用方法の練習ができるようにする
・他のサービスの予約が簡単にできるようにする
印刷物、ビデオ、ソーシャルメディアの内容は、わかりやすく、すぐに行動に移せるようにデザインして配る
・開発と厳しいユーザテストのために、ヘルスリテラシーの低い人を含めて、多様な対象ユーザを巻き込む 

ヘルスリテラシーの向上に職場で取り組む方法は

 そのレポートには、職場や地域での取り組みについても書かれています。まず、職場での取り組みについて紹介してみます。

 すでにわかっていることとして、職場での健康プログラムは行動変容に効果があり、それが最も効果を発揮するのは、付け足しのように提供されるのではなく、組織の戦略の中心に位置づけられているときだと書かれています。
 そのような介入をすれば、事故や傷病予防だけでなく、ストレスの要因(雇用の安定、仕事の要求度と自由裁量度、努力と報酬)への対処や適切なワークライフバランスの達成が可能なことがわかっているとあります。

 また、ヘルスリテラシーを高めるための投資には根拠があり、それは出勤率、業績、エンゲージメント、定着率、そして医療費を改善するとあります。雇用主が医療費に責任を負っているところでは、投資利益率(ROI)は4:1だと評価されているといいます。

 さらに、すでに効果的であることがわかっている活動について紹介してあります。先に述べた10の特徴と重なる点がありますが、職場のプログラムの開発に必要なこととして、次のことがあげられています。

  • 健康職場のための経営トップのリーダーシップがあること
  • 役員室から現場まですべての人が参加すること
  • 幅広い学習スタイルに対応した介入方法を採用すること
  • 家族を巻き込むこと
  • メッセージやプログラムを、シンプルでビジネスニーズに合ったものにすること
  • 介入の前後できちんとした尺度で影響を評価すること

 家族を含めてすべての人が参加することの大切さがわかります。また、職場で自然とヘルシーな選択ができるよう環境づくりとして、食事・ケータリング・自動販売機、距離を示して運動を促進する階段・歩道・標識、ストレッチができる休憩室などがあげられています。
 くわえて、ヘルシーなライフスタイルを実現した人にインセンティブを提供することがあげられています。そして、ピアサポート、すなわち互いに助け合うようなプログラムが健康アウトカムを改善しコストを下げることが証明されているとあります。

 人と人とのつながりやサポートが健康に大きな影響を及ぼすことは、すでに多くの研究で指摘されていることです。

ヘルスリテラシーの向上のための地域での取り組み

 では、地域の取り組みではどうでしょう。地域においても、ヘルスリテラシーの低い人に合わせてコミュニケーションをとり理解できていることを確認すること、コミュニケーションができない人にはできるような対策をもっていること、そのためにあらゆる計画やサービスで、利用者を参加させることが必要になります。

 利用者の参加は、組織が対象のニーズに合ったサービスができるために不可欠なものですが、これはただサービスの向上のためだけではないでしょう。組織を理解したり、組織の変化に参加したりすることで、住民のヘルスリテラシー、特に環境を変えることに参加できるヘルスリテラシーが身につくことが期待できると思います。

「ヘルスリテラシーのあるカナダ」にみるセクターを越えたつながり

 最後に、医療機関や地域、職場を越えてつながる、カナダのヘルスリテラシーへの取組みについて紹介します。
 カナダの公衆衛生協会は、「ヘルスリテラシーのあるカナダ」をめざして、インターセクトラルアプローチを活用していることで知られています[2]。それは、ヘルスリテラシーの向上のために優先して取組むことは何かを明確にし、そのために国と自治体や地域社会ができることは何かを考え、保健医療関係者、研究者、政策決定者の対話により、セクターを越えた仕事を促進するというものです。

 ヘルスリテラシーがある人とは次のような人であるとしています。

(1)セルフケアの方法を理解し実行する
(2)健康のためにライフスタイルの調整を計画的に実施する
(3)情報に基づいてポジティブな健康に関連した意思決定ができる
(4)いつどのようにヘルスケアにアクセスすればよいか知っている
(5)ヘルスプロモーション活動をみんなでシェアする
(6)コミュニティや社会の健康問題に取り組む

(1)から(4)は、個人的な活動ですが、(5)や(6)という社会的な活動が入っていることが特徴的です。

 3つの基本要素として、次のものがあげられています。

・知識の開発
 ヘルスリテラシーの向上に効果的なエビデンスを集め、その情報にアクセスできる知識基盤を開発・促進する

・意識の向上と能力形成
 公私セクターで働く人、専門家、住民が知識や能力を高める学習機会を開発し提供する。鍵となる利害関係者に注目してもらい、ヘルスリテラシーの重要性を伝えるコミュニケーション戦略を開発、実施、促進する。

・インフラとパートナーシップ形成
 ヘルスリテラシーの向上は複数のセクターで共有する責任である。5つのキーパートナーは行政、ヘルスセクター、教育セクター、職場・企業、コミュニティ組織(図書館、レクリエーションセンター、宗教施設、メディア、移民サービス、ファミリーセンター、女性センター、組合、高齢者サポートプログラム)。

 このように市民がすべて参加するのはもちろん、すべてのセクターがパートナーとなって行動する社会的な活動となっています。
 特にヘルスリテラシーの低い人、言い換えればその教育を受けられず低いままでいる人を、多様なセクターで受け入れて支援してくシステムをつくるものです。
 ヘルスリテラシーが低い人は、社会がつくり出しているという背景を見据えたものとなっています。

(中山和弘)

文献
[1]WHO Regional Office for Europe. Health literacy: The solid facts. http://www.euro.who.int/__data/assets/pdf_file/0008/190655/e96854.pdf
[2]Public Health Association of British Columbia: An Inter‐sectoral Approach for Improving Health Literacy for Canadians. 2012. http://www.phabc.org/userfiles/file/IntersectoralApproachforHealthLiteracy-FINAL.pdf 

2008年5月24日

ヘルスリテラシーを測る方法

ヘルスリテラシーを測る方法

ヘルスリテラシーを測定する

 最近のヘルスリテラシーの定義では、健康情報を入手、理解、評価、活用する能力で、ヘルスケア、疾病予防、ヘルスプロモーションの3つの領域で用いられるものとなっていて、多様な場面で活用する複数の能力が含まれるようになっています[1]。そしてそれに合わせた、包括的で幅広い能力を測定するものが開発されています[2]。このような現在に至るまでには、測定ツールとして多くのヘルスリテラシーの尺度が開発されていて、200以上になっています。アメリカの国立医学図書館とボストン大学医学部がそれらを集めたデータベースHealth Literacy Tool Shedを作って公開しています。測定内容、質問数、測定方法、入手方法、言語などを選んで探せるようになっています。


 そもそも測定の始まりは、アメリカでリテラシー(識字能力)を測定するために開発されたものです。これは読み書きに限ったものではなく、「読み書きそろばん」というように、数値を理解したり計算ができたりする数的な能力も含まれます。数的な能力は、リテラシーの一部ですが、それと区別する場合は、ニュメラシー(numeracy)と呼ばれています。英語のナンバー(number、より正確に言えばその形容詞numericalまたはnumeric)と読み書き能力のリテラシー(literacy)からできた造語です。健康に関連した読解力や理解力としてのリテラシー、すなわち機能的といわれるヘルスリテラシーを測定するために開発されたのがREALM、TOFHLAなどのテストでした。これらをもとに多くの研究が実施されてきています。


 ただし、これらは分量が多かったため、病院や診療所などでヘルスリテラシーの低い患者さんをその場ですぐに見つけて、その人に合わせたコミュニケーション方法を用いるという目的には使いにくいものでした。そのために、これらの短縮版が開発されたり、さらに簡略なアイスクリームの容器の栄養表示ラベルを使ったもの、1つの質問への回答で判断しようというものが開発されてきました。

 

 さらに、糖尿病患者、がん患者向けなど、特定の健康問題に特化した尺度も開発されています。違う角度から見たものでは、インターネットの健康情報を活用できる能力を測定するeヘルスリテラシーの尺度もあります

 

 ここでは、これらのなかから、研究でよく使われてきている基本的な尺度、すなわち機能的ヘルスリテラシーの尺度のいくつかと、包括的なヘルスリテラシーの尺度、疾患や健康問題別の尺度、日本語版が使える尺度を紹介します。

基本的なヘルスリテラシー尺度

 読み書きや数的な能力である機能的なヘルスリテラシーを測定する尺度として、よく利用されてきた尺度を紹介します。

Rapid Estimate of Adult Literacy in Medicine (REALM)

 125個の医学的な英単語について、適切に発音することができるかどうかをみるテスト形式の尺度です[3]。英単語を少なくした66項目短縮版(pdf)[4]、さらに短縮した8項目のREALM-R[5]、7項目REALM-SFがあります[6]。正しく発音できた英単語の数がその人の得点となり、ヘルスリテラシーを判断する指標となります。

Test of Functional Health Literacy in Adults (TOFHLA)

 50問の読解力部門と17問の数的基礎力部門からなるテスト形式の尺度です。読解力部門では、病院で患者さんが実際に目にする文章などを使った穴埋め型の問題になっており、正しい回答を選択肢から選ぶものです。数的基礎力部門は、処方薬の服用方法などが書かれたラベルから必要な数的情報を扱うことができるかを確かめるものです[7]。36問の読解力部門と4問の数的基礎力部門からなる短縮版もあります[8]。サンプルをこちらで見ることができます。正答数に応じてヘルスリテラシーを判断します。

Newest Vital Sign (NVS)

 アイスクリームの容器の栄養表示ラベルを使って対象者に読解力や解釈力、計算力を問う6つの質問からなるテスト形式の尺度です。数的能力であるニュメラシーを測定することができます。これらの質問に対する正答数が得点となりヘルスリテラシーを判断します[9]。こちらからダウンロードできます。

SILS (Single Item Literacy Screener)

 現在最も簡便なもので、1つの質問で測定しようとするものです。「医者や薬局からもらう説明書やパンフレットなどの文書を読むとき誰かに助けてもらうことはどのくらいありますか」という質問に「いつも」「しばしば」「ときどき」「たまに」「ない」で回答してもらい「ない」以外の人はヘルスリテラシーに何らかの問題があると判断するものです[10]。「問診票を自分だけで書き入れる自信がどれくらいありますか」「文書を理解するのが難しく、自分の病状がわからなくて困ったことはどれくらいありますか」など、なるべく数の少ない質問で測定できないかという試みがされてきています[11]。


 これらの尺度でとくに簡略なものは、診察の時にヘルスリテラシーが低い患者さんを発見するのに使えます。ヘルスリテラシーが低い患者さんは、医学的な問題の最初の兆候に気づきにくかったり、慢性の病気のために入院しやすいといったリスクを持っている可能性があります。このように健康にとってリスクのある行動をとってしまう人を早期に見つけて、わかりやすいコミュニケーションに心がけることでリスクを取り除くことが可能になります。

包括的なヘルスリテラシー尺度

 予防の促進や生活の質(Quality of life, QOL)の向上を目的としたヘルスリテラシーの測定が求められるようになってきました。ヘルスリテラシーが低いことをリスクとして発見するだけでなく、ヘルスリテラシーが高いことをその人が持つ資源として測定することを目的としています。そのため、医療場面に限らない予防や健康増進などの幅広いヘルスリテラシー尺度が開発されています。ここでは、包括的な尺度として代表的な2つを紹介します。

European Health Literacy Survey Questionnaire (HLS-EU-Q47)

 これはヘルスリテラシーの4つの情報に関する能力(入手、理解、評価、活用)を3つの領域(ヘルスケア、疾病予防、ヘルスプロモーション)に渡って12次元で測定する尺度で、合計で47問からできています。質問例として「喫煙、運動不足、お酒の飲みすぎなどの生活習慣が健康に悪いと理解するのは」に対して、「とても簡単」「やや簡単」「やや難しい」「とても難しい」のいずれかで回答するものです[2]。項目はこちら(pdf)で見ることができます。ただし、実際の調査では対象者に見せる例示(例えば専門家なら、「医師、薬剤師、心理士など」)があるので注意が必要です。
 47項目から16項目を選んだ短縮版HLS-EU-Q16もあります。さらに、12次元から1つずつ選び、12項目にした短縮版も2つ開発されています(HLS-Q12HL-SF12)。

Health Literacy Questionnaire

 これはヘルスリテラシーとして独立した以下の9つの領域を設けています。


  1. ヘルスケア提供者に理解されサポートされている感覚
  2. 十分な情報を手に入れて自分の健康を管理すること
  3. 積極的に自分の健康を管理していること
  4. 健康のためのソーシャルサポート
  5. 健康情報の評価
  6. ヘルスケア提供者と積極的に関わることができること
  7. ヘルスケアシステムを上手に利用できること
  8. よい健康情報を見つけられること
  9. 健康情報がよく理解できて何をすべきかがわかること

 一つひとつの領域に関する質問項目が用意されており、全部で44項目の質問があります。この尺度はテスト形式のものではなく、質問に対して「まったくそう思わない」「そう思わない」「そう思う」「とてもそう思う」の4件や、「できない」「とても難しい」「やや難しい」「やや簡単」「とても簡単」で回答するものです[12]。


 これら2つの包括的なヘルスリテラシー尺度は他の尺度に比べて質問項目が多くなっています。そのため診察の場面で患者さんに答えてもらうには負担が大きく、利用することは難しいかもしれません。この2つの尺度は、国や地域、職場や学校といった集団のヘルスリテラシーを対象とし、個人の能力だけでなく人々を支える環境があるかを測定しているからです。そのため、環境を変えることで、人々のヘルスリテラシーを向上させて、健康やQOL(生活の質)を高める方法を考えることを目的としています。

疾患・状態別のヘルスリテラシー尺度

 疾患や状態別のヘルスリテラシー尺度について紹介します。糖尿病とがんの尺度について紹介しますが、ここに挙げる以外にも、歯科、遺伝、HIV、栄養、口腔など多様な尺度があります。

Literacy Assessment for Diabetes (LAD)

糖尿病患者向けのヘルスリテラシー尺度です。これはREALMのように医療関係の単語についての発音をテストし、その語についての認知を判断するものです。提示される単語の内容が糖尿病に関するものとなっているのが特徴です[13]。

Stieglitz Informal Reading Assessment of Cancer Text (SIRACT)

これはがん患者向けの読解力を測定するテストになっています。提示される文章ががんに関する文章になっていることが特徴です[14]。


日本のヘルスリテラシー尺度

 日本でもヘルスリテラシーのへの関心は高まってきており、測定するための尺度が開発されているので紹介します。

European Health Literacy Survey Questionnaire日本語版 (J-HLS-EU-Q47)

 これは紹介したHLS-EU-Q47の日本語版です。この尺度によって日本人のヘルスリテラシーと他国のヘルスリテラシーを比較することができるようになりました。この尺度を用いた研究では、日本のヘルスリテラシーはヨーロッパ諸国より低いという結果が出ています[15]。論文はこちらで、質問紙はこちら(pdf)です。ヨーロッパでは面接調査なのですが、日本語版は自記式なので、「わからない/あてはならない」という選択肢を追加し、例示もカッコで質問項目中に入れてあります。HLS-EU-Q47については、短縮版として16項目版と2つの12項目版ができているので、この日本語版から16または12を選んで使う方法も検討されてよいと思います。

機能的・伝達的/相互作用的・批判的ヘルスリテラシー尺度 (Functional, Communicative, and Critical Health Literacy, FCCHL)

 これは紹介したNutbeamの3種類のヘルスリテラシーを測定する尺度です。対象者は14問の質問に対して「まったくそう思わない」「あまりそう思わない」「どちらともいえない」「ややそう思う」「とてもそう思う」の5つの選択肢で回答します。糖尿病の患者さんを対象として開発された尺度ですが[16]、後に、成人のヘルスリテラシーを測定する尺度The 14-item health literacy scale for Japanese adults (HLS-14)として利用できるようになりました[17]。

伝達的・批判的ヘルスリテラシー尺度 (Communicative and Critical Health Literacy, CCHL)

 これはNutbeamの2種類のヘルスリテラシーを測定する尺度です質問項目も5項目に絞られています。回答方法はFCCHLと同じく5つの選択肢で回答します。労働者のヘルスリテラシーの測定に利用されており、患者に限らず市民に利用できる尺度です[18]。

eHealth Literacy Scale 日本語版(J-eHEALS)

 これはeヘルスリテラシーを測定する尺度の日本語版です。eヘルスリテラシーとはインターネット上の健康情報を適切に検索し、評価し、活用していく能力です。今まで紹介した尺度と違ってインターネット上の健康情報に焦点を当てているところが特徴的です。成人を対象に8問の質問へ回答してもらうものです。回答方法はFCCHLと同じく5つの選択肢で回答します[19]。

Japanese version of the NVS (NVS-J)

 これは、アイスクリームの容器の栄養表示ラベルを使ったテストで、ニュメラシーを測れるものの日本語版です[20]。

Japanese Health Knowledge Test (J-HKT)

 これは提示される医学関連の用語に対して対象者が一番適していると思う文章を4つの中から選ぶテスト形式の尺度です。健康に関する知識とヘルスリテラシーの関係は密接な関係にあることから知識を問うものとして開発されました。問題は15問用意されており、「腫瘍」や「エビデンス」といった言葉が問題に含まれています。これは一般の成人向けに利用されています[21]。


Health Literacy on Social Determinants of Health Questionnaire(HL-SDHQ)

 社会の健康格差を生み出す政治的、社会的、経済的要因のことを健康の社会的決定要因と言います。これは、HLS-EU-Q47でも、部分的に測定しているのですが、項目数はごく少数に限られてたため、健康の社会的決定要因に特化した、社会のあり方と健康の関係を知り行動できる力を測定する尺度が開発されています[22]。詳しくは、健康を決める社会を知り行動するヘルスリテラシーをご覧ください。



 このように日本においても様々な用途でヘルスリテラシーの尺度が開発されています。ヘルスリテラシーを測定する際には、自分が測定したいヘルスリテラシーの定義と内容を明確にすることが大切です。それを測定できる尺度が日本にあればそれを利用すれば良いでしょう。しかし海外にあって日本に無いものや、海外にも日本にも無いものは新しく尺度を開発する必要があります。

(松本真欣、中山和弘)最終更新日 2022年9月4日

文献
[1] Sørensen K, et al. Consortium Health Literacy Project European. Health literacy and public health: a systematic review and integration of definitions and models. BMC Public Health. Jan 25;12:80, 2012.
[2] Sørensen K, et al. Measuring health literacy in populations: illuminating the design and development process of the European Health Literacy Survey Questionnaire (HLS-EU-Q). BMC Public Health 2013 13:948.
[3] Davis TC, Crouch M, Wills G, Abdehou D. Rapid assessment of literacy levels of adult primary care patients. Fam Med 1991;23: 433e55.
[4] Davis TC, Long SW, Jackson RH, Mayeaux EJ, George RB, Murphy PW, et al. Rapid estimate of adult literacy in medicine: a shortened screening instrument. Fam Med 1993;25:391e5.
[5] Bass PF 3rd, Wilson JF, Griffith CH. A shortened instrument for literacy screening. J Gen Intern Med. 2003 Dec;18(12):1036-8.
[6] Arozullah AM, Yarnold PR, Bennett CL, et al. Development and validation of a short-form, rapid estimate of adult literacy in medicine. Med Care 2007 November;45(11):1026-33.
[7] Parker RM, Baker DW, Williams MV, Nurss JR. The test of functional health literacy in adults: a new instrument for measuring patients' literacy skills. J Gen Intern Med 1995;10:537e41.
[8] Baker DW, Williams MV, Parker RM, Gazmararian JA, Nurss J. Development of a brief test to measure functional health literacy. Patient Educ Couns 1999;38:33e42.
[9] Weiss BD, Mays MZ, Martz W, Casto KM, DeWalt DA, Pignone MP, et al. Quick assessment of literacy in primary care: the Newest Vital Sign. Ann Fam Med 2005;3:514e22.
[10] Morris NS, MacLean CD, Chew LD, Littenberg B: The Single Item Literacy Screener: evaluation of a brief instrument to identify limited reading ability. BMC Fam Pract 2006;7:21.
[11] Chew LD, Bradley KA, Boyko EJ: Brief questions to identify patients with inadequate health literacy. Fam Med 2004, 36(8):588-594.
[12] Osborne, R. H., Batterham, R. W., Elsworth, G. R., Hawkins, M., & Buchbinder, R. (2013). The grounded psychometric development and initial validation of the Health Literacy Questionnaire (HLQ). BMC Public Health, 13, 658.
[13] Nath CR, Sylvester ST, Yasek V, Gunel E. Development and validation of a literacy assessment tool for persons with diabetes. Diabetes Educ. 2001;27(6):857-64.
[14] Agre, P, Steiglitz, E, Milstein, G (2006). The case for development of a new test of health literacy. Oncology Nursing Forum, 33(2): 283-89.
[15] Nakayama K., Osaka W., Togari T., Ishikawa H., Yonekura Y., Sekido A., Matsumoto M. Comprehensive health literacy in Japan is lower than in Europe: a validated Japanese-language assessment of health literacy. BMC Public Health. 2015; 15(1): 505.
[16] Ishikawa H, Takeuchi T, Yano E: Measuring functional, communicative, and critical health literacy among diabetic patients. Diabetes Care 2008, 31(5):874-879.
[17] Suka M., Odajima T., Kasai M., Igarashi A., Ishikawa H., Kusama M., Nakayama T., Sumitani M., Sugimori H. The 14-item health literacy scale for Japanese adults (HLS-14). Environmental Health and Preventive Medicine. 2013; 18(5): 407-415.
[18] Ishikawa H., Nomura K., Sato M., Yano E. Developing a measure of communicative and critical health literacy; a pilot study of Japanese office workers. Health Promotion International 2008; 23(3): 269-274.
[19] Mitsutake S, Shibata A, Ishii K, Okazaki K, Oka K: Developing Japanese version of the eHealth Literacy Scale (eHEALS). Nihon Koshu Eisei Zasshi 2011, 58(5):361-371.
[20]Kogure T, Sumitani M, Suka M, Ishikawa H, Odajima T, Igarashi A, Kusama M, Okamoto M, Sugimori H, Kawahara K. Validity and reliability of the Japanese version of the Newest Vital Sign: a preliminary study. PLoS One. 2014 Apr 24;9(4):e94582.
[21] Tokuda Y, Okubo T, Yanai H, Doba N, Paasche-Orlow MK. (2010), Development and validation of a 15-item Japanese Health Knowledge Test. J Epidemiol., 20(4):319-28.
  [22]Matsumoto M and Nakayama K. Development of the health literacy on social determinants of health questionnaire in Japanese adults. BMC Public Health. 2017 Jan 6;17:30.

2008年5月26日

意思決定での勘や経験の落とし穴

意思決定での勘や経験の落とし穴

認知バイアスとは

 人の日常は選択の連続です。「今日の昼食は何にしようか」「傘を持って出かけようか」といった日常生活の選択から、就職や結婚など人生のイベントまで様々です。人は元来、不必要なところにはなるべく頭を使いたくないと思って生きています。限られた時間と労力の中で、なるべく小さなエネルギーですむように、勘や経験に頼って判断していることがあります。これをヒューリスティックスといいます。ヒューリスティックスは、生きていく上で不可欠なものです。選択の連続である日常で、いつまでも悩んでいるわけにはいかないからです。


 しかし、勘や経験を頼りに選択した結果、多少なりとも後悔をした経験はないでしょうか?人は、人間だからこその考え方の癖や傾向(=認知のゆがみ)を持っており、それがジャマをして合理的な決定や良い意思決定に結び付かなかったりすることがあるからです。この認知のゆがみを"認知バイアス"といいます。


 認知バイアスの研究は、経済学の分野を中心に行われてきました。しかし、最近では医療の分野でも行われるようになってきています。特に医療の分野では、意思決定が人の生命や健康に直結するという特徴があり、選択した結果のやり直しがきかない、後戻りができないという場合もあります。


 ここでは、12種類の認知バイアスについて、表1のように3つのグループに分けて紹介します[1]。大事な意思決定をする時には、少しでも間違いを減らしたいものです。認知バイアスについて知り、人は理にかなった決め方からどのようにそれてしまうのかを見ていきたいと思います。勘や経験だけに頼らずに、より正しく情報を理解して選択肢の吟味をし、自分の健康や、受ける医療に対して納得した意思決定につなげましょう。


表1.12種類の認知バイアス[1]

グループ

認知バイアスの種類

確率に関連した認知バイアス

サポート理論
あと知恵バイアス
確証バイアス

好み、価値に関連した認知バイアス

フレーミング効果
選好逆転
選択肢の追加
サンクコストバイアス
不作為バイアス
後悔
決定の重み付け

時間に関連した認知バイアス

時間割引率
順序評価


確率に関連した認知バイアス

 医療者は医療を提供する時に、エビデンス(科学的な証拠)をもとに行っています。しかし、それは絶対的なものではなく、あくまでも確率や可能性であらわされる不確実なものです。そしてそのデータは、ある人に当てはまる場合もあれば、当てはまらない場合もあります。ここで紹介する3つのバイアスは、その不確実性を判断する時に生じるバイアスです。

確率に関連したバイアス

サポート理論

 何かを選ぶときに、選択肢の提供方法が違うと、どれを選ぶかの判断が変わってくる可能性があります。選択肢を紹介するときに、紹介する側に何らかの仮説があって、その仮説がサポート(支持)されるという意味でサポート理論といいます。例えば、治療法を選択するときに、医師に次のように2つの言い方をされるとどうでしょう。

医師

「あなたの場合、手術か抗がん剤治療、...そんなところですね」

「あなたの場合、手術か抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン療法、代替療法、少し様子をみて経過観察、があります」

 前者の場合、医師の頭にある何らかの仮説から、それへのサポートが入り込んでいて、選択肢を少なく紹介されている可能性があります。手術と抗がん剤治療のほかを"そんなところですね"と一くくりにされてしまうと、いったいその中にどれほどの選択肢があるのか気付きにくくなります。"そんなところ"の中にあるはずの"放射線治療、ホルモン療法、代替療法、経過観察"という選択肢が省略されてしまうと、その選択肢の可能性を低く見積もってしまいます。
 治療法など専門的なことは、医師を始めとした専門家でなければわからないものが多いものです。医療を受ける側となった場合、選ぼうとする前に、自分の前にすべての選択肢が揃っているかを医師に確認する必要があります。


あと知恵バイアス

 あと知恵バイアスというのは、出来事が起きて結果が分かったあとに、「それわかっていたよ」「そうなると思っていたよ」と、あたかも始めから知っていたかのように、自分の考えを結果と一致させようとすることです。それは、もし結果を知らないままで考えていたら、そうなるとは思っていなかったとしても起こります。
 例えば、医師の診断に対する実験があります。患者の記録を見せて、どんな病気を持っていると考えられるかを問うものです。事前に、患者の正しい診断名を知らせたグループと知らせないグループでは、知らせたグループのほうが正しい診断名を多く答えました[2]。これは、十分に知識がある医師たちを対象として起こったことです。主治医以外に意見を求めるセカンドオピニオンのような場面でも起こるかもしれません。

 人は、答えや結果を先に知らされると、考えることを止めてしまい、自分もそう思っていたと思い違いをしてしまい、判断力や考える力がつかなくなることがあります。数学のドリルで、先に答えを見てから計算式を解くのと同じことです。あと知恵バイアスを避けるには、なぜそう思ったのか?他に何か選択肢はないのか?を考えることで、バイアスを避けることができるといわれています。



確証バイアス

 人は、自分の主張や思い込みを支持する情報や、都合のいい情報を集めて、自分の主張を強化しようとする傾向があります。それを確証バイアスといいます。医師が診断をする場面でも、医師は自分が立てた仮説を支持するようなデータを探したり、仮説を支持するようにデータを解釈したり、仮説を否定するような検査を行うことを避けたりすることがあるといわれています[3]。

 確証バイアスに陥らないよう、客観的にエビデンスを集めたガイドラインやマニュアルなどがありますが、医師も人間であり、医療を受ける側の協力も必要になってきます。検査は何のために行い、検査をすることで何がわかったのか、どのような経緯でその診断に至ったのか、医師は患者にわかりやすく説明する必要があります。そして患者側も、そういった説明を医師に求める必要があります。


好み、価値に関連した認知バイアス

 医療の分野での意思決定には、確率や可能性だけでなく、その人の好み(選好)や価値観も重要視されます。例えば、花粉症の薬は症状を緩和してくれますが、副作用として眠気が出ることがあります。あなたは薬で得られる利益をとりたいでしょうか?それとも眠気が出ると困るからと薬を使わないでしょうか?決定をする時には、自分の価値やライフスタイル、自分なりの優先順位をもって決めなければなりません。以下、好み(選好)に関する7つのバイアスを紹介します。


フレーミング効果

医師

「この手術による生存率は、90%です。」

「この手術による死亡率は、10%です。」

 この2つは、同じことを違う枠組み(フレーム)で伝えています。しかし、フレームの違いで受ける印象はずいぶんと変わります。死亡率が10%と言われると、手術を受ける気がしないでしょう。不利益をこうむる気がします。


 フレーミング効果は、プロスペクト理論という、経済学の理論がもとになっています。人には、同じ価値を持つものであっても、それを得る喜び(利得)よりそれを失う悲しみ(損失)の方を大きく受け止める性質があります。1000円もらった喜びよりも、1000円なくした悲しみの方が大きく感じるのです。価値の感じ方の違いを説明したものを、プロスペクト理論といい、価値の感じ方の違いをグラフで表したものを価値関数といいます[4]。人は、損失の方をより大きく受け止めるため、なるべく損をしないように物事を選ぶ傾向があり(リスク回避)、この性質がフレーミング効果へ影響しています。経済学の分野では、損得はお金で判断されますが、保健医療の分野では、利益は健康や寿命であり、リスクは病いや障害、死となります。


 フレーミング効果が、医療の分野でも見られるということを示した研究があります[5]。かりに、『大規模な感染症が蔓延し、600人が感染して死亡するかもしれない』と想定された時、あなたはどちらの対策を選ぼうとするでしょうか。

医師

対策Aをとれば、200人が助かる

対策Bをとれば、1/3の確率で600人全員が助かる

 対策Aを選ぶ方が多いのではないでしょうか。AもBも、違うフレームで説明していますが、同じことを伝えています。しかし、Aの方が損をしないように聞こえます。

 一方、損をした時には、人は多少のリスクは受け入れられる(リスク選好)と考え、リスクをとる傾向に走ります。ギャンブルで少し負けかけたら、有り金を全部はたいてしまった、というようなことです。同様に感染症の対策として、

医師

対策Cをとれば、400人が亡くなる

対策Dをとれば、2/3の確率で600人全員が亡くなる

 という選択肢が提示されれば、今度は対策Dを選びがちです。"亡くなる"という負のフレームで情報を提示されると、より損にならなそうな選択肢を選ぼうとするからです。


 わたしたちは普段、提供された情報だけで判断しがちです。しかし、違った枠組み(フレーム)で情報を読み取ってみると、異なる印象を受けるかもしれません。


選好逆転

 選好とは、ほかのものよりも好んで選ぶという意味です。選好逆転とは、状況や場合によって選択肢の優先順位が変わることをいいます。本来、BよりAを選ぶならば、BよりAの方にお金を多く払うべきで、BよりもAを高く評価するべきです。しかし、場合によってその順序が変わることがあるということです。

 選好逆転を実証した研究があります[6]。商品に関する項目と、健康に関する項目について、2つの方法で評価してもらいました。売るならいくらかという「値段」と手に入れるのをあきらめる代わりに欲しいと思う「寿命の延び」です。

〈商品に関する項目例〉
・飛行機のチケット
・映画のチケット
・バカンス
・大好きなセレブとデート
〈健康に関する項目例〉
・エイズのワクチン
・虫歯にならない
・両方の視力が2.0になる治療
・がんにならない治療

 本来であれば、高い値段がついたものほど、寿命も長くなるはずです。しかし実際には、「値段」で評価した場合は、商品の項目のほうが健康の項目よりも順位が高くなった一方で、「寿命の延び」で評価した場合は、健康の項目の方が商品の項目よりも順位が高くなりました。商品はそもそも普段お金でやりとりされるものであり、健康は寿命と関係が強いので、関連のあるもので評価したほうが、高くなる傾向にあるということです。評価をする物差しによって、選好の逆転が起こったということです。

 人の価値観は多様で、どこに重きを置くかは人それぞれです。しかし、ただ単に自分の好みを引き出すと、偏りが生まれる可能性があります。今選ぼうとしているものは自分の時間、お金、人生でどれほどの価値を持ち、どれほどの影響力を持つのか、様々な側面から吟味し、総合的に評価する必要があるでしょう。


 こちらのサイトもどうぞ。
その比較で決定していい?----選好逆転


選択肢の追加

 例えば、選択肢が2つから3つに増えたら、選択肢の選ばれ方は多様になるだろうと予測がつきます。しかし、選択肢が増えることで、かえってある特定の選択肢が選ばれる確率が増えることがあります。

 腰痛を訴える患者を、最初に診察した専門医ではない医師が、どのような選択肢を選ぶかという研究があります[7]。まず、以下のような2つの選択肢が提示されました。

医師

A:専門医に相談する

B:痛み止めの薬を始めて、専門医に相談する

 すると、Aを選ぶ医師とBを選ぶ医師は半々くらいでした。

 次に、3つの選択肢が提示されました。

医師

A:専門医に相談する

B:痛み止めX薬を始めて、専門医に相談する

C:痛み止めY薬を始めて、専門医に相談する

 すると、7割の医師が "A:専門医に相談する"を選ぶという結果になりました。2つの選択肢が提示されていたところに、どちらかに似た選択肢が加わると、それ以外の選択肢が選ばれる確率が高くなったというものです。複数の選択肢から1つを選ぶ時には、なぜそれを選んだのか、医師は説明しなければなりません。この場合、X薬もY薬もどちらも痛み止めであり、どちらかを選ぶというのは難しい、だったらどちらも飲まない方を選ぼう、というふうになるわけです。


 意思決定をする時には、それぞれの選択肢のメリット・デメリットを比較する作業が必要です。ほかの選択肢と少し違っているから、ほかの選択肢と比べたらいい方だから、という理由だけで選ぶのではなく、1つひとつの選択肢について、自分にとってどんなメリット・デメリットがあるのか、自分の価値観にあっているものはどれかを吟味していく必要があるでしょう。


サンクコストバイアス(別名コンコルド効果)

 サンクコストとは、サンク(=埋没、沈没)したコスト(費用)、過去に費やしたもう回収できないコストを指す経済学の用語です。サンクコストバイアスとは、サンクコストに引きずられて、行動がゆがめられることです。例えば、投資を続けても損をすることはわかっているのに、すでに費やしたお金や時間を惜しんで、投資を続けてしまうことです。医療の分野では、治療費や受診に伴う交通費、時間、治療に伴う苦痛、精神的な負担などが、サンクコストとして挙げられるでしょう。もう効果がないとわかっているのに、過去に費やしたサンクコストに引きずられて現行の治療を続けてしまう、といったことです。



 サンクコストバイアスを検証した研究があります[8]。この研究では、医師に対して、医療に関係のない日常生活に関わるシナリオと、医療に関わるシナリオが提示されました。

花子さん

日常生活シナリオ

花子さんは、夫から誕生日プレゼントにチェロをもらった。花子さんは初心者向けのチェロのレッスンに通うため、レッスン代3か月分を前払いした。ひと月経ったところで、花子さんはチェロがつまらない、楽しめないと思い、レッスンに通うのをやめたくなった。
花子さんはどうすべきか?

太郎さん

医療シナリオ

太郎さんは、2か月前に胃カメラ検査を行った。そこで逆流性食道炎(胃液や食物が逆流し、胸やけを生じる)が見つかり、4か月分の薬を購入し治療中であった。ところが薬をふた月飲んでもまだ胸やけ症状は治らず、副作用でだるさもある。主治医はどうすべきか?

 それぞれのシナリオで、サンクコストバイアスがどう働くかを調べています。これらに対する回答として次の3つの選択肢があります。

花子さんと太郎さん

A:サンクコストは無視して、新たに切り替えたほうがいい

B:すでに使ったお金を無駄にしないために、計画通り続けたほうがいい

C:これまで続けたのだから、計画通り続けたほうがいい

 この結果、医師は日常生活に関わるシナリオに比べ、医療に関わるシナリオではそれほどバイアスの影響を受けず、BやCよりもAを強く支持する傾向にありました。日頃トレーニングを受け、専門家として一貫した態度を求められる分野では、バイアスを避けられるということでしょう。しかし、費やした金額が大きいほど、Bを支持しやすい傾向が見られました。やはり医師もサンクコストバイアスに流されやすいということはあるのです。


 治療の場合、時間もお金も、費やすのは医療を受ける側であり、治療や苦痛を受けるのも医療を受ける側です。サンクコストバイアスなしに決断するのは、なかなか難しいかもしれません。しかし、元に戻せないコストに縛られず、それらを経験として大切にしながら、切り替えて判断していくことが大切です。 元に戻せないコストに縛られず、この先どれだけのコストがかかるのか?という視点で、最適な判断をする必要があるでしょう。


 サンクコストバイアスについて、以下のサイトもご参考下さい。
サンクコストを阻止する諦め力 為末大と町田樹に学ぼう


不作為バイアス

 人は現状維持を好み、何もしないことで起こるリスクより、積極的に取り組んで起こるリスクの方を避けたがります。これを不作為(無為)バイアスといいます。この現象を、"インフルエンザワクチンを打つか打たないか"で検証した研究があります[9]。以下の条件を想定して下さい。

インフルエンザによって、10000人中10人の子どもが亡くなる
ワクチンを接種することによって、インフルエンザにかからなくなる
しかし、ワクチンの副作用で亡くなることがある

 自分がもし子どもの親だったら、ワクチンの副作用で亡くなる子どもの割合がどれくらいであれば、子どもにワクチンを受けさせるでしょうか。


 研究では以下のような結果が出ました。かっこ内は、それを選んだ人の割合を示しています。

⑤	不作為バイアス

 この状況下で、1人でも多く助かるのであれば、副作用で死亡するリスクがあったとしても、ワクチンを打つという選択をすべきところです。しかし、その選択をすると答えた人は9%で、そもそも副作用で子どもが亡くなるなんて許容できない、と答えた人は23%でした。ワクチンを打たずにインフルエンザで亡くなること(不作為によって起きた悪い結果)よりも、ワクチンを打ち、副作用によって亡くなること(作為によって起きた悪い結果)の方が重大視され、何かすることで損をするのを避けたいという考えが邪魔をしたからでしょう。


 今ある現状を維持することの方が抵抗は少なく、先に起こりうることを予測して意思決定を行い、わざわざ行動を起こすというのは難しいことです。不確実なことが多い医療の分野では余計に難しいでしょう。"行動をしない""現状を維持する"というのは、意識しなければ選択肢として見過ごしてしまいそうですが、大切な選択肢の1つです。しないことを選んでいるということに気を付けましょう。

 不作為バイアスについて、以下のサイトもご覧下さい。
やって失敗するよりは...―不作為バイアス


後悔

 後悔とは、自分が選んだ選択肢の結果について、選ばなかった選択肢の結果を想像して比べてみた時に起こる感情です。様々な選択肢を選んだ時の結果を想像し、比べてみることは、意思決定をする時の重要なプロセスです。しかし、それぞれの結果がどうなるかは事前にはわからないわけですし、どのように想像するかに左右されます。比較した時の違いがあまりに現実とかけ離れていると、選択肢に偏りが生まれます。


 医療の世界では、後悔に関しての研究はあまりされていません。選ばれなかった選択肢は、まだエビデンスが確立していなかったり、普及していなかったりするからです。しかし、後悔は「不作為バイアス」や「フレーミング効果」など様々な意思決定に影響を与えているといわれています。人は、後悔をしたくないからリスクを回避しようとするからです。「フレーミング効果」でも触れたように、なるべく損をしないような選択肢を選ぼうとします。しかし、リスクを避けようと選択肢を選んだとしても、結果的に大なり小なり後悔はするかもしれません。どのような葛藤があった上でその選択をしたのか、どれだけこの問題に取り組んだのかということを、自分の中で納得のいくまで考えたいものです。


決定の重み付け

 「X薬を使ったら、死亡率が40%から30%へ下がった」というのと、「Y薬を使ったら、死亡率が10%から0%になった」というのは、どちらも10%低下しているので、同じ影響力があります。しかし人は、10%から0%に下がった方をより高く評価する傾向にあります。リスクが30%になるよりも、ゼロになる方が望ましいからです。このように、確率を判断する時に、数値を同じように評価せず、特定の部分を大きく評価することを決定の重み付けといいます。特に、リスクがない状態を求めることを"ゼロリスク"志向といいます。これは確実性効果ともいわれます。


 がんの治療法について、医師はどのような選択肢を選ぶか調査した研究があります[10]。あなたが医師だったら、どちらの治療法を選ぶでしょうか。

医師

治療A:20%の確率で亡くなるが、80%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が30年延長する

治療B:確実に普通の生活を送ることができ、寿命が18年延長する

 治療Aを選んだ医師は35%、治療Bを選んだ医師は65%でした。AとBを比べた時に、確実性のある方を選んだのです。

 次に、こちらの選択肢であればどうでしょう。

医師

治療C:80%の確率で亡くなるが、20%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が30年延長する

治療D:75%の確率で亡くなるが、25%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が18年延長する

 治療Cを選んだ医師は68%、治療Dを選んだ医師は32%でした。


 治療A~Dの生存率を見てみます。治療Aから、それぞれ80%、100%、20%、25%です。生存率だけを見てみると、治療Cの生存率は治療Aの生存率の1/4、治療Dの生存率は治療Bの生存率の1/4の確率となっており、それ以外の条件は治療Aと治療C、治療Bと治療Dは同じです。したがって、治療Aより治療Bが選ばれるならば、治療Cより治療Dが選ばれるべきです。しかし実際、医師の大半は治療Cを選びました。AとBの場合は生存率が高く、"ゼロリスク"、生存の確実性が重視されますが、CとDの場合のように、もともとリスクが高く、生存の確実性が低い場合は、寿命が30年延長するという、より望ましい結果が期待できる治療Cを選んだということです。


 人は、不確実な状況で判断をする時、定規で測ったようにものごとを判断することは難しいということです。つい、"リスクはない""確実に○○できる"という言葉にとらわれてしまいます。数値やリスクをどのように捉え、意思決定に反映させるかは、意思決定のプロセスにおいて大きなポイントとなります。

時間に関連した認知バイアス

3.	時間に関連した認知バイアス

 最後に、時間に関連したバイアスを2つ紹介します。医療の分野において、選択した決定の結果の多くは、さまざまな時間を経て起こります。例えば、手術した時は、直後に合併症が起きたり、手術が原因で亡くなったりすることがあります。しかし、長期的にみれば、手術をしたおかげで寿命が伸びるということがあります。時間や順序に影響を受けて、選択肢を選ぶ時にバイアスが生じる可能性があります。

時間割引率

 人は、将来もらえるものより、今もらえるものの方に価値を置きます。今1万円もらえるのと1ヶ月後に1万円もらえるのを選べるとしたら、今1万円もらいたいと考えるでしょう。1ヶ月の間に1万円くれるという人の気が変わって、もらえなくなるかもしれませんし、今もらっておいて銀行に預ければ、1ヶ月後には利子がいくらかつきます。そのため、もらえない時間が長くなるにつれて、1万円の価値は下がっていく、割り引かれていく、というのが時間割引率の考え方です。


 例えば、「たばこが身体に悪いことは知っているし、止めたらメリットの方が多いことは知っている。だけどなかなか止められない」という喫煙者がいます。止めるべきだと思いながら止められないのは、たばこを止めた時に得られる長期的な健康のメリットよりも、今、目の前の一服の楽しみを優先するからです。この時間割引率によって、禁煙やダイエット、運動の継続、といった生活習慣の改善がなかなかうまく進まないのです。ここでもやはり、人の特性である、"今、損をしたくない"という気持ちが働いています。


 今、目の前にある損を避けて得を取ることが、将来の利益につながっていれば問題ありませんが、必ずしもそうではないことがあります。メリット・デメリットは、短期的な視点で見た時と長期的な視点で見た時とで変わる場合があり、それぞれの視点で考えてみる必要があります。


順序評価

 時間割引率は、出来事が連続している時にもあてはまります。そのことを検証した研究があります[11]。「完全な健康」「激しい頭痛」「軽い咳」という3つの状態がそれぞれ10年間続くとすると、どちらの順番がいいか選んでもらうものです。

医師

「完全な健康」→「激しい頭痛」→「軽い咳」

「激しい頭痛」→「完全な健康」→「軽い咳」

 この2つの順番だと多くの人が上の順番を選びました。


 では、「完全な健康」を2回、「激しい頭痛」を1回とした次の場合はどうでしょう。

医師

「激しい頭痛」→「完全な健康」→「完全な健康」

「完全な健康」→「激しい頭痛」→「完全な健康」

 この場合は多くの人が下を選びました。後ろの順番に関わらず、まず先に選ぶのが「完全な健康」であったということです。これは、今すぐの「完全な健康」よりも、10年後、20年後の「完全な健康」は価値が低く、価値が割り引かれているということです。


 一方で、この時間割引率を支持しないものもあります。大腸カメラの検査を行った患者を対象とした、痛みについての研究です[12]。患者に、検査中のその時その時の痛みの大きさをその都度聞いていきました。検査がすべて終わってから、経験した痛みを振り返り、全体としての痛みの程度を評価してもらいました。本来であれば、その都度聞いた痛みの程度を合計したものが、全体の痛みの程度と同じであるはずです。しかし、そうではありませんでした。全体の痛みの大きさに影響していたのは、痛みがピークに達した時の痛みの強さと、検査の最後の数分間の痛みの強さでした。ピークと最後(エンド)が出来事全体の印象を決めてしまうことを、ピークエンド効果といいます。旅の思い出や人の印象も、ハプニングと終わりの印象で決まりがちといわれます。人の記憶はあいまいだということがわかります。記憶に残るのはごく一部なのです。
 行動経済学者、心理学者でありノーベル賞を受賞したカーネマン氏による説明です。
ダニエル・カーネマン:経験と記憶の謎

認知バイアスは、必ず避けるべき?!

 これまで12のバイアスを紹介しました。ここではバイアスを、認知のゆがみ、考え方の偏りとし、ネガティブなものとして扱っています。しかし、人間だからこその考え方の癖であり、必ずしも悪いものではなく、人間らしいともいえるでしょう。その人が持つ価値観との兼ね合いもあります。しかし、その認知のゆがみがあることを知っているか知らないかで、もし判断する結果に違いが出てくるとしたら、それは避けたいところです。

 バイアスは、市民・患者と、医療者の両方に影響を与えて、健康にも影響を与えています。情報を受け取り、判断する際に、バイアスが人の命や人生に関わってくるというのが、保健医療の分野での特徴といえます。最初に紹介したヒューリックスのように、勘や経験に頼って判断早く簡単に答えを出すと、後悔するような問題が起こる場合があります。これへの対策としては、意思決定ガイド(ディシジョンエイド)やガイドラインなど、道筋を立てて意思決定を行うことのできるものが開発されてきています。


 よりよい意思決定を行うためには、情報の提供者となる医療者が、バイアスについて知っていなければなりません。しかし医療者も人間です。コンピュータで意思決定をしない限りは、情報の伝え方、受け取り方の違いが多少なりとも影響するでしょう。コミュニケーションをとる上で、医療者と市民・患者の協力が必要といえます。人の考え方の癖を知り、より良い意思決定に近づきましょう。

(佐藤繭子、中山和弘)


引用文献
[1] Chapman, G. B., & Elstein, A. S. (2003). Cognitive Processes in Decision Making. Chapman, G. B., & Sonnenberg, F. A. Decision making in health care: Theory, psychology, and applications. Cambridge University Press.
[2] Arkes, H. R., Wortmann, R. L., Saville, P. D., & Harkness, A. R. (1981). Hindsight bias among physicians weighing the likelihood of diagnosis. Journal of Applied Psychology, 66, 252-254.より一部改変
[3] Klayman, J. (1995). Varieties of confirmation bias. In J. Busemeyer, R. Hastie, and D.L. Medin (Eds.), Decision Making from a Cognitive Perspective. The Psychology of Learning and Motivation, Vol. 32, pp. 385-418. New York: Academic Press.
[4] 広田すみれ, 増田真也, 坂上貴之. (2006). 心理学が描くリスクの世界: 行動的意思決定入門− 改訂版. 慶應義塾大学出版会.
[5] Tversky, A., & Kahneman, D. (1982). The Framing of Decisions and the Psychology of Choice. Science, 211(4481), 453-458.
[6] Chapman, G. B. & Johnson, E. J. (1995). Preference reversals in monetary and life expectancy evaluations. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 62, 300-317. より一部改変
[7] Redelmeier, D. A. & Shafir, E. (1995). Medical decision making in situations that offer multiple alternatives. Journal of the American Medical Association, 273(4), 302-305. より一部改変
[8] Bornstein, B. H., Emler, A. C., & Chapman, G. B. (1999). Rationality in medical treatment decisions: Is there a sunk-cost effect?. Social Science and Medicine, 49, 215-222. より一部改変
[9] Ritov, I. & Baron, J. (1990). Reluctance to vaccinate: Omission bias and ambiguity. Journal of Behavioral Decision Making, 3(4), 263-277.
[10] Tversky, A. & Kahneman, D. (1986). Rational choice and the Framing decisions. Journal of Business, 59, s251-278.
[11] Tredwell, J. R. (1998). Tests of preferential independence in the QALY model. Medical Decision Making, 18, 418-428.
[12] Redelmeier, D. A. & Kahneman, D. (1996). Patients' memories of painful medical treatments: Real-time and retrospective evaluations of two minimally invasive procedures. Pain, 66, 3-8.


様々な認知バイアスについて、まとめられています。ご参照下さい。

思考を歪める心理効果 認知バイアス
行動経済学 NAVERまとめ
カイゼン!思考力

2008年5月29日

健康とは何か:力、資源としての健康

1.健康の定義

1)人々は健康をどうとらえているか

 みなさんは、自分の今の健康状態について、どう思っていますか。日本で、自分は健康だと思っている人が、どのくらいいるか、見てみましょう。厚生労働省による平成28年の「国民生活基礎調査」では「あなたの現在の健康状態はいかがですか」という質問に対して、「よい」が20.7%、「まあよい」が17.8%、「ふつう」が47.0%、「あまりよくない」が11.2%、「よくない」が1.8%となっています。「ふつう」という回答が5割ほどを占めて最も多いですが、「よい」「まあよい」と合わせると、実に85.5%の人が、少なくとも「ふつう」程度には健康だと、思っているということです。
 健康だと思う割合は、年齢が下がるほど高く、年齢が上がるほど低くなります。しかし、65歳以上であったとしても、75%の人が少なくとも「ふつう」程度には健康だと答えています。傷病すなわち、けがや病気で通院している人の割合は、20~30代では約2割であるのに対して、65歳以上では約7割と3倍以上であるにもかかわらずで、健康状態の認識は大きく変わらないということがわかります。けがや病気の有無だけが、健康の判断材料でないことがうかがえます。


 次に、人々が何を理由に健康だ、と判断するのかについて見てみましょう。厚生労働省の平成26年の「健康意識に関する調査」では、「普段、健康だと感じていますか」と質問して健康状態をたずねた後に、「健康感を判断する際に、重視した事項は何ですか」として、3つまでの回答を求めています。その結果は、「病気がないこと」が63.8%で最も多く、次いで「美味しく飲食できること」が40.6%、「身体が丈夫なこと」が40.3%と、身体的な面が大半を占めています。しかし「不安や悩みがないこと」19.1%、「幸せを感じること」11.9%、「前向きに生きられること」11.0%、「生きがいを感じること」9.5%など、精神的な面の回答も1割ほどあります。
 また、それ以外の回答でも「人間関係がうまくいくこと」「仕事がうまくいくこと」「他人を愛することができること」「他人から認められること」はいずれも10%未満ですが、これらは、人と人のつながりといった社会的な面の回答だと言えます。


図1 健康感を判断する際に、重視した事項(3つまでの複数回答)


 この厚生労働省の調査では、事前に、身体的な面、精神的な面、社会的な面の3つをとらえた項目を用意していたと思われます。この3つは、広く知られているWHO、世界保健機関の健康の定義にも含まれています。1948年の定義で、すでに70年が経過していますが、いまだによく使われている定義です。WHOの定義は、次のような訳が代表的です。


「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)


2)身体的、精神的、社会的に十分調和がとれた状態

 この定義でよく問題になる点は、「完全に良好な状態」というところです。少しでも問題があれば、健康でないとするのは問題だ、それは理想に過ぎない、完全を求めれば誰も健康ではなくなってしまう、と批判を受けています。それでも、すでにWHOの健康の定義では、「単に疾病でないとか虚弱でないということではない」と付け加えている点も重要です。言い換えるとネガティブなこと、とくに問題がなければ健康と判断することを否定して、たとえ疾病や虚弱の状態あったとしても、「良好な状態」というポジティブな状態、前向きな状態に目を向けようとしています。
 そして、「完全に良好な状態」の「完全」は、英語の「コンプリート」の訳ですが、それは肉体的にも、精神的にも、社会的にも、これら3つの側面がすべてそろっているという意味にも解釈できます。3つのうち一つでも欠けてはいけないという意味です。訳によっては、「完全に」ではなく「十分に」とする場合もありますし、加えて「完全に良好な状態」ではなく「十分調和のとれた状態である」とする訳もあります。これは、肉体的、精神的、社会的の3つの点で、十分調和がとれているという意味でしょう。
 これらの流れを踏まえて、現在の日本WHO協会[1]の訳では次の通りになっています。「すべてが満たされた」という部分は、3つすべてが満たされているという意味でしょう


「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます(日本WHO協会訳)」


3)病気の身体的、精神的、社会的側面

 次に、この健康の定義での、身体的、精神的、社会的側面という3つについて考えるときに、病気の定義とあわせて考えてみたいと思います。みなさんは、慢性疲労症候群と呼ばれる病気をご存知でしょうか。筋痛性脳脊髄炎とも呼ばれます。これは、原因不明の強い疲労が、長期間にわたって続く病気です。研究は進んできているのですが、医学的な解明はまだです。そのため、患者の体験や語りが大切です。人が語った話、これをナラティブといいます[2]。テレビなどのナレーションが「語ること」であるのに対して、ナラティブとは「語ったもの」のことです。患者の語りであるナラティブへの関心こそが、その病気の存在に注目する重要なカギとなっています。


 果たして、医学的に明確に診断できないと、病気ではないのでしょうか。そのとき、医療人類学や医療社会学という学問領域では、病気とは何なのかについて考える方法をおしえてくれます。英語では、病気に対する英語は主に3つで、それはdisease、illness、sicknessです。それぞれを区別すると、diseaseは、医学的な診断がされている「疾病」、illnessは、本人がそれをどう感じたり受け止めたりしているかという「病い」、sicknessは、周囲や社会がそれをどのように見なしているかという「病気」であるとされます[2]。慢性疲労症候群は、「疾病」としては不明な点が残されていますが、患者にとっては、紛れもない苦痛を伴う「病い」です。そして、慢性疲労という名称が誤解を生みやすいこともあり、「精神的なものにすぎないのでは」「怠けているだけなのでは」と偏見の目で見られやすい「病気」です。
 これは言い換えると、「疾病」「病い」「病気」は、それぞれ身体的、精神的、社会的の3つの側面を重ね合わせながら含んでいるともいえます。これは、そのまま、WHOの健康の定義にある3つと一致しています。これら3つの側面は、人間の健康にとっても病気にとっても、常に欠かすことのできない要素であると思われます。

2.全人的な健康

1)全人的な健康

 次に、この3つの側面を含めて、人を全体としてみる、という意味の全人的な健康について考えてみたいと思います。
 WHOの健康の定義については、1998年に、身体的、精神的、社会的の3つに加えて、「スピリチュアル」を追加しようという提案がされました。「スピリチュアル」は、「霊的」「宗教的」とも訳されますが、「精神的」という意味でも使われます。当時の日本での議論では、「スピリチュアル」が、よく「精神的」という意味で使われますし、すでにWHOの定義で「身体的」「精神的」「社会的」と訳して使っているので、「スピリチュアル」はもう含まれていると言えるのでは、とされました。この「精神的」の元の英語は、「メンタル(mental)」で、これは「心理学的」とも訳せるのですが、日本の場合、それを「精神的」とすることが多いようです。そこには「神」や「霊」についての、国や地域による文化的な違いもあって、国際的に共通する定義に取り入れることが難しい面があるでしょう。結局、この提案については、現在の定義が機能しているし、緊急性が低いという理由で、そのままで採択されず見送られたままになっています。


 ここで改めて、国際的に通用する健康の定義について再確認するため、健康を表す英語「health」について考えてみましょう。「health」の語源は、アングロサクソン語の「hal」です。これは、英語では「whole」にあたり、「全体」や「調和」をあらわしています。「癒す」あるいは「ヒーリング」の「heal」や、「神聖」をあらわす「holy」とも、語源は同じです。「全人的」「全体論的」と訳される、元の英語である「ホリスティック(holistic)」もそうです。
 ホリスティックヘルス(全人的な健康)は、アメリカで1970年ごろからムーブメント(運動)となった概念です。ホリスティックとは、全体論(ホ―リズム)の見方を背景に持っていて、それは物事を細かな要素に分けていけばわかるという要素還元主義の対極にあるものです。人間も臓器や細胞に分けて見ていくことで確かに理解が進んだのですが、人をまるごと理解するにはその方法では難しい。全体とは部分の総和ではなく、全体は全体としての特徴を持ちます。これは、近代医学が人の臓器を中心とした医療に集中したことで、まるごとの人として扱われなくなったことに対するアンチテーゼでもありました。
 ホリスティックな見方では、人間は「からだ」だけではなく、「こころ」もあり、「スピリット」もあり、これら3つが、全体として統合されていると見ます。それら3つの全体的な調和は、WHOの健康の定義の3つの側面である、身体的、精神的、社会的の中の社会的の代わりに「スピリチュアル」にしたもの、とも言えます。スピリットやスピリチュアルが意味するものは、「神」や「霊」という意味合いはともかくとして、言い換えれば、「生きる意味」「生きがい」を持つことと解釈されます。


 実際のところ、身体と精神と社会は、相互につながっています。このような、人間を構成する3つの要素を、1つのまとまりとして見る、いわばシステムとしての見方は、医師のエンゲル(Engel)による生物心理社会モデルとして知られています[3]。例えば、人間関係などの心理社会的なストレスは疾病を作り出し、疾病は人間関係に影響を及ぼします。身体に変化があれば、心理的な変化が生じ、これもまた人間関係に影響します。


2)ウェルビーング

 「生きる意味」「生きがい」については、心理学でも大きなテーマとして扱われてきています。それは、ウェルビーイングについての心理学においてです。ウェルビーイングは、WHOの健康の定義でも使われている言葉で、「良好な状態」の「良好」の元の英語は「ウェルビーイング」です。
 心理学では、ウェルビーイングには2種類あるとされます。それは、ヘドニックなものとユーダイモニックなものです。ヘドニックとは、幸福感や生活満足度に注目したもので、快楽が得られ、苦痛がない状態で、主観的ウェルビーイングとも呼ばれます。他方、ユーダイモニックとは、生きる意味、生きがい、自己実現に注目したもので、人間の潜在能力が十分に発揮されている程度で、心理学的ウェルビーイングとも呼ばれます。近年、ポジティブ心理学と言われる、人間のポジティブな感情に焦点を当てた学問領域でも、ウェルビーイングは中心的な位置を占めています。

 リフ(Ryff)は、心理学的ウェルビーイングとして次の6つがあると整理しています[4]。


表1 6つの心理学的ウェルビーイング

  • 自己受容:自分に対してポジティブな態度を持つこと
  • 他者とのポジティブな関係:他者とあたたかく満足できる信頼できる関係を持つこと
  • 自律性:自己決定ができて自立していること
  • 環境制御力:自分の周囲や環境に対応する能力と達成感があること
  • 人生における目的:人生の目標と方向性が持てている感覚があること
  • 人格的成長:成長し続けている感覚があること

 また同様に、セリグマン(Seligman)は、PERMAモデルと呼ばれる、5つのウェルビーイングにまとめています[5]。まず1つ目は、ポジティブ感情です。2つ目は、エンゲージメントで、それは物事に没頭することです。3つ目は、人と関係性を持つことです。4つ目は、人生に意味や意義があることです。そして、5つ目は、達成することです。リフの6つでも、セリグマンの5つでも、人生の目的や意味など、共通点が多く、それは個人内部だけに留まるものではなく、自己と他者、個人と社会、個人と環境の間の相互関係の良好さをも含んだものとなっています。
 WHOの健康の定義における、精神的に良好な状態、すなわち精神的なウェルビーイングの中に、「生きる意味」「生きがい」を意味するウェルビーイングを含めてみてはどうでしょう。「生きる意味」「生きがい」を意味する、スピリチュアルという言葉を追加する必要はなくなるともいえます。
 ウェルビーイングにしても、スピリチュアルにしても、それが注目されるのはなぜでしょう。現代では、1人ひとりの生命、人生、生活の質、言い換えればQOL、これはQuality of lifeの略ですが、QOLが重視されるようになったことと共通しています。ウェルビーイングやQOLに共通するのは、健康を考える時に、客観的で医学的なものだけでなく、主観的な側面、とくに日々の生活の視点が重視されていることです。


 こうして現在では、個人の生活、経験、価値観などがより重視されるようになってきています。今や、多くの人が健康リスクや慢性疾患を抱えていて、地球温暖化や大気汚染などのグローバルな環境リスクや、地震や水害などの予期せぬ災害もあります。このような中で、1人ひとりが持つ、多様な困難や逆境の中でも、生き抜く力が求められるようになりました。
 心の病気などの、ネガティブな部分ばかり見る心理学だけでなく、人間の持つ力や強さに注目する、ポジティブ心理学と呼ばれる心理学への期待もそこにあります。人は、決して生まれながらに強いわけではなく、誰しも、つらく悲しいことを経験します。しかし、必ずしもすべて忘れてしまえばよい、というわけではありません。つらいことに出会っても、書いたり語ったりして他者に開示することで、そこに意味を見出して、助け合いの人間関係をより強いものにしていくことが、できるかもしれません。ストレスを、成長の糧にできる、という、人間が潜在的に持っている力、人間の持つ強さへの期待です。


3.力、資源としての健康

1)健康を力として捉える

 このように、健康を力や資源として、とらえる見方を、次に紹介します。すでに述べたように、WHOが、健康の定義で「完全」や「状態」という言葉を使うことによって、理想的な「状態」を求めることになり、それが、医療への過度の依存を助長すると批判されています。もし理想的な健康があるとすれば、感染症のような、治癒が望める急性疾患が、主だった時代の話です。現在のように、慢性疾患の予防と共に、それらと長く付き合っていくことが必要な時代には、合わないとされています。
 また、慢性疾患への変化と共に、医療が発展して、かつては医療の対象ではなかった「状態」が、医療の対象となってきています。例えば、「落ち着きのない子ども」「子どもの成績不振」が、多動症、学習障害とされるようになりました。すでに、出産、死、肥満なども医療の対象になって長いです。このような現象を、「医療化」と言います。もちろん、それによって救われる人がいる一方で、様々な問題を医療に任せてしまい、背景にある社会の問題が見えにくくなるという恐れがあります。また、人々が本来持っている、自分たちで問題に対処して解決していく力や、その自信が失われていく心配もあります。


 そこで必要なのは、自分で健康を維持したり回復したり、動的に変化させられる力への注目です。2011年に、ヒューバー(Huber)らは、健康を「適応してセルフマネジメントをする力」として見ることを提案しました[6]。これは、健康を「状態」とするのではなく、それが個人や社会で変化させられるものであり、健康を「力」として捉え直したものです。セルフマネジメントとは、もし困難に直面しても、自分でうまく対処できることを意味します。うまく対処できることを、コーピングといいます。そして、健康をそのように見ることで、身体的、精神的、社会的という3つの面で、どのようになるかについて提示しています。


表2 適応してセルフマネジメントをする力

(1)身体的健康
 環境が変わっても身体的な恒常性あるいはホメオシタシスを維持できる力である、「アロスタシス」と呼ばれるものをあげています。例をあげると、オリンピックのマラソン選手の脈拍数です。一般の人が、1分間に60から70回なのに対して、マラソン選手はトレーニングにより、30回ほどと、少ない回数で血液を循環させられるようになっています。一般の人でも階段をよく使うようにすると、段々と息が切れないようになりますが、これも「アロスタシス」です。これらと同じように、ストレスに直面しても、それに強くなることで、すぐにバランスを取り戻すことができると言います。

(2)精神的健康
 強い心理的ストレスに、うまく対処して回復し、心的外傷後ストレス障害、言い換えればPTSDを防ぐ力をもたらす要因として、健康社会学者アーロン・アントノフスキーによって提唱された「首尾一貫感覚」があげられています。それは元の英語ではsense of coherenceというもので、略してSOCと呼ばれています。SOCは、困難に直面したときにそれを理解し、対処して、意味を見出せるという力です。「適応してセルフマネジメントをする力」が強化されると、主観的なウェルビーイング、すなわち、幸福感が向上し、こころとからだのポジティブな相互作用が生まれる可能性があるとしています。

(3)社会的健康
 人々が自身の潜在能力を発揮し義務を果たす力、医学的な状態にかかわらず、ある程度自立して、生活をマネジメントする力、仕事を含めて社会活動に参加できる力などがあげられています。それらは、チャンスと限界の間での動的なバランスで、生涯を通じて変化し、社会や環境からの困難や課題といった、外部の状況に影響を受けるとされています。すなわち、自立したり、社会に参加できるチャンスを生かせるかどうかは、社会や環境次第であるというわけです。

 3つの健康では、いずれもストレスなどの困難や課題に対して、どのようにうまく対処できるか、すなわちコーピングができるかどうかの力となっています。その力によって、病気になった時でも、働いたり社会活動に参加できたりするし、健康だとも感じられるとしています。
 その力を身に付ける1つの方法として、患者会のような患者が集まったグループの力を活用する、スタンフォード大学で開発され、日本でも活動がある、慢性疾患セルフマネジメントプログラム[7]を紹介しています。
 また、年齢を重ねることで発生してくる機能障害がありますが、うまく対応できる力さえあれば、QOLが変化することはないという「障害のパラドックス」という現象の存在について指摘しています。障害があれば、QOLが下がると思いがちですが、人には障害に対応する力があり、それが発揮できるような社会や環境のありかた次第だ、ということです。人間や社会の持つ力への気づきが、求められていると思います。


2)リスクから資源へ

 こうして現在では、健康と病気は、明確に分けられないという見方が主流となりつつあります。しかしそれでも、病気という存在は大きく、その原因を知るために、これまで多くの研究がなされてきました。ここで少し、歴史を振り返りましょう。


 19世紀末には、病気の原因が特定の細菌によるものだ、と発見した細菌学が登場しました。これによって、多くの感染性の病気を治療したり、予防したりできるようになりました。このあと、20世紀前半ごろまでに、生物学を中心とした生物医学は、大きく発展しました。そして、病院、研究所、大学といった専門機関を中心として努力が払われました。にもかかわらず、近代化と共に、心臓病、がん、脳卒中といった慢性疾患は増加しました。病気を治療するだけでは、死亡率や病気にかかる人の率を減少させるには限界があり、医療費も高騰するばかりでした。
 そうした折、1960年代から70年代にかけて、がん、心臓病、脳卒中などの慢性疾患では、喫煙、食事、運動などの行動やライフスタイルが、リスクファクターとなっていることが明確になってきました。アメリカでは、75歳未満での死亡に影響を与えている要因を4つに分けて、それぞれの割合を考えると、個人の行動やライフスタイルが40%、環境が20%で、環境のうち社会的環境が多くを占めると言われます[8]。そして、遺伝が30%、保健医療が10%とされています。これはアメリカに限った話ではなく、多くの先進国で近い状況が予想されます。そして、増加する慢性疾患の対策として、リスクファクターを減らすために、行動やライフスタイルの規制や健康教育が行われてきました。
 しかし、実際には、リスクファクターを多く抱えていてもなお、健康な人がいます。そこで、1987年に、アントノフスキー(Antonovsky)は、健康と非健康は連続体であり、非健康へと導くリスクファクターという疾病生成要因、すなわち病気を作る要因だけではなく、その逆向きの方向にある、健康へと導く健康生成要因がある、としました[9]。これを健康生成論と言います。そして、その健康生成要因とは、「汎抵抗資源」という、個人や社会に備わっている、様々な「資源」への認知と、それらを動員できる自信を表す、首尾一貫感覚SOCだとしたのです。資源には、その人の能力や周囲の人のサポートなどがあげられます。そこでは、病気やそのリスクは人生の一部であって、否定したり排除したりするものとはされません。ストレスに対処する資源の発達のための過程だ、と捉えられました。ストレスは、人生における成長の糧だという訳です。


3)健康生成論とヘルスリテラシー

 エリクソン(Eriksson)は、健康生成論とは、ヘルスリテラシーの向上によって健康へと向かう持続的な学習プロセスであるとしています[10]。ヘルスリテラシーとは、健康のための意思決定に必要な情報を入手、理解、評価、活用する力です[2]。幅広い知識を持つことがヘルスリテラシーを向上させ、ヘルスリテラシーは健康課題を解決していく中で他者との関わり方における成長を促し、この学習によって新たな知識が身に付くというサイクルが健康生成論であるといいます(図1)。これは、健康における成長と学習という視点で、健康生成論とヘルスリテラシーを結びつけたものです。


図1 認識論(知識)から見た健康生成論(Eriksson7)より一部改変)


 ヘルスリテラシーは、個人の力だけではなく、家庭、地域、職場、学校、行政、メディアなどによるサポーティブな環境との相互作用で形成される「資源」だと考えられています。健康生成論も、同じく「資源」に焦点をあてたものであり、いずれも自己や環境の資源への注目という点で共通しています[2]。
 さらに、健康生成論とヘルスリテラシーで共通しているのは、エンパワーメントという概念です。エンパワーメントとは、力や自信を与えるという意味ですが、それは言い換えると、生まれ持った潜在的な力を発揮できるように、自分の人生や生活をコントロールできることです。ヘルスリテラシーとは、知識や情報を資源として意思決定や行動をコントロールできることであり、SOCは、ストレスや困難な状況に直面しても、資源を活用してうまくコントロールできることです。ヘルスリテラシーとSOCにおいて、それを向上させることは、いずれも、資源を活用して、行動や環境をコントロールする力を身に付けることであり、エンパワーメントです[2]。
 こうして、健康を力や資源としてみると、環境を整えていくことが重要になると思います。環境に恵まれなければ、力や資源を育むことが難しく、もしそのような機会を得られなかった人々がいれば、早いうちに発見して支援できる環境を作る必要があります。そのような環境は相互の信頼関係なくしては難しいでしょう。共に学び成長することを支え合う環境づくりを通してみんなの健康を達成していくことで、信頼が育まれていくことでしょう[2]。

4.まとめ:健康とは何か

 最後に、以上のことを踏まえ、「健康とは何か」についてまとめてみたいと思います。
 健康とは「からだ」「こころ」「社会」における3つの力と資源が調和したものであり、「からだ」は、体調管理や病気の予防をし、もし体調を崩してもうまく対処する意思決定ができること、「こころ」は、降りかかる問題や困難を乗り越えるために、人生の意味が見いだせるような、自分らしい意思決定ができて、それを幸せだと感じられること、「社会」は、問題や困難に直面している人たちを孤立させず、適切な意思決定ができるよう互いに協力し、喜び合い、信頼関係をつくることだと思います[2]。


   (中山和弘) 公開日2018年8月23日 更新日2023年2月25日 

文献
1)日本WHO協会:健康の定義について. http://www.japan-who.or.jp/commodity/kenko.html
2) 中山和弘:これからのヘルスリテラシー 健康を決める力、講談社、2022.
3)Engel G. The clinical appplication of the biopsychosocial model. Am J Psychiatry. 1980;137:535-544.
4)Ryff C. Happiness is everything, or is it? Explorations on the meaning of well-being. J Pers Soc Psychol 1989;57:1069-1081.
5)マーティン・セリグマン著、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦』ディスカヴァー・トゥエンティワン,2014.
6) Huber M,et al. How should we define health? BMJ. 2011 Jul 26;343:d4163.
7) 慢性疾患セルフマネジメント協会 https://www.j-cdsm.org/
8)Schroeder SA. Shattuck Lecture. We can do better--improving the health of the American people. N Engl J Med. 2007 Sep 20;357(12):1221-8.
9) 山崎良比古監修、戸ヶ里泰典編:健康生成力SOCと人生・社会: 全国代表サンプル調査と分析.有信堂光文社, 2017.
10) Eriksson M. The Sense of Coherence in the Salutogenic Model of Health. In Mittelmark MB et al. (eds.) The Handbook of Salutogenesis, Springer, 91-96, 2016.

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