1.健康のためには情報に基づく意思決定を

よりよい意思決定のための情報とは

1.健康のためには情報に基づく意思決定を

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1.意思決定にはより良いものとそうでないものがある

意思決定
 ヘルスリテラシーとは、健康や医療に関する情報を探し、理解し、評価し、活用する力といえます。では、最終的に情報を活用するとはどのようなことでしょうか。これは、情報を使うことでより健康に結びつくような、よりよい意思決定を行うことです。ここでは、その意思決定についてお話しします。

 私たちは、普段から、大小さまざまな問題に直面しています。そうした問題に対処するために、それまでの対処方法を変えたり、新たな対応が必要になったりする場合もあります。そうした場合、皆さんはどのようにして対応を決めているでしょうか。「私の決め方はいつも間違っていない」という方もいるでしょうし、いつも失敗するので「信頼できる人に相談して決めてもらっている」という方もいるかもしれません。

 決め方、すなわち意思決定の方法には、より良いものとそうでないものがあるということが知られています。より良い意思決定では、結果に納得できるものになりやすく、後悔が少なくてすみます。多少結果が悪くても、それなりに必死に考えた自分に納得がいくことが多いものです。

 テレビショッピングなどの衝動買い(あとで後悔する買いもの)はなぜ起こるのでしょう。「こんなに安いのに今買わないと誰かに買われてしまう」「自分でも簡単にできそう」「ちょっとだけリッチな気分になってみたい」などと、その時々の気分で決めるためです。

 納得できる、よりよい意思決定は、このような気分ではなく、情報に基づいていることが多いものです。健康や医療についても同じことがいえます。ここでは、どのように情報を使って意思決定するのが良いかという点について考えてみます。

2. 保健医療情報の不確実さ

 健康や医療についての情報は、専門的な雑誌を見なくても、新聞・雑誌やインターネットで簡単に目にすることができる時代になりました。例えば、つぎの研究トピックを見てみましょう。

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ファスト・フードは肥満とインスリン抵抗性のリスクを高める、15年間の調査から[1] 米国では肥満が急速に深刻化している。これに並行するようにファスト・フードの消費量が急増しているが、肥満との関係には注意が向けられてこなかった。 そこで米国などの研究者が、15年間のファスト・フード店利用頻度と体重およびインスリン抵抗性の変化の関係を調べた。詳細はLancet誌1月1日号に 報告された。

今回分析の対象になったのは、1984-2001年に米国で実施された青年期冠動脈疾患リスク進展調査(CARDIA)のデータだ。被験者として登録されていた白人と黒人の中から、1985-86年に18-31歳で、食事の内容に関する評価を繰り返し受けていた3031人を選出した。

当初からずっとファスト・フード店の利用が少なかった人(週1回未満、 203人)に比べ、15年間頻繁に利用した人(週2回以上、87人)では、その間の体重増加の平均が4.5kg多く、インスリン抵抗性も約2倍になっていた。得られた結果は、ファスト・フードの消費が肥満と2型糖尿病の強力なリスク因子であることを示唆した。
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 これは、ファストフードが肥満や糖尿病に影響を与える可能性を示すデータです。皆さんはこの記事から何を読みとることができるでしょうか。食べるのを控えようとか、アメリカの話だから日本には当てはまらないとか、日本人は1回に食べる量が少ないから関係ないとか、203人と87人で何がわかるのか...などと思う人がいるかもしれません。

 この研究は、アメリカのいくつかの地域から選ばれた人々を対象としたもので、「サンプル(標本)調査」と言われます。この結果を、それ以外の人々にあてはめて考える場合、その値がどれほど一般的な数字としてと捉えることができるか、つまり、日本の誰にでもあてはめることができるのかどうかについて考える必要があります。

 このデータは、体重の増加を平均値で表しています。一般的に、この数値は、もっとも起こりやすい代表的な値を意味します。それでも、サンプル調査であるため、そもそもアメリカ人全体で調査した場合や世界中で調査した場合(ありえませんが)に得られる値からは、多少なりともずれています。それが「誤差」と呼ばれるものです。したがって、研究でこのような数値を出しても、その値がどのくらいの誤差を含むのかを考えなくてはなりません。

 さらにその体重の平均値というのは、研究の対象となった全員から求められた数値ですから、一人ひとりはさまざまな状況にあるはずです。平均値で4.5kg多いといっても、「週1回未満」しか食べない人の平均よりも2kg重い人も7kg重い人もいたはずです。したがって、これらの結果を一人ひとりにそのままあてはめることはできません。

 それでも、この研究結果を見て、「ファストフードは太りやすい」「何年も食べ続けると違いが出てくる可能性はあるだろう」と判断する人は多いに違いありません。実際、どうなるかは別として、可能性(すなわち確率)として健康に悪影響を及ぼす確率は高いのではないかとの判断です。

 そもそも、人間にはさまざまな人がいます。その人たちに起こることは不確実なものです。そのため、「こうすれば、こうなる」ということが100%保証されているものは、なかなかありません。しかし、不確実なものについて予想したり説明しようとすると、やはり確率というとらえ方を避けては通れないというのが現実です。

3. リスク社会

 世の中は未来の出来事を確率で表現することが増えています。天気予報も降雨確率で表されますし、スポーツの世界では、野球でのバッターの打率をはじめ、さまざまな得点率、成功率、決定率など、多くの「確率」が使われています。健康や医療においても、「肥満する確率が高い」「病気になる確率が高い」「治る確率が高い」というような情報があふれています。

 こうした状況は、現代はリスク社会[2-3]とも言われているように、リスクの存在やその認識が高まった結果、それを把握するための判断材料として「確率」が必要になってきた、と言い換えることもできます。 では、この「リスク」とは何なのでしょうか。

リスクについては次の式であらわすことができると言われています。
リスク=損失の発生確率×損失の大きさ

 原子力発電所を例にとって、リスクのことを考えてみましょう。原子力発電所事故による損失の大きさは測り知れません。それでも原発を受け入れているのは事故の発生確率が非常に低く、リスクが小さいと評価されているからです。リスクとは少し違いますが、高額当選金の「ジャンボ宝くじ」がよく売れる理由は、発生確率は限りなく0に近いものですが、当たれば大きい3億円ということから来るのでしょう。その場合は、損失の大きさでなく、利益の大きさで、リスクではなく夢と呼んだほうがいいのかもしれません。

 このリスクという確率的な見方が少しずつ生活の中に浸透してきています。リスクは、経済でも、環境問題でもよく用いられる言葉ですが、保健医療の世界でも導入されています。がん、心臓病、脳卒中、糖尿病などの病気にかかりやすい生活習慣などをリスクファクター(危険因子)と呼んでいます。それを調べる学問は疫学と呼ばれ、病気の発生リスクを統計学を用いて研究しています。その研究成果によって、リスクとして、血圧、血糖値、コレステロール、尿酸などの検査値や、喫煙、飲酒、肥満、運動不足などの行動で判断することが可能になってきています。

4. 医療におけるリスク

 もともと薬学部などでは、「くすりは(反対から読むと)リスク」という例えが入学式や最初の講義でよく話されるようです。医療行為は治療のためにリスクを冒すことでもあります。だからこそ、それを行うものは専門職として制度化され特別な教育を受けているともいえるでしょう。

 いままで患者や市民は、医療分野にあるさまざまな確率論は知らされてきませんでした。また、知ることもできませんでした。ところが一般市民の知る権利への意識の高まりは、保健医療サービスの消費者(欧米では患者を消費者と呼ぶ場面が多くなっています)にも波及しています。その結果、治療やケアの方法として、どのような選択肢が考えられ、どの方法が治る確率が高いのかを知り、自分で意思決定できるという、自己決定が重視されるようになったと言えるでしょう。


 EBM(Evidence-based Medicine)と呼ばれる疫学を用いた科学的根拠に基づいた医療の考え方に、そうした傾向を見ることができます。それまで医療者自身が、どの方法を選ぶべきなのかの判断に、習慣や個人的な直感や経験を用いていました。しかし直感や経験よりも、明らかに効果が見られる確率の高いことが研究データで実証されているかどうかを、判断の材料にしようと考えるようになってきているのです。これはまた、医療という、本来、リスクを伴う行為において、その責任のすべてを医師個人に委ねるのは荷が重すぎるということが理由にあるかもしれません。

5. 「情報」に裏づけられた意思決定

 このようなリスクや確率についての情報を患者や家族に提供してから、医療者の提案する治療やケアの方針に合意してもらうことを「インフォームドコンセント」といいます。これはよく「説明と同意」と訳される場合が多いのですが、説明しさえすればそれで済むというものではないことから、その意味合いを考えて、「十分説明を受けた上での同意」「納得診療」などと呼ぶことが提案されています。「説明したはずです」「説明しましたよね」という説明では理解までを問うていません。授業で教師がこの言葉を使って学生を責めても、説明しただけで理解させていなければ教師の責任です。「インフォームド」は「情報を得た」という意味だと考えれば、それを情報として活用できるまでに理解していなくてはならないのは当然でしょう。

 そして、インフォームドコンセントというのは、実はまだ医療者中心の見方だという意見もあります。なぜなら、医療者の方針を確認することだからです。もちろんそれを受け入れないということもできるわけですが、専門家の提案を受け入れるかどうかの意思決定に主眼が置かれがちです。そうではなくて、可能な限りの治療やケアの選択肢とそのメリット、デメリットをすべて紹介して、患者に主体的に意思決定してもらうという方法もあります。そのような場合は、患者が決めるという意味で、インフォームドディシジョン(情報を得た意思決定)またはインフォームドチョイス(情報を得た選択)と呼ばれることもあります。

 しかし、この区別よりも大事なことは、どちらも「インフォームド」が付いていることです。情報が十分提供されている、それが受け取る側で十分理解され、意思決定の材料として使える状況にするということが大前提なのです。情報こそが強調されなければならないということです。

 このような情報を得て決定したいという考え方の背景には、消費者主義=コンシューマリズムがあります。消費者が、自らの判断で、安全で良質の製品またはサービスを選ぼうとする思想や運動です。 1962年にアメリカでは大統領J・F・ケネディが消費者の4つの権利宣言を行いました。それは、安全である権利、知らされる権利、選択する権利、意見を反映させる権利です。それはまさに健康のために十分に情報を得て意思決定をする権利と同じです。

6. 情報とは何か

情報とは何か?
 それでは情報とは何でしょうか。さまざまな定義がありますが、おもに3つの意味で使われています。「データ」と「情報」と「知識」です。本来の情報という意味の他に、データや知識も情報と呼ばれることがあるということです。ここでは、3つをきちんと区別してみましょう。

 3つのなかで最もシンプルなものは「データ」です。データとは、記号のことで、言葉や文字などがそれにあたります。そして、それが書かれていたとしても、それについての評価-例えば、それが良いのか悪いのかなどの価値-は含んではいません。ファストフードを食べて体重が4.5kg増えたというのはデータですが、それが持つ価値あるいは意味を評価できなければ単なる数字の羅列です。データだけがあっても、それをもとに何かの判断ができなければ、情報ではなくてただのデータにすぎないということです。

 それに対して、「情報」とは、"ある特定の目的"のためにデータの価値を評価して、意思決定に使うことができるものです。つまり、「情報」は「データ」+「価値」であると言えます。例えば、4.5kgの体重増加は肥満による健康影響が予想されると評価して、ファストフードは食べないという意思決定に使えば情報です。

 また、「知識」というのは、あることについての幅広い情報を蓄積していて、それを特定の状況だけでなく、"将来のさまざまな目的"に応じて使い分け、評価して、意思決定に使うことができるものです。新たな情報を取り入れてはまた新たな知識を形作ることができます。肥満とその原因に関する幅広い情報があれば、健康のためにどのような肥満対策をすればよいのかの知識となるということです。新たな肥満に関する研究の情報が入れば、また肥満に関する新たな知識が作られていきます。専門家は知識を身につけていますが、一般の人は、情報がどんどん与えられても、それを整理して知識にしていくことができなければ、よりよい意思決定はできないことがわかります。

7. 不確実な保健医療では確率がデータとなる

 こう考えると、情報にもとづいて意思決定をしたいと思っても、保健医療の研究結果に関する情報は、そのまますぐに患者や市民の情報となりえるのでしょうか。それとも、医療の専門家でないと理解不能なのでしょうか。

次のようなデータがあります。
表 10万人当たりの肺がんによる死亡数
年齢
非喫煙者
現喫煙者(1日平均喫煙本数)
 
 
10-20
21-39
55-64
40
250
400
65-74
40
500
720

 このデータを見る限り、55-64歳の非喫煙者のうち肺がんで死亡した人が10万人あたりで40人、1日に21本以上吸う人では400人です。1日に21本以上吸う人は10倍肺がんで死にやすいということがわかります。逆に言えば、たくさんタバコを吸わなければ10分の1の確率になります。これは65-74歳でも同様です。このデータは多くの人が理解可能なものでしょう。

 しかし、タバコを吸わなくても肺がんになる人はいますし、吸っていてもがんにならない人がいるのも確かです。あくまで確率の問題で、一人ひとりの結果は「なるか」「ならないか」のどちらか、2つに1つでしかありません。吸っていてもがんにはならない人もたくさんいるのだから、10倍程度なら自分は吸っていても大丈夫だと確信するためのデータとして使う人もいるでしょう。また、肺がんで死亡することに特に問題を感じない場合、このデータは、先にあげた意味での「情報」にはなりません。

 リスクをどう受け止めるかは人によって違うということです。その値を、高いと見るか、低いと見るか(リスクの認知のしかた)は人によって違います。同じ情報でも人によって受け止める結果は違うということです。情報の操作をしてはいけませんが、人それぞれの意思決定に使われていくことは確かです。  ここで大事になってくるのが、コミュニケーションです。よく、「医療はコミュニケーション」だと言われます。リスクについてのコミュニケーションはリスクコミュニケーションと呼ばれます。リスクについての情報がどのように伝わるかが肝心なのです。そうなると、医療の提供者も消費者も情報がどのように使われるのかについて理解していないと、コミュニケーションが成り立たないことがわかります。

8. 情報における確率と価値

 リスクのことについてはすでに触れましたが、人間が何かを目的として行動する場合の動機づけは、基本的に次の2つで決定しているという考え方があります。

結果が起こると予想される「確率」×結果への「価値」

 例えば、肥満が気になってダイエットをしようと思ったときに、テレビゲームを使った製品を買って運動してみようかどうかと考えたとします。それを使って本当に減量できるのかの期待、すなわち予想される確率と、結果として減量に成功することの価値が問題になるということです。ダイエットしたくても、運動では絶対にダイエットできないと思えば買わないでしょう。

 別の言い方をすれば、これは期待値といえるものです。年末には2000億円も売り上げるジャンボ宝くじで考えてみましょう。1枚のくじを買って戻ってくるお金の期待値を計算することはできます。1等が当選する確率は1000万分の1だとします。これに2億円をかけると20円になります。では6等ではどうなるかというと、最後の1ケタの番号なので、当選確率は10分の1になり、当選金は300円ですから、期待値は30円ということになります。1等と6等を比べると、6等のほうが10円だけ期待値が大きいということになります。もし、1等しかない宝くじと6等しかない宝くじが売り出されたらどちらを買うか考えてみてください。期待値は6等だけのほうが10円高く損失のリスクは小さいのですが、リスクの高い1等だけの方を買う人が多いのではないでしょうか。これは、同じお金でもそれに対する満足度が違うからです。億万長者になることで満足を得たいのに、6等ではそれが実現しないからです。

 これらは期待価値理論、期待効用理論などと呼ばれるもので、「期待」というのは、その人が予想する「確率」のことで主観的なものです。また、「価値」(または効用)は基本的に良いこと、満足できることです。しかし、この考えかたがすべてだとすると、結果が起こる「確率」を意識しないと行動を決定することもままならないことになります。実際の生活では、「確率」について詳しく考えなくても行動しています(確率をよく考えて宝くじを買う人は少ないでしょう)。なぜなのでしょうか。

9. 習慣と意思決定に基づいた行動

 健康教育学では、この「確率」と「価値」を知らせることで、人が健康のために望ましい行動をしてもらおうと多くの研究が行われてきました。「タバコを吸っていると、こんな高い確率で怖い肺がんになって死んでしまいますよ」などと教えるわけです。しかし、このようなリスクで脅す方法は、いつも成功するわけではないことがわかってきました。成功するのは、リスクを避けるための行動がすぐにできやすい場合です。予防接種や検査を受けるために予約を取ってもらったら、あとは行くだけです。うまくいかないのは、喫煙のように、すでに「習慣」として出来上がっているものです。いくら脅されて、習慣を変えようと思ったとしても、習慣を変えることは難しいことです。

 では、習慣とは何でしょうか。それは「意思決定を必要としない行動」と定義できます。何かのきっかけさえあれば、自動的にそれが行われます。食事が終われば無意識のうちに煙草を一服といった調子です。これは、言い換えれば情報が用いられていない行動です。習慣化していると、自動的にそれが行われますので、していることが良いことなのか悪いことなのかという情報は必要ないのです。したがって、習慣に問題があることを発見したときは、まず、習慣を変えるかどうかについて、情報を吟味してから意思決定することが必要になります。そして、そのあとは習慣との闘いです。習慣を変えるには誰かあるいは何かにつねに見てもらう必要があります。「ほら、タバコ買おうとしてるよ」「また吸おうとしてる!」などと、情報を与えてもらうということです。

 このように、習慣というのは問題があっても自分だけでは気がつかないものです。そのために、誰かにそれはよくないと指摘してもらうことも重要です。まったく環境の異なる人と話をしたり、学校や職場で人に指摘してもらうことも良い方法の一つかも知れません。つねに新しい情報を求めることは、問題の発見に役立つということです。そして、そこで今まで通りにするかどうするか意思決定するわけです。

 では、そのように情報が得られた場合、意思決定はどのように行われると良いのでしょうか。そもそも意思決定とは何でしょうか。私たちが直面する意思決定の場面とはどのようなものでしょう。何かの問題が生じたときに、その解決方法をいくつかの選択肢の中から、選択の基準をもとに1つ(またはいくつか)選ぶことが多いと思います。この「複数の選択肢から1つ以上を選ぶこと」が意思決定です。

 現在のような情報化された社会では、より多くの選択肢がえられて、そこからかなり自由に選べるようになっています。これまで、多くの人は、進学、就職、結婚、出産、子育てなどという問題に直面してきたと思います。そこで、より多くの選択肢を考えたでしょうか。自由に選べたでしょうか。それに満足したでしょうか。結果はどうだったでしょう。
 よりよい意思決定には、その質と満足度が重要となるでしょう。

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コメント

ヘルスリテラシーと言う言葉を始めて聞きました。いつからある言葉なのでしょうか?
昔、病院選びは自分の意思決定なんてほとんどなく、当たり前のようにクチコミや知り合いから紹介等だったと思います。
自分の意思決定で選ぶなんて、ほとんどの人がなかったんじゃないのでしょうか?
自分の意思で決定できるのなら、たとえ病気になっても、病気別で納得のできる病院で行ったり、薬も納得して服用することが出来ると思います。それには、情報がないと納得する意思決定が出来ないことがわかりました。
インフォームドコンセントを聞いても、言葉や病気の体の状態について、くわしく知らなければ結局は医者任せになってしまうと思います。医者のためのインフォームドコンセントでは駄目なんですよね。自分のためにリスクも含め納得するために、情報収集をして後悔のない満足のいく意思決定が出来るように生活していけたら良いなぁと思いました。

珊瑚 2011年5月17日23:31

数字のデータを示されると、それは客観的なもので、そのデータが意味を持っていると思ってしまう傾向がある事を再認識しました。
「データ」に「価値」、「知識」を加える事で「情報」になるという考え方を持たなければならないと思います。
人間ドックでの検査の値なども正常値の範囲に入っている、入っていないだけでなく自分でトレンドグラフを作り傾向管理をしたり、自分の主治医に結果を見てもらい、コメントを頂いて自分で出来る生活習慣の改善に役立てるようにデータを使いたいと感じました。

fubsy 2011年5月30日18:15

禁煙は30年ほど前ですが、喫煙習慣から禁煙習慣に切り替えるのに、やはり葛藤があり、何度も失敗をくりかえし、約半年間でやっと完全禁煙に成功しました。きっかけは、風邪で通院した際、医師から、のどが狭く風邪をひきやすい構造だからと禁煙を勧告されたこと、自分でもたばこと風邪との因果関係を自覚していたからです。それでもいったん習慣になってしまったものを、変えるのには大きなエネルギーが要求されることを実感しました。

shugen 2011年6月11日09:48

健康情報は大事ですが、提供してくれる専門家によっては、そんなのわかるわけないという説明の仕方をしてくるし、わかったとしても、しばらくすれば忘れるというもの。わかるまで時間と知恵を使ってほしいですし、忘れたりなくしたりしてもまたわかるようにしてほしいです。

know3 2012年4月22日15:19

同じ情報でも提供先がちがえば受け取り方が変わるということに改めて気付かされました。本からはうまく理解できなかった内容でも、友人や教師の説明で理解できたことがあったことを思い出しました。医療に関する情報は医療者から得るものが1番であると考えやすいですが、受け取り手によってはそれでは難しいということを学びました。意思決定をするためには情報を理解し、自分の求めるものに対して行動することが大切ですが、現在のインフォームドコンセントでは理解の段階でつまずいている人もいるように感じました。うまく理解できていないけれど、医療者の言うことだから正しいのだろうと捉えられていることもあるのではないでしょうか。理解のためには説明者や時間、理解度の確認が重要だと感じました。

りんご 2013年3月29日16:33

インフォームドコンセントは医療者中心の見方であるという記事を読んで、とても腑に落ちたところがありました。医療関係者でもない限り、自分にとって一番良い治療法を見つけことは難しいと言えます。結局は、情報提供が医療者の希望に沿ってしまっているのではないかと考えていました。今回私はインフォームドディシジョン・インフォームドチョイスなどの他の選択肢があることを初めて知りましたが、現在の医療者と患者はどのくらい理解しているのか、とても気になりました。 
また、習慣化している悪い生活行動(煙草など)を修正することは、リスクを提示しても難しいとありました。その理由には無意識化であるが故に、その行動が身体に悪いかどうかの情報は必要がないからであるともありましたが、私はそれだけではないと感じました。飲酒をするにしても、喫煙をするにしても、完全な無意識化で行うことはほぼ不可能だと思います。必ず行動の前に気付くか、少しした後には気が付くと考えます。私は、無意識や何らかのきっかけによって、やめようと思っていた行動をまた繰り返してしまったとき、まずその人は自分への呆れがまず出てくるのだと思います。そこでやめようか、と思いもするでしょう。けれど、今までの自分には明らかな問題(疾病など)が出ていないという経験から止めることをやめるのだと考えます。
他者が気が付いた時に指摘する、という方法も有効だと思いますが、本人の自尊心を傷つける可能性があるとも考えます。まずはその人自身の意志の力のみで行動を変えることができるように支援していく方が良いと感じました。実際にその人がその行動をやめようと思い始めるまでと、行動に移すまで、と段階を分け、それぞれに合ったデータやリスクを本人に提示し、さりげなく促していくことも方法として加えるべきだと思いました。 
現代のリスク社会についての記事を読み、複雑な気持ちになりました。人間が快適に生活するためにさまざまなリスクを生み出すと、その不確かなリスクを確率によって想定しなければならない。確率が低いものだとしても、起こらないという絶対の保証はありません。結果、リスクによる不安によって快適な生活は送り辛くなっています。原発事故もそうですが、人間はリスクを生み出すことについてもっと慎重であるべきなのではないかと考えました。

ゆず 2013年4月 9日14:56

より健康になるための意思決定には「正確な情報」と「健康になりたいという意志」が必要なのだなと感じました。いくら医療者が疾患に関する情報を患者に理解してもらおうと努力しても、患者に「健康になりたい」という意志がなければ、継続した医療を提供できません。患者に「健康になりたい」と思わせるのも医療者の役目なのかもしれないと思いました。

サクラ 2013年4月 9日22:26

世の中には情報が溢れていて、考えてみると確かに私たちの身の回りには数字で表されたものが多い。何気なく生活してきた中で、私はそれらの数字(確率)を読み取り、自身にとっての価値を考え、この情報を知識として意思決定に使っていたのかどうかを考えさせられた。今までの自分を振り返ってみると、例えば何かを選ぶとき、特に深く考えずに「誰かがこっちの方が良いって言っていた」「いい評判を聞いたことがある」というように他人の主観や根拠の曖昧な評価を頼りに物事の決定を行うことが多かったことに気が付いた。そのせいで大きな損害を被ったことはまだないが、これから社会に出て生活していく上で、このままの自分ではいけない。様々な形の情報が溢れかえる世の中から、「データ+価値」から得た情報を知識として蓄え、よりよい意思決定に活かしていこうと感じた。

rurur 2013年6月16日22:14

EBMにおけるエビデンスは、あくまでも人を対象とした研究に限定される。動物実験や試験管レベルの研究は除外される。そのことを厳密にするためには『臨床的エビデンス』、『臨床統計学的根拠』と言うような厳密な用語を使う必要があると考えます。
また疫学という言葉はEBMの対象が病気だけでなく健康増進、スポーツ科学などに広がっているの『臨床統計学』と言う用語を使うのが現実的でより正しい用語と考えます。
専門家のご意見をお聞きしたい。
(エビデンスを科学的根拠と訳すことで多くの混乱が日本の歯科臨床の現場で起こっています。『臨床統計学的エビデンス』と言うべきです。なぜなら日本の大学教育においてさへ統計学的に物事を見る科学的習慣が身についていません。)
さらに言えばネットやテレビで宣伝される化粧品や健康食品、健康器具などに関しても統計学的な思考習慣が有れば、とんでもない商品を排除していく国民的レベルの知性(民度)を挙げることになると考えます。

亀石哲男 2014年9月 2日12:00

EBMにおけるエビデンスは、あくまでも人を対象とした研究に限定される。動物実験や試験管レベルの研究は除外される。そのことを厳密にするためには『臨床的エビデンス』、『臨床統計学的根拠』と言うような厳密な用語を使う必要があると考えます。
また疫学という言葉はEBMの対象が病気だけでなく健康増進、スポーツ科学などに広がっているの『臨床統計学』と言う用語を使うのが現実的でより正しい用語と考えます。
専門家のご意見をお聞きしたい。
(エビデンスを科学的根拠と訳すことで多くの混乱が日本の歯科臨床の現場で起こっています。『臨床統計学的エビデンス』と言うべきです。なぜなら日本の大学教育においてさへ統計学的に物事を見る科学的習慣が身についていません。)
さらに言えば、統計学および臨床統計学を理系・文系ともに必修科目とし、大学の医学部歯学部では初学期から臨床統計学、PubMed、コクランの実際の活用方法の学習を必修にすべきと考えます。
ご意見を専門家のご意見をお聞きしたい。厚労省・文部科学省の専門家のご意見をお聞きしたい。

亀石哲男(歯科医師) 2014年9月 2日12:07

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