1.健康のためには情報に基づく意思決定を

意思決定での勘や経験の落とし穴

1.健康のためには情報に基づく意思決定を

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意思決定での勘や経験の落とし穴

認知バイアスとは

 人の日常は選択の連続です。「今日の昼食は何にしようか」「傘を持って出かけようか」といった日常生活の選択から、就職や結婚など人生のイベントまで様々です。人は元来、不必要なところにはなるべく頭を使いたくないと思って生きています。限られた時間と労力の中で、なるべく小さなエネルギーですむように、勘や経験に頼って判断していることがあります。これをヒューリスティックスといいます。ヒューリスティックスは、生きていく上で不可欠なものです。選択の連続である日常で、いつまでも悩んでいるわけにはいかないからです。


 しかし、勘や経験を頼りに選択した結果、多少なりとも後悔をした経験はないでしょうか?人は、人間だからこその考え方の癖や傾向(=認知のゆがみ)を持っており、それがジャマをして合理的な決定や良い意思決定に結び付かなかったりすることがあるからです。この認知のゆがみを"認知バイアス"といいます。


 認知バイアスの研究は、経済学の分野を中心に行われてきました。しかし、最近では医療の分野でも行われるようになってきています。特に医療の分野では、意思決定が人の生命や健康に直結するという特徴があり、選択した結果のやり直しがきかない、後戻りができないという場合もあります。


 ここでは、12種類の認知バイアスについて、表1のように3つのグループに分けて紹介します[1]。大事な意思決定をする時には、少しでも間違いを減らしたいものです。認知バイアスについて知り、人は理にかなった決め方からどのようにそれてしまうのかを見ていきたいと思います。勘や経験だけに頼らずに、より正しく情報を理解して選択肢の吟味をし、自分の健康や、受ける医療に対して納得した意思決定につなげましょう。


表1.12種類の認知バイアス[1]

グループ

認知バイアスの種類

確率に関連した認知バイアス

サポート理論
あと知恵バイアス
確証バイアス

好み、価値に関連した認知バイアス

フレーミング効果
選好逆転
選択肢の追加
サンクコストバイアス
不作為バイアス
後悔
決定の重み付け

時間に関連した認知バイアス

時間割引率
順序評価


確率に関連した認知バイアス

 医療者は医療を提供する時に、エビデンス(科学的な証拠)をもとに行っています。しかし、それは絶対的なものではなく、あくまでも確率や可能性であらわされる不確実なものです。そしてそのデータは、ある人に当てはまる場合もあれば、当てはまらない場合もあります。ここで紹介する3つのバイアスは、その不確実性を判断する時に生じるバイアスです。

確率に関連したバイアス

サポート理論

 何かを選ぶときに、選択肢の提供方法が違うと、どれを選ぶかの判断が変わってくる可能性があります。選択肢を紹介するときに、紹介する側に何らかの仮説があって、その仮説がサポート(支持)されるという意味でサポート理論といいます。例えば、治療法を選択するときに、医師に次のように2つの言い方をされるとどうでしょう。

医師

「あなたの場合、手術か抗がん剤治療、...そんなところですね」

「あなたの場合、手術か抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン療法、代替療法、少し様子をみて経過観察、があります」

 前者の場合、医師の頭にある何らかの仮説から、それへのサポートが入り込んでいて、選択肢を少なく紹介されている可能性があります。手術と抗がん剤治療のほかを"そんなところですね"と一くくりにされてしまうと、いったいその中にどれほどの選択肢があるのか気付きにくくなります。"そんなところ"の中にあるはずの"放射線治療、ホルモン療法、代替療法、経過観察"という選択肢が省略されてしまうと、その選択肢の可能性を低く見積もってしまいます。
 治療法など専門的なことは、医師を始めとした専門家でなければわからないものが多いものです。医療を受ける側となった場合、選ぼうとする前に、自分の前にすべての選択肢が揃っているかを医師に確認する必要があります。


あと知恵バイアス

 あと知恵バイアスというのは、出来事が起きて結果が分かったあとに、「それわかっていたよ」「そうなると思っていたよ」と、あたかも始めから知っていたかのように、自分の考えを結果と一致させようとすることです。それは、もし結果を知らないままで考えていたら、そうなるとは思っていなかったとしても起こります。
 例えば、医師の診断に対する実験があります。患者の記録を見せて、どんな病気を持っていると考えられるかを問うものです。事前に、患者の正しい診断名を知らせたグループと知らせないグループでは、知らせたグループのほうが正しい診断名を多く答えました[2]。これは、十分に知識がある医師たちを対象として起こったことです。主治医以外に意見を求めるセカンドオピニオンのような場面でも起こるかもしれません。

 人は、答えや結果を先に知らされると、考えることを止めてしまい、自分もそう思っていたと思い違いをしてしまい、判断力や考える力がつかなくなることがあります。数学のドリルで、先に答えを見てから計算式を解くのと同じことです。あと知恵バイアスを避けるには、なぜそう思ったのか?他に何か選択肢はないのか?を考えることで、バイアスを避けることができるといわれています。



確証バイアス

 人は、自分の主張や思い込みを支持する情報や、都合のいい情報を集めて、自分の主張を強化しようとする傾向があります。それを確証バイアスといいます。医師が診断をする場面でも、医師は自分が立てた仮説を支持するようなデータを探したり、仮説を支持するようにデータを解釈したり、仮説を否定するような検査を行うことを避けたりすることがあるといわれています[3]。

 確証バイアスに陥らないよう、客観的にエビデンスを集めたガイドラインやマニュアルなどがありますが、医師も人間であり、医療を受ける側の協力も必要になってきます。検査は何のために行い、検査をすることで何がわかったのか、どのような経緯でその診断に至ったのか、医師は患者にわかりやすく説明する必要があります。そして患者側も、そういった説明を医師に求める必要があります。


好み、価値に関連した認知バイアス

 医療の分野での意思決定には、確率や可能性だけでなく、その人の好み(選好)や価値観も重要視されます。例えば、花粉症の薬は症状を緩和してくれますが、副作用として眠気が出ることがあります。あなたは薬で得られる利益をとりたいでしょうか?それとも眠気が出ると困るからと薬を使わないでしょうか?決定をする時には、自分の価値やライフスタイル、自分なりの優先順位をもって決めなければなりません。以下、好み(選好)に関する7つのバイアスを紹介します。


フレーミング効果

医師

「この手術による生存率は、90%です。」

「この手術による死亡率は、10%です。」

 この2つは、同じことを違う枠組み(フレーム)で伝えています。しかし、フレームの違いで受ける印象はずいぶんと変わります。死亡率が10%と言われると、手術を受ける気がしないでしょう。不利益をこうむる気がします。


 フレーミング効果は、プロスペクト理論という、経済学の理論がもとになっています。人には、同じ価値を持つものであっても、それを得る喜び(利得)よりそれを失う悲しみ(損失)の方を大きく受け止める性質があります。1000円もらった喜びよりも、1000円なくした悲しみの方が大きく感じるのです。価値の感じ方の違いを説明したものを、プロスペクト理論といい、価値の感じ方の違いをグラフで表したものを価値関数といいます[4]。人は、損失の方をより大きく受け止めるため、なるべく損をしないように物事を選ぶ傾向があり(リスク回避)、この性質がフレーミング効果へ影響しています。経済学の分野では、損得はお金で判断されますが、保健医療の分野では、利益は健康や寿命であり、リスクは病いや障害、死となります。


 フレーミング効果が、医療の分野でも見られるということを示した研究があります[5]。かりに、『大規模な感染症が蔓延し、600人が感染して死亡するかもしれない』と想定された時、あなたはどちらの対策を選ぼうとするでしょうか。

医師

対策Aをとれば、200人が助かる

対策Bをとれば、1/3の確率で600人全員が助かる

 対策Aを選ぶ方が多いのではないでしょうか。AもBも、違うフレームで説明していますが、同じことを伝えています。しかし、Aの方が損をしないように聞こえます。

 一方、損をした時には、人は多少のリスクは受け入れられる(リスク選好)と考え、リスクをとる傾向に走ります。ギャンブルで少し負けかけたら、有り金を全部はたいてしまった、というようなことです。同様に感染症の対策として、

医師

対策Cをとれば、400人が亡くなる

対策Dをとれば、2/3の確率で600人全員が亡くなる

 という選択肢が提示されれば、今度は対策Dを選びがちです。"亡くなる"という負のフレームで情報を提示されると、より損にならなそうな選択肢を選ぼうとするからです。


 わたしたちは普段、提供された情報だけで判断しがちです。しかし、違った枠組み(フレーム)で情報を読み取ってみると、異なる印象を受けるかもしれません。


選好逆転

 選好とは、ほかのものよりも好んで選ぶという意味です。選好逆転とは、状況や場合によって選択肢の優先順位が変わることをいいます。本来、BよりAを選ぶならば、BよりAの方にお金を多く払うべきで、BよりもAを高く評価するべきです。しかし、場合によってその順序が変わることがあるということです。

 選好逆転を実証した研究があります[6]。商品に関する項目と、健康に関する項目について、2つの方法で評価してもらいました。売るならいくらかという「値段」と手に入れるのをあきらめる代わりに欲しいと思う「寿命の延び」です。

〈商品に関する項目例〉
・飛行機のチケット
・映画のチケット
・バカンス
・大好きなセレブとデート
〈健康に関する項目例〉
・エイズのワクチン
・虫歯にならない
・両方の視力が2.0になる治療
・がんにならない治療

 本来であれば、高い値段がついたものほど、寿命も長くなるはずです。しかし実際には、「値段」で評価した場合は、商品の項目のほうが健康の項目よりも順位が高くなった一方で、「寿命の延び」で評価した場合は、健康の項目の方が商品の項目よりも順位が高くなりました。商品はそもそも普段お金でやりとりされるものであり、健康は寿命と関係が強いので、関連のあるもので評価したほうが、高くなる傾向にあるということです。評価をする物差しによって、選好の逆転が起こったということです。

 人の価値観は多様で、どこに重きを置くかは人それぞれです。しかし、ただ単に自分の好みを引き出すと、偏りが生まれる可能性があります。今選ぼうとしているものは自分の時間、お金、人生でどれほどの価値を持ち、どれほどの影響力を持つのか、様々な側面から吟味し、総合的に評価する必要があるでしょう。


 こちらのサイトもどうぞ。
その比較で決定していい?----選好逆転


選択肢の追加

 例えば、選択肢が2つから3つに増えたら、選択肢の選ばれ方は多様になるだろうと予測がつきます。しかし、選択肢が増えることで、かえってある特定の選択肢が選ばれる確率が増えることがあります。

 腰痛を訴える患者を、最初に診察した専門医ではない医師が、どのような選択肢を選ぶかという研究があります[7]。まず、以下のような2つの選択肢が提示されました。

医師

A:専門医に相談する

B:痛み止めの薬を始めて、専門医に相談する

 すると、Aを選ぶ医師とBを選ぶ医師は半々くらいでした。

 次に、3つの選択肢が提示されました。

医師

A:専門医に相談する

B:痛み止めX薬を始めて、専門医に相談する

C:痛み止めY薬を始めて、専門医に相談する

 すると、7割の医師が "A:専門医に相談する"を選ぶという結果になりました。2つの選択肢が提示されていたところに、どちらかに似た選択肢が加わると、それ以外の選択肢が選ばれる確率が高くなったというものです。複数の選択肢から1つを選ぶ時には、なぜそれを選んだのか、医師は説明しなければなりません。この場合、X薬もY薬もどちらも痛み止めであり、どちらかを選ぶというのは難しい、だったらどちらも飲まない方を選ぼう、というふうになるわけです。


 意思決定をする時には、それぞれの選択肢のメリット・デメリットを比較する作業が必要です。ほかの選択肢と少し違っているから、ほかの選択肢と比べたらいい方だから、という理由だけで選ぶのではなく、1つひとつの選択肢について、自分にとってどんなメリット・デメリットがあるのか、自分の価値観にあっているものはどれかを吟味していく必要があるでしょう。


サンクコストバイアス(別名コンコルド効果)

 サンクコストとは、サンク(=埋没、沈没)したコスト(費用)、過去に費やしたもう回収できないコストを指す経済学の用語です。サンクコストバイアスとは、サンクコストに引きずられて、行動がゆがめられることです。例えば、投資を続けても損をすることはわかっているのに、すでに費やしたお金や時間を惜しんで、投資を続けてしまうことです。医療の分野では、治療費や受診に伴う交通費、時間、治療に伴う苦痛、精神的な負担などが、サンクコストとして挙げられるでしょう。もう効果がないとわかっているのに、過去に費やしたサンクコストに引きずられて現行の治療を続けてしまう、といったことです。



 サンクコストバイアスを検証した研究があります[8]。この研究では、医師に対して、医療に関係のない日常生活に関わるシナリオと、医療に関わるシナリオが提示されました。

花子さん

日常生活シナリオ

花子さんは、夫から誕生日プレゼントにチェロをもらった。花子さんは初心者向けのチェロのレッスンに通うため、レッスン代3か月分を前払いした。ひと月経ったところで、花子さんはチェロがつまらない、楽しめないと思い、レッスンに通うのをやめたくなった。
花子さんはどうすべきか?

太郎さん

医療シナリオ

太郎さんは、2か月前に胃カメラ検査を行った。そこで逆流性食道炎(胃液や食物が逆流し、胸やけを生じる)が見つかり、4か月分の薬を購入し治療中であった。ところが薬をふた月飲んでもまだ胸やけ症状は治らず、副作用でだるさもある。主治医はどうすべきか?

 それぞれのシナリオで、サンクコストバイアスがどう働くかを調べています。これらに対する回答として次の3つの選択肢があります。

花子さんと太郎さん

A:サンクコストは無視して、新たに切り替えたほうがいい

B:すでに使ったお金を無駄にしないために、計画通り続けたほうがいい

C:これまで続けたのだから、計画通り続けたほうがいい

 この結果、医師は日常生活に関わるシナリオに比べ、医療に関わるシナリオではそれほどバイアスの影響を受けず、BやCよりもAを強く支持する傾向にありました。日頃トレーニングを受け、専門家として一貫した態度を求められる分野では、バイアスを避けられるということでしょう。しかし、費やした金額が大きいほど、Bを支持しやすい傾向が見られました。やはり医師もサンクコストバイアスに流されやすいということはあるのです。


 治療の場合、時間もお金も、費やすのは医療を受ける側であり、治療や苦痛を受けるのも医療を受ける側です。サンクコストバイアスなしに決断するのは、なかなか難しいかもしれません。しかし、元に戻せないコストに縛られず、それらを経験として大切にしながら、切り替えて判断していくことが大切です。 元に戻せないコストに縛られず、この先どれだけのコストがかかるのか?という視点で、最適な判断をする必要があるでしょう。


 サンクコストバイアスについて、以下のサイトもご参考下さい。
サンクコストを阻止する諦め力 為末大と町田樹に学ぼう


不作為バイアス

 人は現状維持を好み、何もしないことで起こるリスクより、積極的に取り組んで起こるリスクの方を避けたがります。これを不作為(無為)バイアスといいます。この現象を、"インフルエンザワクチンを打つか打たないか"で検証した研究があります[9]。以下の条件を想定して下さい。

インフルエンザによって、10000人中10人の子どもが亡くなる
ワクチンを接種することによって、インフルエンザにかからなくなる
しかし、ワクチンの副作用で亡くなることがある

 自分がもし子どもの親だったら、ワクチンの副作用で亡くなる子どもの割合がどれくらいであれば、子どもにワクチンを受けさせるでしょうか。


 研究では以下のような結果が出ました。かっこ内は、それを選んだ人の割合を示しています。

⑤	不作為バイアス

 この状況下で、1人でも多く助かるのであれば、副作用で死亡するリスクがあったとしても、ワクチンを打つという選択をすべきところです。しかし、その選択をすると答えた人は9%で、そもそも副作用で子どもが亡くなるなんて許容できない、と答えた人は23%でした。ワクチンを打たずにインフルエンザで亡くなること(不作為によって起きた悪い結果)よりも、ワクチンを打ち、副作用によって亡くなること(作為によって起きた悪い結果)の方が重大視され、何かすることで損をするのを避けたいという考えが邪魔をしたからでしょう。


 今ある現状を維持することの方が抵抗は少なく、先に起こりうることを予測して意思決定を行い、わざわざ行動を起こすというのは難しいことです。不確実なことが多い医療の分野では余計に難しいでしょう。"行動をしない""現状を維持する"というのは、意識しなければ選択肢として見過ごしてしまいそうですが、大切な選択肢の1つです。しないことを選んでいるということに気を付けましょう。

 不作為バイアスについて、以下のサイトもご覧下さい。
やって失敗するよりは...―不作為バイアス


後悔

 後悔とは、自分が選んだ選択肢の結果について、選ばなかった選択肢の結果を想像して比べてみた時に起こる感情です。様々な選択肢を選んだ時の結果を想像し、比べてみることは、意思決定をする時の重要なプロセスです。しかし、それぞれの結果がどうなるかは事前にはわからないわけですし、どのように想像するかに左右されます。比較した時の違いがあまりに現実とかけ離れていると、選択肢に偏りが生まれます。


 医療の世界では、後悔に関しての研究はあまりされていません。選ばれなかった選択肢は、まだエビデンスが確立していなかったり、普及していなかったりするからです。しかし、後悔は「不作為バイアス」や「フレーミング効果」など様々な意思決定に影響を与えているといわれています。人は、後悔をしたくないからリスクを回避しようとするからです。「フレーミング効果」でも触れたように、なるべく損をしないような選択肢を選ぼうとします。しかし、リスクを避けようと選択肢を選んだとしても、結果的に大なり小なり後悔はするかもしれません。どのような葛藤があった上でその選択をしたのか、どれだけこの問題に取り組んだのかということを、自分の中で納得のいくまで考えたいものです。


決定の重み付け

 「X薬を使ったら、死亡率が40%から30%へ下がった」というのと、「Y薬を使ったら、死亡率が10%から0%になった」というのは、どちらも10%低下しているので、同じ影響力があります。しかし人は、10%から0%に下がった方をより高く評価する傾向にあります。リスクが30%になるよりも、ゼロになる方が望ましいからです。このように、確率を判断する時に、数値を同じように評価せず、特定の部分を大きく評価することを決定の重み付けといいます。特に、リスクがない状態を求めることを"ゼロリスク"志向といいます。これは確実性効果ともいわれます。


 がんの治療法について、医師はどのような選択肢を選ぶか調査した研究があります[10]。あなたが医師だったら、どちらの治療法を選ぶでしょうか。

医師

治療A:20%の確率で亡くなるが、80%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が30年延長する

治療B:確実に普通の生活を送ることができ、寿命が18年延長する

 治療Aを選んだ医師は35%、治療Bを選んだ医師は65%でした。AとBを比べた時に、確実性のある方を選んだのです。

 次に、こちらの選択肢であればどうでしょう。

医師

治療C:80%の確率で亡くなるが、20%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が30年延長する

治療D:75%の確率で亡くなるが、25%の確率で普通の生活を送ることができ、寿命が18年延長する

 治療Cを選んだ医師は68%、治療Dを選んだ医師は32%でした。


 治療A~Dの生存率を見てみます。治療Aから、それぞれ80%、100%、20%、25%です。生存率だけを見てみると、治療Cの生存率は治療Aの生存率の1/4、治療Dの生存率は治療Bの生存率の1/4の確率となっており、それ以外の条件は治療Aと治療C、治療Bと治療Dは同じです。したがって、治療Aより治療Bが選ばれるならば、治療Cより治療Dが選ばれるべきです。しかし実際、医師の大半は治療Cを選びました。AとBの場合は生存率が高く、"ゼロリスク"、生存の確実性が重視されますが、CとDの場合のように、もともとリスクが高く、生存の確実性が低い場合は、寿命が30年延長するという、より望ましい結果が期待できる治療Cを選んだということです。


 人は、不確実な状況で判断をする時、定規で測ったようにものごとを判断することは難しいということです。つい、"リスクはない""確実に○○できる"という言葉にとらわれてしまいます。数値やリスクをどのように捉え、意思決定に反映させるかは、意思決定のプロセスにおいて大きなポイントとなります。

時間に関連した認知バイアス

3.	時間に関連した認知バイアス

 最後に、時間に関連したバイアスを2つ紹介します。医療の分野において、選択した決定の結果の多くは、さまざまな時間を経て起こります。例えば、手術した時は、直後に合併症が起きたり、手術が原因で亡くなったりすることがあります。しかし、長期的にみれば、手術をしたおかげで寿命が伸びるということがあります。時間や順序に影響を受けて、選択肢を選ぶ時にバイアスが生じる可能性があります。

時間割引率

 人は、将来もらえるものより、今もらえるものの方に価値を置きます。今1万円もらえるのと1ヶ月後に1万円もらえるのを選べるとしたら、今1万円もらいたいと考えるでしょう。1ヶ月の間に1万円くれるという人の気が変わって、もらえなくなるかもしれませんし、今もらっておいて銀行に預ければ、1ヶ月後には利子がいくらかつきます。そのため、もらえない時間が長くなるにつれて、1万円の価値は下がっていく、割り引かれていく、というのが時間割引率の考え方です。


 例えば、「たばこが身体に悪いことは知っているし、止めたらメリットの方が多いことは知っている。だけどなかなか止められない」という喫煙者がいます。止めるべきだと思いながら止められないのは、たばこを止めた時に得られる長期的な健康のメリットよりも、今、目の前の一服の楽しみを優先するからです。この時間割引率によって、禁煙やダイエット、運動の継続、といった生活習慣の改善がなかなかうまく進まないのです。ここでもやはり、人の特性である、"今、損をしたくない"という気持ちが働いています。


 今、目の前にある損を避けて得を取ることが、将来の利益につながっていれば問題ありませんが、必ずしもそうではないことがあります。メリット・デメリットは、短期的な視点で見た時と長期的な視点で見た時とで変わる場合があり、それぞれの視点で考えてみる必要があります。


順序評価

 時間割引率は、出来事が連続している時にもあてはまります。そのことを検証した研究があります[11]。「完全な健康」「激しい頭痛」「軽い咳」という3つの状態がそれぞれ10年間続くとすると、どちらの順番がいいか選んでもらうものです。

医師

「完全な健康」→「激しい頭痛」→「軽い咳」

「激しい頭痛」→「完全な健康」→「軽い咳」

 この2つの順番だと多くの人が上の順番を選びました。


 では、「完全な健康」を2回、「激しい頭痛」を1回とした次の場合はどうでしょう。

医師

「激しい頭痛」→「完全な健康」→「完全な健康」

「完全な健康」→「激しい頭痛」→「完全な健康」

 この場合は多くの人が下を選びました。後ろの順番に関わらず、まず先に選ぶのが「完全な健康」であったということです。これは、今すぐの「完全な健康」よりも、10年後、20年後の「完全な健康」は価値が低く、価値が割り引かれているということです。


 一方で、この時間割引率を支持しないものもあります。大腸カメラの検査を行った患者を対象とした、痛みについての研究です[12]。患者に、検査中のその時その時の痛みの大きさをその都度聞いていきました。検査がすべて終わってから、経験した痛みを振り返り、全体としての痛みの程度を評価してもらいました。本来であれば、その都度聞いた痛みの程度を合計したものが、全体の痛みの程度と同じであるはずです。しかし、そうではありませんでした。全体の痛みの大きさに影響していたのは、痛みがピークに達した時の痛みの強さと、検査の最後の数分間の痛みの強さでした。ピークと最後(エンド)が出来事全体の印象を決めてしまうことを、ピークエンド効果といいます。旅の思い出や人の印象も、ハプニングと終わりの印象で決まりがちといわれます。人の記憶はあいまいだということがわかります。記憶に残るのはごく一部なのです。
 行動経済学者、心理学者でありノーベル賞を受賞したカーネマン氏による説明です。
ダニエル・カーネマン:経験と記憶の謎

認知バイアスは、必ず避けるべき?!

 これまで12のバイアスを紹介しました。ここではバイアスを、認知のゆがみ、考え方の偏りとし、ネガティブなものとして扱っています。しかし、人間だからこその考え方の癖であり、必ずしも悪いものではなく、人間らしいともいえるでしょう。その人が持つ価値観との兼ね合いもあります。しかし、その認知のゆがみがあることを知っているか知らないかで、もし判断する結果に違いが出てくるとしたら、それは避けたいところです。

 バイアスは、市民・患者と、医療者の両方に影響を与えて、健康にも影響を与えています。情報を受け取り、判断する際に、バイアスが人の命や人生に関わってくるというのが、保健医療の分野での特徴といえます。最初に紹介したヒューリックスのように、勘や経験に頼って判断早く簡単に答えを出すと、後悔するような問題が起こる場合があります。これへの対策としては、意思決定ガイド(ディシジョンエイド)やガイドラインなど、道筋を立てて意思決定を行うことのできるものが開発されてきています。


 よりよい意思決定を行うためには、情報の提供者となる医療者が、バイアスについて知っていなければなりません。しかし医療者も人間です。コンピュータで意思決定をしない限りは、情報の伝え方、受け取り方の違いが多少なりとも影響するでしょう。コミュニケーションをとる上で、医療者と市民・患者の協力が必要といえます。人の考え方の癖を知り、より良い意思決定に近づきましょう。

(佐藤繭子、中山和弘)


引用文献
[1] Chapman, G. B., & Elstein, A. S. (2003). Cognitive Processes in Decision Making. Chapman, G. B., & Sonnenberg, F. A. Decision making in health care: Theory, psychology, and applications. Cambridge University Press.
[2] Arkes, H. R., Wortmann, R. L., Saville, P. D., & Harkness, A. R. (1981). Hindsight bias among physicians weighing the likelihood of diagnosis. Journal of Applied Psychology, 66, 252-254.より一部改変
[3] Klayman, J. (1995). Varieties of confirmation bias. In J. Busemeyer, R. Hastie, and D.L. Medin (Eds.), Decision Making from a Cognitive Perspective. The Psychology of Learning and Motivation, Vol. 32, pp. 385-418. New York: Academic Press.
[4] 広田すみれ, 増田真也, 坂上貴之. (2006). 心理学が描くリスクの世界: 行動的意思決定入門− 改訂版. 慶應義塾大学出版会.
[5] Tversky, A., & Kahneman, D. (1982). The Framing of Decisions and the Psychology of Choice. Science, 211(4481), 453-458.
[6] Chapman, G. B. & Johnson, E. J. (1995). Preference reversals in monetary and life expectancy evaluations. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 62, 300-317. より一部改変
[7] Redelmeier, D. A. & Shafir, E. (1995). Medical decision making in situations that offer multiple alternatives. Journal of the American Medical Association, 273(4), 302-305. より一部改変
[8] Bornstein, B. H., Emler, A. C., & Chapman, G. B. (1999). Rationality in medical treatment decisions: Is there a sunk-cost effect?. Social Science and Medicine, 49, 215-222. より一部改変
[9] Ritov, I. & Baron, J. (1990). Reluctance to vaccinate: Omission bias and ambiguity. Journal of Behavioral Decision Making, 3(4), 263-277.
[10] Tversky, A. & Kahneman, D. (1986). Rational choice and the Framing decisions. Journal of Business, 59, s251-278.
[11] Tredwell, J. R. (1998). Tests of preferential independence in the QALY model. Medical Decision Making, 18, 418-428.
[12] Redelmeier, D. A. & Kahneman, D. (1996). Patients' memories of painful medical treatments: Real-time and retrospective evaluations of two minimally invasive procedures. Pain, 66, 3-8.


様々な認知バイアスについて、まとめられています。ご参照下さい。

思考を歪める心理効果 認知バイアス
行動経済学 NAVERまとめ
カイゼン!思考力

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