2.「信頼できる情報」とは何か

ナラティブ(物語、語り)

2.「信頼できる情報」とは何か

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1. ナラティブが注目されている

語り
 これまで医療の世界では、患者や家族がその経験について語ること(ナラティブ)は、そのように扱われてきたでしょうか。それは、変わりやすくもあり、場合によっては治療を混乱させる可能性があるもの、という考え方がありました。ところが、最近になって、ナラティブに関する関心は非常に高くなってきました。それはなぜでしょうか。

 科学的根拠(エビデンス)に基づく医療・医学は1990年ごろから提唱されるようになりました。これらは迷信や科学的根拠のない医療行為をできるかぎり少なくし、より合理的で科学的な、多くの人にとって役に立つ医療を目指す目的をもっていました。このような考えのもと、医療者は自分の専門性を基盤として、聞くべきことを自分の枠組みで聞き、診断をし、最善の方法を考えて治療していました。しかし、良かれと思う治療であっても患者の満足度が低く、コミュニケーションがスムーズに行われないことがあります。ナラティブはそうした状況を改善するカギになる可能性があって、注目されはじめました。

2. ナラティブに基づいた医療とは

 ナラティブに基づいた医療NBM(Narrative Based Medicine)とは次のようなものをさします。つまり、医療機関を受診する患者は、痛みなど具体的な症状のほかに、受診したほうが良いと考えるにいたった気持ちや、治療への期待といったものがあるはずです。こうした気持ちや期待は、患者自身の、これまでの人生や考え方、信条が関係しています。検査データや診察結果だけでなく、こういった患者の心の奥深くからの語りを医療者側は真剣に受け止め、対話をして、それを深めることによって問題の解決を図ろうとする医療、これがNBMです。

3. NBMはどうして大事なのか

 NBMがどうして重要といわれているのか、いくつか理由があるといわれています。

 ひとつには、NBMを行うことによって、患者の思い、考え方、物語を理解しようとした結果、劇的にコミュニケーションが改善されて、信頼・満足・質の高い医療に結びついているということが報告されています。人には個別の歴史があり、価値観があります。医師は個別の人生を尊重して治療の枠組みを考え、患者は語りに耳を傾けてもらうことで医療者に信頼を寄せる。結果として、より良い医療につながります。

 ふたつめは、患者は「語り」を聞き届けてくれる相手を得て、その人に語ることによって、その経験に新たな意味づけをし、価値を見出すことができるということです。こうした結果は医療者と患者の共同作業によって起こることになります。

 病むということは、「世界の崩壊」に等しい経験であるとも言われています。しかしながら、人生の基盤を揺るがす「病む」という経験を、自分にとって必要で、有意義な経験であると位置づけることもできます。たとえば、病いを得たからこそ、知り合えた人がいるかもしれませんし、残された時間の価値を知ることができるかもしれません。また、改めて周囲の人々の愛を知ることになるかもしれません。このように、NBMによって、病いの経験を受け止めて、自分の人生に明確に位置付けられることで、治療、療養を生活の中に組み込んで前向きに生きることができます。

 三つ目には、医療者と患者の関係性についてです。医療者も患者も、たとえば診察室での関係だけでなく、それぞれがもっと広い世界を生きています。しかし、医療者の世界と、患者の日常生活の世界は別々で、同じ時間に同じ場で共に語り合うことはまずありませんでした。その両者が共に関わることができる「ことば」が今求められています。ナラティブは、その役割を果たす可能性があります。

4. ナラティブのありか

 他の患者や家族がどのような状況になっているのか、つまり他の人のナラティブを知ることもできます。そして、それが少しでも自分が陥っている状況に近ければ参考にすることもできます。こうしたことからナラティブの蓄積が期待されています。

 ナラティブは最近になって注目され始めたことですので、十分ではありませんが、一部で患者のナラティブを少しずつデータベース化しようとする動きも見られています。英国のヘルストークオンライン(Health talk online)というサイトでは、2000人近くの患者や介護者、スクリーニング検査体験者たちの語りが、映像あるいは音声、テキストの形式で公開されています。

 また、その日本版として、ディペックス・ジャパンという団体がデータベース化に取り組んでおり、インターネット上でこうした患者のナラティブに関する情報をいつでも見ることができるようにしています。感心がある方はご覧になるとよいでしょう。(ディペックス・ジャパン(DIPEx-Japan)「がん患者の語り」データベース作成プロジェクト

 こうしたナラティブは、実際には、古くから「闘病記」という形で出版されてきています。オンライン古書店パラメディカでは闘病記を収集して販売しています。また、公共の図書館に闘病記を集めて、ネットで探せるようにしようという試みが闘病記ライブラリーです。そこで見られる本は、聖路加国際大学(旧聖路加看護大学)の市民向け健康情報サービス「聖路加健康ナビスポット(るかなび)」の図書室にある「闘病記文庫」(1400冊以上)と連動しています。こうした闘病記を見ることで、病いを抱え、受容し、克服していった人たちのナラティブを知ることもできます。

 また、闘病している人のブログや個人サイトも数多く見られるようになってきました。今や誰でも簡単にブログを書くことができます。いろいろなリンク集もありますが、闘病体験情報を共有するサイトTOBYOでは、2万以上の闘病サイトが集められています。ここでは、闘病図書館に入り闘病記を探したり、闘病情報を調べたりすることなどができます。患者や家族のナラティブの宝庫と言えるでしょう。

 さらに、ネット上には、患者や家族が集まる患者会のコミュニティサイトや、健康や病気のことが相談できるサイトも多くあります。患者会のサイトでは、掲示板が用意されていることが多く、そこで多くの患者さんの語りを読むことができます。患者会を探すサイトがいくつかありますが、楽患ネットがその一つです。また、Q&Aサイトでの健康や病気の質問と回答のやりとりからも、貴重な情報が得られます。OKWave教えて!gooMSN相談箱と同内容)では、30万件以上の質問が検索して見られます。このような相談や回答の内容から、相談者のニーズが明らかになるプロセスを見ることができて、自分が知りたいことに気づいたり回答を得ることができるかもしれません。また、身の回りの困っている人をどのように助けてあげたらよいのかのヒントも得られると思います。

(大宮朋子、瀬戸山陽子、中山和弘)

文献

江口 重幸; 野村 直樹; 斎藤 清二:ナラティブと医療.金剛出版.2006 .

武藤正樹.活動報告 寄稿 明るいところでしか鍵を探さない愚.医療と法律研究協会.(オンライン,http://www.m-l.or.jp/report/contribution.htm,(参照2008年3月11日)

芳賀浩昭:ナラティブに基づいたデンタルコミュニケーション.クインテッセンス出版.2006.

蘭由岐子:「病いの経験」を聞き取る.皓星社.2004.

アーサークラインマン(江口重幸・五木田紳・上野豪志訳):病いの語りー慢性の病いをめぐる臨床人類学.誠信書房.1996.

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コメント

様々な医療知識を持つ人にとっては、インターネットや書籍等を通して情報を得、それらを自分なりに整理することが出来ると思います。しかし、専門知識のない人にとっては、様々な情報が混乱を増すだけという結果にもなりかねません。被医療者にとっては、やはり直近の医療者への信頼がなければ安心で納得した医療を受けることは出来ないと思います。NBMの考えかたのように、ナラティブをはじめとした被医療者が必要とする情報や不明点に対応できる場が、医療機関にあることが非常に大切であると感じました。

てぃーえふ 2011年5月25日13:11

長寿は、「めでたい」ことではなくなった。ピンピンコロリの理想の裏には、ベッドに縛り付けられてただただ生かされてしまう恐怖がある。過去は、死の恐怖で病を語った。現在は、生かされることへの恐怖で健康を語る時代だともいえる。これを、コウジュン症候群と呼びたい。巷には、健康食品やサプリメントがあふれ、テレビをも占拠してしまった。老いさらばえた元清純派女優やプロ野球監督等々が入れ替わり立ち代わり現れて商品の効きめを語る。まさに現代版の啖呵売である。昔の啖呵売は、いかにも怪しげであった。現代の啖呵売は、まことに上手に自然に語る。時には科学の仮面をつけて来る。ヒアルロン酸やコンドロイチン、コラーゲンなどの片仮名がはばをきかす。そして必ず、画面の隅に小さく「個人の感想です。効能・効果を表すものではありません」と魔法の一言がついている。エビデンスなんか示す必要はない。これは、ナラティブの効用を逆用した例でしょうね。

はたよし 2011年5月26日12:01

私は10年前から関節リウマチと付き合っています。診断が確定した日、医師は病名と、治ることはなく一生付き合っていくこと、薬を処方することを一方的に話し、「次は4週間後ね。」と言って退室を促しました。一生付き合うということはどういうこと?仕事はどうなるの?子育ては?と混乱したまま診察室を後にしました。医師は正しく診断し、適切な薬を処方しましたが、私の気持ちやこれから起こってくる生活への影響などに思いを寄せることはありませんでした。あの時、「何か心配なことはありませんか?」と私の思いに耳を傾け、「今の医学では治すことはできないけれど、辛い症状は必ず良くなるから治療していこう。」と言ってくれたら、もっと早い時期に自分の病気を受け入れ、医師を信頼して前向きに治療に取り組めたかもしれません。医師と患者の対話も治療のひとつだと強く感じます。今、患者の「語り」を真剣に受け止めようという流れがあることをとてもうれしく思います。  あれから10年経ちましたが、患者会への参加や様々な病気の闘病記(パラメディカはかなり利用しました。)などで他者のナラティブを知り、自分の病気についても多くの知識や情報を得て、患者としても人間としても成長できたと思います。また、信頼できる医師にも出会い、前向きに治療をしています。  現在、私はある医大の模擬患者として医療面接実習やオスキーのお手伝いをしていますが、真剣に学ぶ学生さんたちの姿を見て、これからは患者とのコミュニケーションの重要性を認識した医師が増え、医療が少しずつ良い方向に進んでいくのではないかと思っています。

ぱんだ 2011年5月29日11:01

ナラティブは、患者側の貴重な記録なので、病気になった時、参考になったり、励まされたりするのは、かなり理解でしますし、共感できると思います。 ただ、他人の事例が、自分にあてはまるのか、そもそも、その内容が真実なのか、判断するには、知識と判断力が必要と思います。 ナラティブに、嘘は少ないと思いますが、思い違いや、誇張表現がある場合もあると思います。 また、自分と類似するナラティブを、見つけた後の課題として、自分の主治医に伝え、治療に取り入れてもらう等、こちらの希望を、医学知識が乏しい中で、対話・説得するのは、現実ではかなり敷居が高いケースもあるように思えます。 もしかしたら、主治医の前に、自分の家族・親族を説得しなくてはいけないケースもあるかもしれません。 ただ、今後、医者の側に、ナラティブへの理解が深まっていき、患者と医者の対話を重視することが当たり前の状態になれば、医療の現場で、ナラティブの情報は重要視されていくと思いました。

まさまさ 2011年5月30日00:14

エビデンスとナラティブこの言葉を知らずに、必要から、お世話になっていました。 連れ合いの病気治療のために、患者向けの本、雑誌や新聞等から病気や治療についての知識を得、PCで患者の立場からのコメント、術後の経過などを知り、納得のいく治療を受けることができました。 ナラティブは、一人ひとりの語りであるからには、個人の持つ感性、物事に対する受け取り方、生活環境などに影響を受けたうえでの語りであることを踏まえたうえで、参考にすることが望ましいと思いました。  情報を受け、発信、交換できることは素晴らしいことです。  語りを発信することは、難しいですが。

toyママ 2011年5月30日14:54

●[地方と都市部の差] 「患者の語り」「医師とのコミュニケーション」について先ず頭に浮かんだのは、昔住んでいた地方の医者のことである。昔の地方の医者は、医者自身が住民としてその地域に深く根ざしていた。従って患者と対面した時は、先ずは親兄弟など家族や身内のこと、地域の出来事など、言わば世間話し風から始まっていた。”お父さんは変わりない?” ”お婆さんの具合はどうお?” ”この間の台風はどうだった?” などの類である。こうしてみると既にコミュニケーションは出来ており、信頼関係が出来上がっていたということではなかろうか。これは今の時代でもある程度は同じように思う。  それに対し都市部では、住民としての関係者は限定され、或いは医者が離れた住居から通勤している場合もあり、見ず知らずの患者が多かったり、しかも患者数が多ければ時間的余裕もない。となれば所詮「どうしましたか?」から始まり、コミュニケーションは上述の地方の医者のように簡単にはいかないのではないか。 ●[開業医と高度医療施設の違い] ファーストチョイスとしての開業医などは「かかりつけの医者」ということで、ある程度の”馴染み”を感じるが、それとて受診のために対面した時だけで、住民のような関わりもなく感情は生まれにくい(その必要もないが)。要は医者の人間性や診療上でのコミュニケーションに問題がなければ信頼に繋がると考える。  一方、大学病院など高度医療施設は、患者も特別な時に初めて受診するケースが多いと思う。「紹介状」がある時は既に患者の状況が記載されており、対処方法も選択肢が絞られて、高度な診療機器を使った検査や、ハイテク技術の手術を行うなどが考えられる。そこでは医療側も患者側も「語り」や「コミュニケーション」に対する期待はないのではなかろうか。期待するのは診断力でありハイレベルの技術や治療にあると思う。

アミーノ 2011年6月20日14:23

闘病生活を知るためには伝記のように書かれた分厚い闘病記を読まなければいけないと思っていました。今はブログやコミュニティサイトでもその人の闘病生活について知ることができることに今更ながら気付かされました。また、ディペックス・ジャパンという団体の存在を今回初めて知りました。自宅でインターネットを利用して自分の生活に近いナラティブな情報を入手できるということは、病気で活動範囲が縮小してしまっている人にも活用しやすくていいと思います。こういった情報が一般にももっと広まればいいと思いました。

りんご 2013年3月29日16:38

医療の質とは、ただ単に効果的な治療を行うだけではないと思う。もちろん質が良く効果のある治療は大切だが、充実した患者と医療者間のコミュニケーションも決して忘れてはならない。患者が病院や医療者をどれだけ信頼して、希望を持って、納得した医療を実現できたかが医療の質に大きく関わるはずだと思う。患者の声に耳を傾け、「語り」を大切な情報として治療に活かしていくことができると感じた。しかし、あくまでもその人の考えや経験であり、皆が皆同じ状況にあるわけではない。ナラティブを否定するわけではないが、そのことを念頭に置いておかなければならないと考える。

rurur 2013年4月21日15:49

患者からの語りによって、医師との間の溝を埋められることは素晴らしいと感じました。 患者である私から見て、医師はとても大きな存在です。「どんなに小さなことでもお話下さい」と仰られても、病気に関係ないことで手をわずらわすのではと萎縮してしまいます。病気について感じていたり聞きたかったたりした小さな悩みを伝えられず、のちに後悔することも多々ありました。 患者からの話が、治療をより良いものにし、満足を得るきっかけになると知り、大変心強く感じています。また、医師側も患者とのコミュニケーションを診療に必要なものと考えているとわかり安心しました。

ひろ 2013年7月17日15:51

私はナラティブが重要視されていることの理由が分かりませんでしたが、この記事を読んでとても腑に落ちました。患者や市民中心のケアが浸透されてきた医療現場で、患者の満足度が重要視されてきていることを示しているのだと感じました。また、患者自身にとっても他者にナラティブを伝えることは医療への充足感へと繋がり、医療の質を高めていくうえで不可欠なものだということが分かりました。将来は医療従事者になる立場として、ナラティブを通して患者の声に常に耳を傾けていたいと考えました。

ゆず 2014年4月27日11:37

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