6.健康を決めるのは医療者から市民へ

医療だけに頼っていては健康になれない

6.健康を決めるのは医療者から市民へ

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1. 医療化とは何か


 健康でいること。これは誰もが望むことでしょう。それでは、私たちはどうすれば健康になれるのでしょうか。また、どうすれば健康を維持できるのでしょうか。心身の具合が悪いのなら、病気の専門家である医者に診てもらえばいい、そう思う人も多いでしょう。そのようにして、何か困ったことがあれば医師に相談するという傾向が進み、かつては医療が扱うべきものとされていなかった現象が医療の対象になる傾向にあります。このまま医療の「専門家」が対象とすることが増えていったとしましょう。そのような状態を「医療化(medicalization)されている」ということができます。

 医療化とは、宗教、司法、教育、家庭などの社会生活のなかで起こっているとされてきたさまざまな現象が、次第に医療の対象とされるようになっていくことをいいます。これまで親のしつけや教育問題とされてきた「落ち着きのない子ども」「子どもの成績不振」が、多動症、学習障害として認識されるようになったのも医療化の一例です。妊娠、出産、死など、かつては家族、共同体、宗教によって担われていた現象が、今日では医療現場で取り扱われるようになっています。これも医療化の事例といえるでしょう。

社会生活のなかで起こっているこうした現象が医療化されることで、 下記のようなプラスの側面が認識されています。
(1) それまで逸脱者とされていた者が「人として正しく」処遇される
(2) そうあることが「病気」とみなされることで、それまで課されていた社会的責務・非難が免除・軽減される
(3)「治癒可能なもの」と社会から認識される
(4) 治療の対象となり、医療専門職による保護が得られる
(5) 法による取締りよりも一人ひとりに適した、より効果的な対応ができる

こうしたプラスの側面があると同時に、
(1) 逸脱者の責任が問われなくなるとともに、社会生活を営む上で同等レベル以下にある市民と見られるようになる
(2) 医療行為のなかに存在する、医師が「人としての判断」を求められる倫理的問題が目立たなくなり、医療が常に倫理的に正しいという仮定が生まれる
(3) 事象が医療問題とされてしまうことで、一般人がその問題への議論に参加することが困難になり、医療専門職が意のままに動かせる状態に置かれ、多大な影響力を及ぼすようになる
(4) 医療によって社会がコントロールされる
(5) 社会問題であったことが個人を治療すれば解決すると考えられ、問題が個人レベルへ限定されることになり社会問題の隠蔽につながる
(6) 個人の健康上の問題であると処理されてしまうため、政治問題として取り上げ抗議行動を起こそうという気がなくなる
といったマイナスの結果も指摘されています[1,2]。

2. 医療化とスティグマ

 身体上の障害や、際立って目立つ個人の性格的特徴、人種・民族・宗教などの集団的特性など、他と異なっているがために望ましくないとみなされる印を「スティグマ」といます。そのため、個人のもつ特徴が「病気」とされたことで、他人からの蔑視や不信を受けるマイナス・イメージを、スティグマと定義することもできます。

 スティグマという言葉はもともとギリシャ語で、十字架上のキリストの身体の傷と同じ聖痕を意味します。数千年前のギリシャでは、犯罪者のひたいに焼印を押して一般人と容易に見分けがつくようにし、その焼印をスティグマと呼びました。

 社会学者ゴッフマンによれば、スティグマとはある社会における「好ましくない違い」であり、スティグマを負った者に対する敵意が正当化されたり、危険性や劣等性が説明され、さまざまな差別に結びつきやすくなると説明しています[2]。心身障害者や人種、精神障害者、HIV感染者など、現代社会でスティグマを負った人の経験や、彼らとコミュニケーションを取る際に生じる当惑の分析が差別問題の解明には重要といわれています。

 医療化の進展は、医療専門職の支配、医療費の増大、政治的・法的・文化的領域での医療問題の重要性の増大につながります。ゾラは、医療化が「逸脱の医療化」から、「社会全般にわたる医療化」にまで範囲が拡張されるようになる可能性を指摘しました。一方フォックスは、いったんは病気とされた同性愛がアメリカ精神医学会による病気分類から除外されたり、妊娠・出産の医療管理に対するフェミニズムからの抗議がおこるなど、「脱医療化(demedicalization)」への動きがあることも示唆しています[3]。

 しかし、どこからが「医療化」でどこまでが「適度な医療」といえるのでしょうか。それはそれぞれの時代によっても異なってきます。医療が行っていることは果たして全て正しいことなのでしょうか。わたしたちはそれを考え、判断する目をもたなくてはなりません[4]。

3. 健康への道は自らが獲得することも必要

 健康を得るため、心身の悩みについて医師に相談します。しかしそれだけでは決して十分とは言えません。残念ながら、医療がすべてを解決することはできないからです。現在の医療では治療法が見つかっていない疾患もあれば、病院を退院はしたものの、手術後の後遺症に悩まされるということもあります。

 そうなると、私たちは生活の質が少しでも良くなるよう、更なる医学的研究、新たな治療法の確立、新薬開発を望むでしょう。社会の無理解から、偏見を持たれているような疾患の場合は、少しでもその偏見が解消されることを望むでしょう。そのためには、私たちもじっとしているわけにはいかないのです。私たち自身が行動を起こし、社会がその疾患に対する関心を高め、社会に疾患への理解を求める必要があります。このように、自らの疾患や障害のことを社会にアピールし、理解普及に努める行動を指して「ヘルスアクティビズム」といいます。

アメリカでは、乳がん患者たちがキリマンジャロに登頂し、それがニュースで報道されるということがありました。彼女たちは登山家になったわけではありません。キリマンジャロという世界の最高峰に挑戦することで、自分たちは病気に負けていない、こんなにも元気に活動できるんだということがマスコミを通じて紹介されます。それにより、同じ乳がんと闘っている女性たち、重い病気と闘っている患者たちを励ましながら、社会に自分たちの病気について関心を持ってもらうきっかけになることをも彼女たちはねらっていたのです。

元来、ヘルスアクティビズムの考えがアメリカで知られるようになったのは、1980年代のエイズ問題が起こった時でした。エイズが蔓延し始めた当時、疾病管理・予防センターの研究者が原因解明に取り組んでいましたが、政府からこの問題についての研究資金があまり充てられていなかったこともあり、十分な結果が出せずにいました。その間も、多くの人びとがこの病気で亡くなっていきました。エイズは当初、大都市のゲイ (男性の同性愛者)コミュニティに発生するものと考えられていました。しかし実際のところPLHA(People Living with HIV/AIDS、(HIV/AIDSと共に生きる人々))コミュニティは血友病患者や静脈内注射を行う麻薬愛用者などからも構成されており、ゲイコミュニティでは自分たちを守るためにも団結する必要がでてきたのです。

患者に医療サービスと住宅を提供すること、そして感染の波を抑制するために必要なライフスタイルの変化に関する公衆衛生教育を展開することを目的に、アクティビストグループが活動を始めました。「ACT UP」は1987年にニューヨークで設立され、おそらく最もよく知られている団体でしょう。彼らの行動は世間の注目を引き、製薬会社、政府高官そして研究者からの関心を集め、多額の寄付金を得るとともに、より迅速な新薬の承認プロセスおよびその他の重要な成果を生みました[5]。

映画俳優やスポーツ選手などの著名人が自分の病気について語ったり、病気であることを公表してさまざまな活動をしたりすることで、その病気に対する社会の理解を高めるということもあります。パーキンソン病のマイケル・J・フォックスやモハメド・アリ、脊髄損傷のクリストファー・リーヴがその一例でしょう。

近年、日本でも乳がんやうつ、認知症介護などを経験した有名人が、その経験を公表しているのを聞くことがあると思います。これらも病気に対する社会の理解を高める一助になっていると言えるでしょう。

文献
[1]進藤雄三 医療の社会学 世界思想社、京都、1990年.
[2] アーヴィング・ゴッフマン、石黒毅訳:スティグマの社会学──烙印を押されたアイデンティティ、せりか書房、東京、1984年.
[3]ピーター コンラッド, ジョゼフ・W. シュナイダー, 進藤 雄三・近藤 正英・杉田 聡 (訳):逸脱と医療化―悪から病いへ、ミネルヴァ書房、京都、2003年.
[4] 野口裕二・中山和弘:保健医療の思想・文化─近代医療を超えて─.山崎 喜比古編、健康と医療の社会学、217-237、東京大学出版会、東京、2001年.
[5]Patricia Geist-Martin, Eileen Berlin Ray, Barbara F. Sharf :Communicating Health Chapter11: Empowering Citizens and Advocating Issues p320-351, Wadsworth Pub Co, Canada, 2003.

(的場智子)

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コメント

先生の考えに私は追加したい。
エビデンスとナラティブと資源の情報を獲得しながら己を更に知り生きる力を蓄積する努力が期待したいと考える。

龍さん 2011年5月17日17:36

 メディカライゼーションの問題とそれへの異議申し立て、またヘルスアクティビズムについての視点に共感を覚えます。それは、このこと自体に自分が当事者性を感じるからです。
 どういうことかというと、以下の通りなのですが、その前に、一点気になる記述があります。「しかし実際のところゲイコミュニティは血友病患者と静脈内注射を行う麻薬愛用者などからも構成されており、ゲイコミュニティでは自分たちを守るためにも団結する必要がでてきたのです。」という部分です。私の認識不足なのかもしれませんが、これは、「しかし実際のところPLHA(People(Person) Living with HIV/AIDS)コミュニティは血友病患者と静脈内注射を行う麻薬愛用者などからも構成されており、・・・」ではないのでしょうか?
 さて、私自身の当事者性とは、性的少数者であることと、当時日米のゲイ/AIDS アクティヴィズムに参加したという経験です。自らのこと、経験したことが、このようにこの場で綴られて、歴史的・社会的意味付けの一部を構成しているかもしれないと思うと、「その時」行動して本当によかったと思います。今現在、今後とも自らの置かれる立場について、メディカライゼーション等様々な社会的眼差しが降り注がれるでしょうが、「そもそも主人公は誰なのか?」という視点を忘れずに、今後も「行動して=生きて」いきたいです。

メイキャット 2011年5月30日10:05

医療化が進むにあたって、記載されている通り病気と認められることで救われた人がたくさんいたと思います。「自分が悪い」という考え方は一見健全な考え方に見えますが、原因が明確に出来ていなければ、後が続かず悩みも解決せず苦しみ続けるだけです。医療化されることで、このような負のスパイラルに陥ることが少なくなることは、歓迎すべき事であると考えます。
ですが、良いことばかりではなく医療化された新しい病気や病名がメディアを通して、誤った伝達がされていくと、自己診断だけで自分がその病気に違いないと無駄に心配する事が増えているように思います。自己診断でも、そう感じた後に実際に病院にて診断を受ければいいのですが、それもせずに放置することなどにより悪化や、別の病に発展するといった例も聞きます。
医療化が進むと同時に、その新しい情報を正しく伝達する手段も進化していく必要があると考えます。直接的な医療だけでなく、そのような正しい情報が伝わり周囲に周知できることで、予防にも繋がると考えます。

ゆういち 2011年6月 4日20:49

在職中は転勤が多く、人間ドックの結果(境界型糖尿病)が同じような内容であっても、かかる病院(専門医師)の治療方針により微妙な診断・治療の相違を受けることが多かった。 ①患者に対する意識付け(病状の説明、他の病気の併発の危険性、他科受診の勧め、治療期間、治療の方針、検査)②具体的な治療指導(食事の量や質への取り組み、有酸素運動の形態や方法、栄養士による栄養指導、投薬等) この状況が長年続くと、医療機関に自分の身を全て委ねてよいのかどうかの疑問が湧いてきた。病気に関するいくつかの書籍を購入し、一方ではインターネット情報等を通じて、様々な情報を入手。共通的な情報、根拠が不詳若しくは独自の判断での情報、客観的な情報、一部の内容や根拠のみの情報等に取捨選択し、現在のかかりつけ医と相談しながら実践している。自分自身で解決できない部分も当然多いが、自分の健康は自分で考え守っていくのが、これからの時代の基本と思う。

たか 2011年6月15日21:22

ヘルスアクティビズム(自らの疾患や障害のことを社会にアピールし、理解普及に努める行動)という言葉を初めて聞きました。
確かに、自分の知らない病気や難病について、日常生活をしていると気にすることもないので、テレビのドキュメント番組などで、難病の患者さんの話を聞いていると、小さい声は回りに届かないんだなと思ったことがありました。
自ら行動を起こして、社会に自分たちの病気について関心を持ってもらうことは、患者本人だけではなく、社会にとってもプラスになると思いました。

マブス 2011年6月19日15:25

小中学生と関わる機会が多くあるのですが、最近は発達障害を抱えている児童が増えているように感じていました。実際には昔から今と同じくらいの数の発達障害児がいたのかもしれませんが、障害として認知されていなかったのではないかと思います。認知されることによって、何かできないことがあっても仕方がないと無理強いされないというメリットはありますが、少し時間をかければ出来ることまで出来なくても仕方がないとされてしまうというデメリットもあります。健康に問題があるにもかかわらず健康な人と同じ生活を送るということは多少なりとも困難なことがあると思います。しかしながら健康に問題があると認められたとしても、周囲にその問題を正しく理解してもらえないと逆に負担が増加してしまうのではないでしょうか。

りんご 2013年3月29日16:46

医療だけに頼っていては健康になれない。つまりこれは、医療は万能ではないことを意味していると思う。学校の教育だけでは子供の人格は完全には形成できないように、医療だけでは健康にはなれないのだ。
 大事なのはその先である。自分で健康になるための行動を起こし、それを継続する。世間の認知度が低い疾患だったらその疾患を知ってもらうためにどうすればいいか考える。このような発想の転換、柔軟性が世の中では求められているのではと思う。
 話が大きくそれてしまうが、仕事や人間関係もそういうものではないかと感じる。自分の周りでは既に社会人として働いている人もいて、話を聞いてみると、あの上司は私のことを全然わかってくれない、とか、せっかく希望の会社に入ったのに雑用ばかりで自分のスキルが生かせない、非効率だ、などと訴えてくる。しかしこの問題も会社や上司を批判するだけでは自分は伸びないのではないかと考える。わかってくれないのならどうしたらわかってくれるかを考え直すべきだし、雑用ばかりと愚痴をこぼすのならこいつには雑用をやらせるのはもったいないと思わせるくらいの成果を出せばいい。会社だけに頼っていては自分は成長できない。会社という組織の中にいながらもその中で個人として何かできることはないか、この問題を頭のどこかに入れておかないと多分言われたことしかできない受け身な人間になってしまう。
 ヘルスアクティビズムは医療において、自分が行動を起こす一つのきっかけになると思う。一人では不安に感じることもある。そんなときは同じ苦しみを抱えている人と共に行動すれば大丈夫だと思う。
 世の中を動かすにはまず自分が変わることが必要、そして自分を変えるのに必要なのは小さな勇気と自信。自分に自信が持てるだけで精神面ではもうほとんど健康だと私は思う。

P.S.
なんか偉そうでビッグマウスなコメントですみません。本日はお話しできて良い経験になりました。ありがとうございました。

マナフィ 2013年7月17日17:04

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